ちらちらと、窓の外を小雪が舞い始めていた。
屋敷の窓からその様子を眺め、あの日から五年が過ぎようとしているのだと思い当たる。
五年。
長かったようで、短かった五年。
小雪の舞い散る中、たった一言震える声で―――
雪 の 花
暖炉の薪が爆ぜ、その音に腕の中の赤子が少しだけ身を竦めた気がした。
生まれたばかりの三男は女の子のように可愛らしく、儚く、生まれた瞬間から他の二人とは違った。
「本当にスタイナーの子供なのか?」と、あの仕方のない国王陛下が目を丸くして言ったほどだった。
この子が生まれた日に雪が降り始め、一時期アレクサンドリアは雪の中に埋もれた。見舞いに来た女王陛下の御髪に積もった雪を見て、ベアトリクスは悲鳴にも似た音を唇に乗せたほどだった。
「そのようにお濡れになって……お風邪を召されてはお体に障ります」
「ああ、大丈夫よ。この子、雪が好きなの」
と身重の女王は信じられないほど朗らかに笑った。
「そういう問題ではありません」
ベアトリクスの非難するような視線は、一緒に来た女王の夫に向けられた。
「オレのせいかよ」
ジタンは唇を尖らせる。
「聞かないんだもん、ダガー」
「あら、聞き分けがないのはあなたでしょう?」
と、即切り返すガーネット。
「き、聞き分けって……子供じゃないんだから」
「同じようなものよ」
ガーネットはふんっと顔を逸らせ、悪戯な色を浮かべた瞳でベアトリクスに目配せした。
彼女は、思わずクスリと笑い出す。
「喧嘩でもされたのですか」
「そういうわけじゃないけど」
ジタンは心持ちしゅんとして、尻尾も絨毯と仲良しになっている。
「人の見舞いに来てまで蒸し返すなよ」
「わたし、知らないわ」
気まずそうな青い瞳が、ちらりとベアトリクスに向けられる。
理由はわからないが、国王陛下は何か女王陛下のご機嫌を損ねるような振る舞いをしたらしい。
ああ、今日あの人が帰ってきたら、どういうことか聞いてみなくては。
ベアトリクスは口元に小さく笑みを浮かべた。
「お茶を替えてまいりましょうか」
立ち上がると、ジタンがほっとしたような顔で見上げてきた。
「ベアトリクス、わたしがやるわ」
「まさか、そのようなことをガーネット様にお願いできませんわ」
彼女は頭を振り、辞退した。
「どうぞ、ごゆっくりなさってくださいませ」
ベアトリクスは、思い出している今でさえクスクスと笑っていた。
城から帰宅した夫に聞けば、「まったくあの男は」と詳しいところまで語ってくれた。
雪が降ると咲き出すという「スノー・リリー」なる花が湖の畔に生息しているらしい。どこからともなくその噂を聞きつけたジタンは、ひどい雪の日にその花を探しに行ってしまったというのだ。しかも、ぬかるんだ崖で足を滑らせ、危うく落下するところを、張り出した枝に引っ掛かったがために助かったという。しかし、引っ掛かったがためにひどい風雪に三時間も晒され、凍え死にかけていたところをプルート隊員に発見されたというわけだ。
一方、なかなか戻らぬ彼を心配して待っていた女王。彼女は、ブリザドでもくらったかのように氷の塊になってしまった夫の帰還にさぞ驚き、すっかり怒ってしまったのだった。
ジタンがこのような騒ぎを起こすのは初めてではなかったし、凍え死にそうになって帰ってきたのも初めてではなかった。
いい加減にして欲しいという女王の気持ちも、察して余りあった。
「母さま」
長男が目を擦りながら起き出してきたのは、まだ彼女が口許に笑みを浮かべていた時だった。
「どうしたの。眠れないの?」
彼女は赤ん坊を傍のベッドに寝かせ、長男を呼び寄せた。
「なんだか目が覚めたの。母さまは、なにか楽しいことでもあったのですか?」
ベアトリクスは少し困ったように微笑んだ。どう説明していいものやら。
「ああ、ほら。雪が降ってきましたよ」
「本当だ」
小さな手を窓越しに雪へ向かって伸ばし、幼子は笑った。
「お母さまは、雪が好きなのよ」
「そうなんですか」
黒褐色の父に良く似た瞳が、じっと母を見つめた。
「そうよ。それで、笑っていたの」
彼は納得して、こっくりと頷いた。
「さぁ。今夜は冷えるから、ベッドへ行きましょうね」
「はい、母さま」
長男は母親の頬に幼い仕草でキスしてから、膝を降りると「おやすみなさい」と小さく囁いた。
「おやすみ、デイビー」
雪は滾々と降り積もり、赤いレンガの街は次第に白く染まっていく。
夜もだいぶ更けて、彼女の夫はようやく帰宅した。
ドアの閂をかける音に気付いたベアトリクスが、玄関まで迎えに出る。
「お帰りなさいませ」
コートに積もった細かい氷雨雪を払い落としながら、ベアトリクスは言った。
「お疲れ様でございました」
ガーネットが女王になって、もう七度目の誕生日。毎年この日は城中忙しさに支配される。ベアトリクスは今日一日街の様子を家の窓辺から眺め、囲いの外にいるような、おかしな気分を味わっていた。
ふと、背中に手を回され、そのまま抱きしめられて、ベアトリクスは小さく、驚きの声を上げた。
「酔ってらっしゃるのですか、あなた?」
常とは違う夫の様子に、彼女はつい不安げな声で訊いた。
しかし、彼は答えなかった。
分厚いミトンは雪に濡れ、酷く冷たかった。早く炉辺へ行って暖まらなければと、ベアトリクスは埒もないことを思う。
一体、どうしたというのだろう。
「お前は、幸せであるか」
唐突に、スタイナーはそう呟いた。
ミトン越しに、指が震えを伝えていた。
ああ、あの日と同じ。まったく、この人は。
「それは、私の顔をよくご覧になっても、まだなさりたいご質問ですか」
ベアトリクスは腕を突っぱねて離れると、黒褐色の瞳を覗き込んだ。
「私は、あの日あなたの腕の中を選んだこと、一度だって悔いたことはありませんわ」
ベアトリクスは幸せな光を湛えた瞳で微笑んだ。
「あなたがあの雪の日に言ってくださったことを、私は今でも」
「ベアトリクス」
不意に笑い出した妻に、気まずそうに赤面する夫。
「今でも、忘れてはいませんわ」
言い終わってしまうと、ベアトリクスはますます笑い出した。
「じ、自分はあれでも精一杯……」
「わかっておりますとも」
ベアトリクスは笑いながら、夫の腕を取った。
「さぁ、いつまでもこんなところにいてはすっかり冷え切ってしまいますわ。居間へ参りましょう」
濡れたミトンが蒸発するような勢いでかっかとしているスタイナーが、冷えてしまうはずもなかったが。
小雪の舞い散る中、たった一言震える声で。
街はまだ、女王の誕生日を祝うセレモニーが続いていた。
-Fin-
この作品はお題にすごーく悩んで今までUPできずにいたのですが、
そろそろ季節も危ないと言うことで(^^;) 当初予定していた題名で決めました。
ホントは題名だけでプロポーズの言葉になったらいいと思ったんだけどな〜。
なかなかいい歌が見つかりませんでした。
よしだたくろうの「結婚しようよ」じゃしょうがないしな(笑)
ということで、今回は中島美嘉さんの「雪の華」からいただきました。
この歌大好きなのです♪ 毎年雪が降ると思い出す曲ですね。
2006.2.15
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