Real Life + Real Heart




 母親の朝は忙しい。
 末っ子にミルクをやっている間にも、寝起きの悪い長男はぐずぐずしながら纏わりついてくる。
 窓の外を見ながら「あれは何?」と盛んに指差す長女の興味は計り知れず、丁寧に答えてやりながら気難しがりやの赤ん坊をあやす。
 それでも女王であるが故、朝食の支度を心配することはないし、亭主を叩き起こして仕事へ送り出す必要もない。もう直女中たちが朝の挨拶に来るだろうし、掃除も、今日は天気がいいから洗濯も、彼女たちがしてくれるのだろう。
 そんなことを全部してみたいと思わなくもない。実際、城の裏側にある洗い場で子供のおむつを洗ったこともある。
「そのようなことは私どもの仕事でございます、陛下」と、そう言われてやめてしまった。
 人には役割があるらしい。そんなことに気付いたのはもうずっと前のことだった。


「ねぇ、お母さま。あれは? 誰かがお船でやってくるの」
「ダリ村から来た商人よ。あなたのお誕生日のご馳走のために、材料を運んでいるのよ」
「エミー、チョコレートのケーキが食べたい」
「そうね。クイナが作ってくれるわ、きっと」
 不意に、頬に風が触れた気がして目を上げると、青い目がにこりと微笑んだ。
「ジタン?!」
 思わず大きな声で叫んでしまった。
「ど、どうしたの?」
「どうしたって、何がさ」
「こんなに早く目が覚めるなんて、体の具合でも悪いの?」
「げ、ひでぇな〜」
 ジタンはケラケラと笑った。
「だって、今日はさ」
 そのまま黙り、じっと妻を見つめる。当のガーネットは何? という風に首を傾げた。
「え、もしかして忘れてるのか?」
「何が?」
「ほら、今日だよ」
「今日?」
 何かの日だったかしら……? ガーネットはしばらく考えた。その間にもダイアンはぐずぐずと泣きべそをかいて背中に縋り付いてくる。
「ああ、ダイアン。ご飯はもうすぐだから、待っててね」
「どう、思い出した?」
 ダイアンの頭を撫でてやりながら、ジタンが畳み掛ける。
「えーっと……エミーの誕生日なら、来週よ?」
 ガーネットの答えに、ガクッと転びかけた。
「お父さま、エミーの誕生日忘れちゃったの?」
「そんなわけないだろ」
 ジタンは目に見えてショックを受けたらしく、すごすごと寝室へ戻っていってしまった。
「お母さま、お父さまはどうしたの? ダイアンみたいに泣いちゃうの?」
「う〜んと、きっとまだ眠いのよ」
 ガーネットは腕の中の子を――ああ、彼にそっくりだ――見つめながら、まだ何事かを考えていた。



***



「クイナ!」
 と、女王が厨房へ駆け込んできたのは、午前10時少し前のこと。
「そんなに慌ててどうしたアルか、ダガー?」
 今日の夕食用にと煮込み始めたシチューを掻き混ぜながら、クイナは訊いた。
「ああ、今日が何の日だか覚えてる?」
「今日はジタンとダガーの結婚記……」
「どうしてクイナが覚えてるのにっ!」
 クイナが最後まで言い終わらないうちに、悲痛な声で叫ぶと、ガーネットはガバッとテーブルに突っ伏した。
「また忘れていたアルか」
 去年もその前も忘れていた彼女だ。
 今年も忘れていたところで、クイナは驚きもしなかった。
「どうして忘れっぽいのかしら」
「ダガーにとっては、もっと大事な日がアルね」
「ああ、それはそうかもしれないけど」
 ガーネットは悲しげに頭を振った。
「でも、忘れるなんてひどいじゃない」
「ジタンはまたショックを受けたアルか」
「そうなの」
 それで思い出したの、と、ガーネットは小さく呟いた。
「だから、今年こそはジタンが喜ぶことをしてあげたいと思って……」
 まるで少女のように、俯いたまま微かに頬を染めて彼女はそう言った。




