突然大きな笑い声が響き、酒場中の客や店員たちまでもが、その笑い声を立てた彼女に注目した。 笑っているのは、褐色の肌をした賞金稼ぎの女だった。その横には、不貞腐れた顔をした大柄の男が座っていた。炎のような色の髪をした、とにかく目立つ男だ。 「それで賞金首になっちゃったわけ、ダンナってば……っ!」 彼女はまだ笑っていた。一度火がつくと、なかなか止めることができないのだ。 隣の男は、面白くなさそうな顔でグラスを煽っていた。 大体、その話をどこから聞いてきたのだろう。久しぶりに顔を合わせたと思えばその話だ。もちろん、彼は一言も喋ってはいなかった。それどころか、この店に入って一度も喋っていなかった。 「賞金稼ぎのコネで聞いたのよ」 考えていたことを読んだかのように、賞金稼ぎの女――ラニはそう言った。 「オオモノの首が懸かったってね。誰かと思ったら、あんたじゃない。可笑しくて可笑しくてお腹が捩れたわよ」 「ふん」 賞金首の男――サラマンダーは、不機嫌そうに鼻を鳴らした。自分の首に賞金が懸かろうが懸かるまいが興味はなかった。ただ、喧嘩を売られれば買うだけだ。 「いつか私があんたを狩ってあげるわよ」 ラニは楽しそうに言った。 「お前じゃ不足だ」 「何よ、それ」 これでも有名人なのよ? と、ラニは片目を閉じて見せた。 * 蛇の道は蛇とはよく言ったもので、物心ついたときから裏の道に生きてきたサラマンダーと、賞金稼ぎを生業にしているラニとが出会ったのは、偶然でもなんでもなかった。 その頃、サラマンダーは賞金首を追う大掛かりな組織に雇われていて、賞金の懸かった賊を追っていた。数人のチームで随分派手にやっているらしい賊だった。サラマンダーには興味もなかったが、三度の飯が出るので参加していた。 ラニはその頃から単独で狩りをしていて、奴らのアジトに踏み込んだ時、彼女もその場にいた。 そして全てが済んだ後、彼女が噛み付いてきた。 「私の獲物よ!」 「ふざけるな、こっちがやったんだ」 サラマンダーと一緒に来た仲間の男がそう言った。 「私が先に目を付けたのよ。邪魔したのはそっちでしょ!」 にじり寄って来るのを男が振り払おうとしたが、ラニはひどい癇癪を起こしていた。 そして、「どうにかしろ」と押し付けられたのがサラマンダーだった。 どうにかしろと言われても、どうすればいいのか彼には皆目わからなかった。ラニはしばらく膨れっ面を通していたが、サラマンダーが行きつけの酒場に案内してやると、急に大人しくなった。 「……何ここ」 「酒が出る店だ」 「そんなこと見ればわかるわよ!」 確かに、テーブルもカウンターも、酒を呑む客でごった返していた。 「女連れでこんな店に来るわけ、あんた」 「悪いか」 悪いに決まっていた。何しろ、客という客が柄の悪い男たちで、ラニのような若い女は一人としていなかったのだ。 「詫びを入れるのにこんな店なわけ」 サラマンダーは困ったようにラニを見た。年端も行かないように見えたが、気の強さはなるほどピカ一だ。 「もういいわよ、警備隊に言ってやるわ、あんたたちに乱暴されたって」 「待て」 「こっちがあの場所までおびき寄せた獲物だもの、私にも権利があるはずよ」 サラマンダーは、おや?という顔で黙った。ラニの言い草では、何となく「最初からその場所と決まっていた」ような口ぶりだった。 「間抜けなのね、ダンナ」 ラニはふん、と鼻を鳴らした。 「みんなグルだったのよ。知らなかったのはあんただけなんじゃない?」 * 「相変わらずデートのセンスないわね、ダンナって」 ラニが、再びその思考を読んだように言った。 「女の子がきゃあきゃあ喜ぶような場所の一つや二つ、準備しておいたら?」 「……必要ねぇ」 「あら、必要ならあるじゃない」 と、ラニは妖しげな笑みを浮かべる。 「そこに私を連れてけばいいのよ」 その言に、サラマンダーはうんざりして黙り込んだ。 