すらりと背の高い竜騎士に名を問われ、少女は明朗に「フライヤ」と答えた。
 彼は優しく微笑むと、銀色の頭を撫でた。
 大きな、節くれ立った手が暖かだった。







 フライヤが竜騎士の称号を得たとき、二番目の年少記録と国は大騒ぎになった。
「まだ十六になったばかりではないか、フライヤ?」
 憧れの竜騎士にそう問われ、少女は頬を紅潮させつつも頷いた。
「六月で十六になりました」
「そうか―――道理で、おぬしも背が伸びるわけだな」
 フラットレイは自分と同じ目線まで届くようになった少女に、幾分苦笑の混じった笑みを送った。
「子ども扱いなさらないでくだされ」
 フライヤは不服そうに言う。
 四つ年下の少女は、しかしフラットレイには幼く見えた。
「もう、子供ではありませぬ」
「そうじゃな」
 おぬしは立派な竜騎士じゃ、と、フラットレイは認めた。
 フライヤは、その賛辞を嬉しく思った。
 思ったが、どこか物足りないとも思った。


 ずっと幼い頃、地区の道場に新任の竜騎士が稽古に訪れた日のことを、彼女は忘れていなかった。
 「筋が良い」と言われ、それから何くれとなく世話を焼いてくれるようになった、若い竜騎士。
 背が高く、ずっと大人びた彼を、フライヤはいつしか憧れを秘めた目で見るようになった。
 しかし、彼が彼女を一人の女性として認めてくれる日は、いつまでたっても来なかった。

 だからかも知れなかった。
 だから、早く一人前の槍使いになりたかった。竜騎士の称号を得て、彼の隣に肩を並べたかった。
 その日が来たら、きっと言えるだろうから。
 「あなたが好きです」―――と。

 しかし現実には、優しい兄のような笑みで自分を褒めてくれる相手に、彼女は何も言えなくなってしまった。
 やはり、自分はいつまでたっても子供なのだろうか……?



***



 ブルメシアでは二十歳は節目の歳とされ、その歳を迎えた若者たちを城に招き、毎年盛大な宴が開かれる。国の者は、この祭事を二十節祭と呼んだ。
 あまり多くの祭りを開かないこの国で、若い男女にとってこの祭事は特別賑やかで、楽しいものだった。
 新しく二十歳を迎えた若者を囲み、老いも若きもみな彼らの新しい門出に祝辞を送る。
 特に家族の内に二十節を迎える者がある家の喜びは一入なものだった。


 その年のその日、フライヤは朝早く起き、部屋で一人黙々と踊り子の衣装を着付けていた。
 フライヤは楽しい気分だった。彼女は踊りが好きだったのだ。
 奉納祭などの儀式では伝統の踊りを披露する少女の輪に入り、しなやかで身軽なその舞には定評があった。
 しかし、今日はもっと特別だった。衣装もいつもと違う。
 彼女は踊り子の中でも最も名誉のある、舞姫(ソロパートを踊る踊り子)に任命されたのだ。
 それに、今日は憧れのあの人も二十節を向かえる。とても誇らしく、とても目出度い日なのだ。

 大きな緑色の瞳を輝かせ、興奮のため紅潮した顔で彼女は部屋を出た。
 ブルメシア竜騎士団の正装に身を包んだフラットレイが、丁度廊下の角を曲がってこちらを向いた。
「やぁ、フライヤじゃないか。見違えてしまった」
 彼は眩しそうに目を細めた。
「今日は舞姫を舞うのか?」
「はい、フラットレイ様」
「そうか、それはありがとう」
 礼を言われるとは思わなかったフライヤは、はにかんだように俯いた。
 その刹那、フラットレイの胸に不可思議な想いが湧いた。
 それは今まで一度も考えたことの無いような、甘い痛みに似た胸の疼きだった。
 フライヤは急に黙り込んだ彼の顔を覗き込み、
「あの……フラットレイ様、申し訳ありませぬ。舞台前の練習がありますゆえ、私はこれにて」
 急いたように告げる。
「あ、ああ。難儀じゃな。早う行ってくるといい」
「はい、失礼致します」
 フライヤは竜騎士の礼ではなく、今日は小さく舞姫の礼をして駈けて行った。
 軽やかな足取りに、廊下の絨毯を踏むパタパタという音が響く。
 フラットレイは、普段は騎士の衣服に隠れて見えない肌を晒した舞姫を、しばらく見送った。
 まるで露を含んだ蕾が今朝方開いたばかりのような、輝かしく初々しいその後ろ姿を。