「お父さまが喜ぶこと?」
 エメラルドは真摯な瞳で母親を見上げ、幾分首を傾げてそう尋ねた。
「ええ、何か思い付く?」
「んーと」
 エメラルドは僅かにもじもじとした。
「なぁに?」
「お父さま、『ぼやいて』たの」
「ぼ……」
 四つの娘が『ぼやく』などという言葉を使うはずがないので、ガーネットはどこかで入れ知恵されたと判断した。
「『ダガーの手料理を食べたことがない』って」
 少しだけ絶句してしまう母。
「本当にお父さまはそんなこと言ったの?」
「エミー、お父さまがスタイナーのおじちゃまにそうお話しているのを聞きました」
 会話の様子が目に浮かんで、ガーネットは苦笑した。
「だからエミーは、お父さまにお料理を作ってあげたら喜ぶと思います」
「料理……」




 それで、彼女は思い余って厨房に駆け込んだのだった。
 自慢ではないが箱入り王女様だったガーネット。生まれてこの方、料理などしたことがない。一人でどうにかできるような話ではなかった。
「ナルホド、いい考えアルね。さすがエメラルド姫アル」
「よく見てるのね、子供って」
 ため息混じりにガーネットが言うと、クイナは大きく頷いた。
「子供は敏感アル」
「でも、どうしたらいいのかわからなくて……知恵を貸してもらえる、クイナ?」
「もちろんアルよ」
 クイナは、今からなら充分間に合うだろうとガーネットを安心させた上で、尋ねた。
「仕事はしなくていいアルか?」
「……あんまり良くないの、実は。お茶の時間までなら大丈夫なんだけど」
「オッホッホ、そうだと思ったアル。それなら、簡単なお弁当を作って、家族みんなでピクニックにするといいアル」
「ピクニック?」
 ガーネットは小首を傾げた。
「ピクニックを知らないアルか、ダガー」
「し、知ってるけど……でも、ピクニックってどうすればいいの?」
「特に何もしなくていいアルよ。今日は天気もいいアル、散歩して、日向ぼっこをするアル」
「それだけ?」
「もちろんアル」
「それだけで楽しいものなのかしら……」
 ガーネットは、ほとんど独り言のように呟いた。
「楽しいアルよ」
 クイナはもう一度シチューを掻き混ぜると、鍋に蓋をした。
「何より、『ピクニック』って言葉は、おいしそうな響きがするアル」
 やっぱりそこなのかと苦笑しながら、ガーネットはその提案に乗ることにした。



***



「お母さま、ピクニックって何?」
「お弁当を持って、野原とか公園とか、そういうところに遊びに行くことよ」
 正午前。ガーネットは娘を普段着に着せ替え――どうして普段からひらひらしたものを着せられているのか、ガーネットは少し不満だった――、クイナに手伝ってもらった弁当と、敷物と、香りの良い紅茶を水筒に詰めたものを携えて、ジタンを呼んだ。
「お父さま、みんなでピクニックに行くんですって」
 エメラルドはまだ合点がいかないのか、唇を尖らせて父に訴えた。
「ピクニック?」
 寝室から顔を出したジタンは、エメラルドの頭を撫でてからガーネットを見た。
「そ、そうなの。あの、仕事の手が空いたから、それで……」
 ジタンは不思議そうに彼女を見つめていたが、
「行きたくないなら、いいのよ」
 とガーネットが呟くと、不意に笑い出した。
「いいよ、行こうぜ」
 足元に座り込んでいたダイアンをひょいと片手で抱き上げ、ガーネットが抱えていた荷物をその腕から攫うと、ジタンは口笛を吹き始めた。
 子供が生まれてから知ったことだったが、ジタンは驚くほどの数の童謡を知っていた。
 自称「オンチ」なせいか歌ってやることは少なかったが、三人並んだ川の字の子供たちを口笛だけで寝付かせるのを見ているのは、どこか微笑ましくて暖かだった。
 それでも時折エメラルドがしつこくせがむと、折れて歌ってやることもあった。しばらくすると調子の外れたところまでそっくりに覚えてしまうので、ガーネットはおかしくてたまらなかったのだ。

 青空の下を 行こう
 野原を目指して 行こう
 小鳥の声が 聞こえるよ
 ほら、耳をすましてごらん

 歌のとおり、一家は青空の下を、野原―――ではなく、湖畔を目指して歩いていた。
 エメラルドが空を指差して、盛んに鳥の名を尋ねる。
「あれは?」
「ひばりかな」
 と、ジタン。
「それじゃぁ、あれは?」
「あれはツバメだな」
「ツバメが低く飛ぶと、雨が降るんでしょう?」
「そうだよ。エミーはよく知ってるなぁ」
 娘は得意げな顔をした。
「今度小鳥を飼ってもいい、お母さま?」
 エメラルドは振り向いて母に尋ねた。
「ちゃんとお世話ができるの?」
「できます!」
「エミーはどの種類の鳥を飼いたいんだい?」
 それから娘は一頻り、自分の望む小鳥の姿をあれこれと説明した。
「でもさ、エミー」
 エメラルドの説明が終わると、ジタンは娘の方を見た。
「小鳥を籠に閉じ込めるのは可哀想だと思わないか?」
「え?」
「父さんは、可哀想だと思うけどな。ああやって自由に空を飛び回っていることが、鳥にとっては一番の幸せだろう?」
 それで、エメラルドはそのことについて考え込み始め、すっかり静かになった。
「ダガー、サフィー重くないか?」
 その様子に微笑んでから、ジタンが振り向いてそう訊いた。
「大丈夫よ。あなたこそ、ダイアンも荷物も抱えて、重くないの?」
 ガーネットの手元には、敷物の小さな包みしか残っていなかった。
「平気だよな、ダイ」
 ジタンは嘯いて息子に振った。
「うん」
 息子はわからないなりにそう答え、父の首にしがみ付いていた。

 青空の下を 行こう
 野原を目指して 行こう
 小川のせせらぎが 聞こえるよ
 ほら、耳をすましてごらん

 やがて湖まで出ると、エメラルドは歓声を上げて水打ち際まで走っていった。
 姉に倣い、ダイアンも頼りない足取りで走ってゆく。
 サファイアを寝かしてしまうと、ガーネットは子供たちに付き添っているジタンを見ていた。
 散歩をして、日向ぼっこをして、ただそれだけで楽しいのだとクイナが言ったことを思い出しながら、ガーネットは少し笑った。
 折りしも、ダイアンが転んで大泣きを始めていた。



***



「うわぁ〜ん」
「あー、ほら、どこだ。どこが痛い?」
「わぁぁ〜ん」
「わかったわかった、泣くな泣くな」
 ジタンはダイアンを抱き上げ、「そこより深い方に行かないように」とエメラルドに注意すると、ガーネットの居る木陰へ戻ってきた。
「擦りむいた?」
「膝んとこちょっとな」
 ジタンが抱っこしたまま座ると、ガーネットはどれどれと小さな膝を調べてみた。
「いたいよー」
「これくらい大丈夫よ、ダイ。ほら、いたいのいたいの飛んでいけ」
 しかし息子は泣き止まない。
「かあさま、ケアル」
「お前、こんなんでケアルしてもらうのか?」
「うえぇぇーん」
 ジタンとガーネットは思わず顔を見合わせた。
「……ジタン、前から思ってたんだけど」
「何」
「……やっぱりいいわ」
 ガーネットは子供時代大変なお転婆で、木から落ちて怪我をしても、涙一つ零さなかったのだと母から聞いたことがあった。
 実際エメラルドもそういう節があり、なのにダイアンはこの有様である。
 きっとジタンに似ているに違いない。ガーネットは胸の内でそう信じていたのだった。
 ―――今度ブランクに会ったら、訊いてみようかしら。

 クイナが持たせてくれた小さなドーナツ――ダイアンの好物である――を与えると、彼は現金にもぴたりと泣き止んだ。
「あんまり食べ過ぎないのよ。お弁当もあるからね」
「うん」
 ガーネットが湖の方を確かめると、エメラルドは魚を掬って遊んでいた。