 人々の歓声に包まれ、フライヤは舞台に上がった。
 小雨の中、神々の間で古典舞を舞う。
 小さな明かりが彼女の姿を照らしたとき、色の白さが目立って観客の何人かが「ほぅ」とため息を漏らした。
 銀色に輝く髪を結い上げて睡蓮を挿し、翡翠色の瞳は雨を吸って灰褐色に見えた。すらりと伸びた腕が宙へ一定の軌道を描いてぴたりと止まる。足は軽やかに石畳を踏み鳴らし、その高らかな音が霧空に吸い込まれていった。
 それは美しい舞だった。みなその舞に魅入られていた。
 やがて音楽が鳴り止み、人々はやっと我に返って惜しみなく拍手を送った。
 しかし、観客の中にたった一人動かない人物がいた。
 フライヤはその人物と目が合ったとき、少し困惑した。
 フラットレイは、じっと自分を見つめていた。いっそ、怖いくらいの目で。



***


「今なんと……?」
「聞いてないのか、フライヤ?!」
 同僚のダンに問われ、フライヤは俯いた。
 聞いていない。
 フラットレイ様がブルメシアを出てゆくおつもりだなどと、一度も聞いた事がない。
「王も承諾したらしい。来週には発つという話だ」
 ダンは蒼褪めたフライヤの顔をじっと見つめた。
「本当に聞いてないのか?」
「聞いておらぬ」
「怒ってやれよ、お前はあいつを甘やかしすぎてるんだ」
「そういうわけではない」
 フライヤは溜め息を吐いた。
「おぬしには解るまい……」


 今でも―――恋人となった今でも、彼女は彼にどこか遠慮があった。鉄の尾と謳われるほどの腕を持つ竜騎士の将来を邪魔してはならないという、遠慮。
 修行に出たまま何日も帰らず、そのまま逢おうと約束していた日にちが過ぎてしまっても、フライヤは文句一つ漏らさなかった。
 彼は普段はとても優しかった。
 昔馴染みのままの優しさを見せるときも、恋人としての優しさを見せるときもあったが、どちらにせよ優しかった。
 しかし、時折彼はフライヤを忘れた。
 彼女の存在自体を忘れ、それは彼女を酷く寂しくさせた。


 宿舎のフラットレイの部屋へ行ってみると、ドアは少し開いており、彼は背を向けて荷造りの最中だった。
「フラットレイ様」
「なんじゃ」
 振り返りもせず、フラットレイは答える。
 フライヤは「失礼致します」と一言挨拶し、彼の部屋へ滑り込んだ。
「ブルメシアを出て行かれると聞きました」
「ああ、そうなのだ」
「何故ですか?」
 フライヤの声は少し震えたが、風の音にカモフラージュされ、その揺れは彼には届かなかった。
「前々から考えておった」
 フラットレイは相変わらず背を向けたまま、荷造りを続けた。
 彼はまた、フライヤのことなど忘れてしまったかのようだった。
「……そうなのですか」
「そうなのだ」
 しばらくすると、フラットレイはようやくフライヤを見た。
「一年後には、必ず帰る。待っていてはくれぬか?」
「一年……?」
「そう、一年だ。そんなに長い間ではない」
 ―――そうだろうか?
 フライヤは俯いたまま、一言も言わなかった。



 フラットレイがブルメシアを出て半年が過ぎ、一年が過ぎても、便りはおろか、帰郷の噂さえなく。
 フライヤは一人待ち続けた。帰ると約束したかの人を。
 しかし、彼は帰らなかった。そして、彼女は旅立ったのだ。

 五年後、やっと見つけた彼は何も覚えていなかった。
 帰ると約束したことも、彼女が恋人であったことも、彼女という存在さえも。



 それでも、彼は彼女の元へ帰り、彼らは再び恋に落ちた。



 ―――今日もブルメシアは、雨。
 フライヤは小さく息を吐き、夢想から醒めた。
 気付けば、フラットレイがじっと黙って自分を見つめていた。
 二十節祭の日、怖いほどの目線で自分を見ていたのと、同じ色の瞳で。