***



「お魚さんがたくさんいて、キラキラしてきれいだったわ、お母さま」
 エメラルドは呼ばれると、一目散に走ってきて、開口一番、母にそう報告した。湖の水面もキラキラと輝いていたが、娘の瞳はそれ以上にキラキラしていた。
 ああ、こんな風に遊びに連れ出してやることさえ稀だったのだと、ガーネットは思った。
「さぁ、お昼にしましょ」
 ガーネットの手がバスケットに伸びるより早く、ジタンがさっとその蓋を開けた。
「あれ?」
 彼はまじまじと中身を見つめた。
「これ、クイナ?」
「……わかった?」
 ガーネットは自信のない声で答えた。
 あれからクイナに教わりつつ、サンドイッチと簡単なおかずのお弁当を作ったのは、他でもない彼女自身だった。
「マジで?」
 ジタンは青い目を殊更丸くして、彼女を凝視した。
「……食えるの?」
「し、失礼な!」
 ガーネットはサンドイッチを一つ取り上げると、お腹を空かせてじっと待っている子供たちを一瞥してから、ジタンに手渡した。
「あなたが最初に食べて」
「……毒見か、オレは」


 しかし、サンドイッチはちゃんと美味しくできていたので、しばらくするとバスケットは空っぽになった。
 エメラルドとダイアンは、花を摘んだり、虫を追いかけたりと、しばらく走り回って遊んでいたが、やがて疲れて眠ってしまった。
 穏やかな初夏の風が通り過ぎ、二人は黙ったまま湖を見ていた。
「もしかして、思い出した?」
 不意に、ジタンがそう尋ねた。
「……ええ」
 ガーネットはしぶしぶ肯定した。
「ごめんなさい、また忘れて」
「いや、いいけどさ」
 ははは、とジタンは笑ったが、また沈黙が流れた。
 ガーネットは何とか言い訳をしようと思い惑ったが、いい案が浮かばずにいた。
 しばらくすると、再びジタンが口を開いた。
「こういうさ、普通の、何気ない小さな幸せ?っていうのかな。なんか、いいよな」
「え?」
 ガーネットは振り向いた。
 湖を見たままでいるその横顔が、見たこともない程安らいでいるのに気付いて、少しだけ驚く。
「ありがとな」
 ジタンはそう言うと、ニッと笑った。
「まぁ、卵焼きにカラが入ってたことには目を瞑って」
「うそ! ……入ってた?」
 困り果てて上目遣いになった妻に、ジタンは口付けを送ろうと屈み込んだ、が。
「あ! お父さまずるい!」
 エメラルドが急にぴょこりと起き上がり、ゴシゴシ目を擦りながらそう叫んだ。
「エミーも、お母さま!」
 一瞬にして石化した父親と母親の間に割り込んで、エメラルドは愛らしい笑い声を立てた。



***



「どうだったアルか、ダガー?」
 空になったバスケットを返しに行くと、クイナがそう尋ねた。
「すごく楽しかったわ! ありがとう、クイナ」
「そうアルか、よかったアル」
 バスケットの中を確認して満足そうに頷くと、クイナは言った。
「ワタシは思うアルよ。本当の幸せは、何気ない一日の中にアルね」
 ガーネットは吃驚したように料理長の顔を覗き込んだが、やがてにっこりと笑った。
「本当ね。わたしもそう思ったわ」
「ジタンはきっと、今日は世界一の幸せ者だったアル」
「……どうかしら。カラ入り卵焼き食べさせちゃったし……」
 ガーネットはもごもごと呟いたが、クイナは全く気にした様子もなく、晩御飯の支度に戻ってしまった。


 来年もまた、ピクニックをしよう。

 その頃にはきっと末の娘も歩けるようになっているだろう。

 みんなで歌を歌って、お弁当を食べて。

 きっと、もっと楽しいに違いない。

 ああ、でも。来年にはわたしの料理の腕も、もう少し上げておかなくちゃ。




-Fin-








さてさて、今回の曲は・・・リアルライフ・リアルハート→「リルラ・リルハ」
ということで、木村カエラちゃんの曲でした♪
歌詞とはあんまりリンクしてないですが、この話も最初からこの題名がいいなぁと思って付けたものです。

何とか2世揃い踏みでございます(笑) サフィーはいないも同然という感じですが(^^;)
幸せそうな雰囲気が伝わっていればいいかなぁ、と思います。一応お題最後の一つですしね。
ということで、とりあえずエキストラを除いて5つのお題完了です!
何だかジタガネに特化した5つのお題になった感が否めませんが・・・ま、主役ですしv(コラ
残りの二つは気分次第ということで。。なんか出てきてない人がいるので気になってますがね(笑)

2006.2.23








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