 フラットレイは何も覚えていない。
 自分に惹かれ、初めて恋人として接してくれたあの日のこと。
 出会った日のことも、別れた日のことも、何も覚えてはいないのだ。
 それは寂しいと共に、なぜかどこかで安堵を伴う。
 彼は、彼に幼い憧れを抱いていた自分を知らない。
 恋人となった後もどこかで遠慮し、彼の心に踏み込めなかった自分を知らない。
 そして、竜騎士の道を究めるため、恋人であったはずの自分を置いて行ったことも忘れてしまった。

 全て、忘れてしまったら。
 もう一度やり直すことが出来るのなら。

 ―――ああ、私は狡いのだ。



「フライヤ」
 ―――雨は随分小降りになったし、この分なら、今夜の飛空艇は問題なく飛ぶだろう。
 彼はそう言った。
「また、思い出しておったのか?」
「何をですか」
「恋人を置いて祖国を出て行った男を、だ」
 フラットレイはその言葉に、自虐的な響きを込めた。
 彼を苦しめるのは自分なのだろう、と、フライヤは思った。
 そんなつもりはなかったのに、結局私は彼を責めてしまった。
 この、自分の元にだけ残った思い出が、何も思い出せない彼を責め続けているのだ。

「いいえ」
 彼女は嘘を吐いた。
「その男のことは、もう忘れました」
 そして、笑った。

 もう二度と、彼を思い出さないことにしよう。
 彼との思い出は、ここから始めればよいのだから。



***





-Fin-







フラフラ小説ということで、最初お話の骨組みの件でちょっとやり取りをさせていただいたのですが、
こんなにまで素敵な作品になって送られてきてくれるなんてととても感動してしまいました。(毎回ですけれど。笑
でも、今回の感動は前回のビビエコの時の感動とはまた違った心の動きがありましたね。

今回の物語はフライヤということで、少しテーマが重くなるだろうなあと思っていました。
しかしラストはとても爽やかな気持ちになりましたし、こういうすぅっと風が吹き抜けるような終わり方、とても好きです。

ジタガネのように甘いような酸っぱいような恋ではなく、ビビエコのような可愛らしく切ない恋でもない。
フラフラは私には超えることのできない壁の向こうにあるような、そんな恋の形だったのです。
相手に忘れられても、再び恋をするなんてこと、実際考えたら計り知れない。
すべて、愛ゆえなのだなぁと苦い思いをかみ締めたのでした。
それでも完全に消化したわけではなく、今も簡単に言い表せられないけれど。
ああ、もう一度読んだらまた違うものが描きたくなってしまいましたよ。笑


ではではせいちゃん、お誕生日おめでとうございました!また来年も是非★

2004.12.19 リュート






今年のE-flowは開催自体が危ぶまれていたというか、私が復帰したのがギリギリの時期だったので
お声を掛けていいものかと躊躇しました・・・けど、結局「今年もやりたい〜!」という気持ちが勝ちました(笑)
リュートさんも快諾してくださり、こうして活動を復活させることが出来ました。今、感無量です(^^)

今回は「フラフラ」というお題と、どの辺りのシーンを使おうかという大まかな内容を元に書き始めたんですが、
途中で踊り子なフライヤ姐さんを書きたいという欲望がむくむくと湧いてきたことから、こんな話になりました。
りゅーちゃんの踊り子フライヤが目に浮かんできたとき、もうこれは書くしかないと!
そして、ご覧下さいこの素敵なイラスト・・・v もう、私の貧弱な想像力をはるかに超えた美しい舞姫でございます(^^*)
しかもしかも、その舞姫をじっと見つめるフラットレイ様の瞳が・・・(>▽<*) クラクラ〜(惚)
こんな目で見つめられたら、フライヤじゃなくてもドキドキしますともv(笑)
今も昔も、フライヤの心を動かすのは彼の熱い想いなのだろうと思います。幸せになって欲しいですね!

今年も誕生日をお祝いし合うことができて、とても嬉しかったです。
りゅーちゃん、ありがとうございました! また来年もお祝いしましょう♪

2004.12.26 せい




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