「ダンナの誘いだったら、仕方ないからスケジュール空けてあげてもいいのよ?」 ラニは嫌味な笑みを浮かべてサラマンダーを見ていた。 ラニには夢があった。お金持ちになって、名声を手に入れて、セレブのような生活をするのが彼女の夢だった。 賞金稼ぎの仕事は血生臭かったが、それでも「悪を挫く正義の味方」の地位は約束された。それなりには満足できる報酬も与えられた。 だから、こんな裏の道を行く男を相手にしている暇はないのだ。ましてや、賞金首の男など。 それなのに、久しぶりにその姿を見掛けた時、ラニは思わず声を掛けていた。 「狩人のラニとはあなたのことですか」 と、突然名を呼ばれ、ラニは驚いて呑みかけのグラスを取り落としそうになった。 「誰よ」 サラマンダーもちらりと振り向いた。どこかで見たことのあるような顔の女が、彼らの後ろに立っていた。両脇に二人ほどお付きを従えているところを見ると、名の知れた人間かもしれない。しかし、二人は付き従っているというより、むしろ監視でもしているかのような目をしていた。どこか妙だとサラマンダーは思った。 しかし、彼には関係のないことだ。サラマンダーは再びそっぽを向いた。 「あなたに仕事です」 「名乗ってくれなきゃ受けないわよ」 「……私は、アレクサンドリアの将軍ベアトリクスです。ブラネ女王陛下より、あなたの凄腕を見込んでのご依頼があります」 女は一際声を潜めて、そう囁いた。 「ブラネ女王?」 ラニは首を傾げた。そんな大物に名指しされるような覚えはない。 「トレノでは有名な賞金稼ぎだそうですね」 「……まぁね」 「ご依頼は、あなたの得意分野のはずです」 「どういうこと?」 「陛下は、アレクサンドリアのガーネット姫、その連れのシッポ男と、とんがり帽子の子供を探して欲しいということです。人探しはお得意なのでは?」 「シッポ……」 サラマンダーが、後ろを向いたまま呟いた。 「成功すれば、陛下より褒賞を頂戴できます」 ラニは「ふぅん」と気のない素振りをした。 「一国の王ともなれば、それなりにははずむんでしょうね」 「もちろんですとも」 「例えば、貴族の地位を欲しいと言ったら頂けるのかしら?」 「成果を上げさえすれば、陛下は何でも欲しいものを与えてくださるでしょう」 「いいわ、一枚噛んでも」 その返答に、女は一瞬がっかりしたような目をした。逆に、両脇に控えていたお付きたちは安堵し、険しかった目線が一瞬弛む。 「俺も雇われたい」 そこへ、サラマンダーが急に割って入った。 「その人探しとやらに、な」 「誰です、あなたは」 ラニの隣に座っていたのは気付いていたが、こちらの話を聞いているとは思わなかったらしい。驚いてサラマンダーを見る。 「この人はね、裏稼業世界NO.1の男よ」 ラニは可笑しそうにそう教えてやった。 「……なるほど」 彼女は、サラマンダーの顔をじっと見つめた。値踏みされているらしいと、サラマンダーはそう思った。 「あなたのことも、女王陛下に報告しておきましょう。二人とも城へ行き、陛下からご指示を頂くように」 命令されたことが面白くないのか、ラニは鼻を鳴らして背を向けた。カウンターに向かって飲みさしを口元へ運ぶ。氷が溶けすぎて薄くなっていた。 サラマンダーもそれに倣おうとした、その瞬間だった。お付きの二人が一瞬目を離した隙に、ベアトリクスと名乗ったその女は、サラマンダーの耳元に口を寄せた。 「どうか、女王陛下のご命令が遂行されないよう、見張っていただけませんか」 サラマンダーは驚いて、彼女を見た。 「お願い致します」 何か訳があるらしい。隻眼が必死な色をしていた。 「……気が向いたらな」 そう答えると、ベアトリクスは少し安心したような顔をして、素早く体を起こした。 「では、宜しく」 相変わらずお付きに監視されながら、彼女はその場を後にした。 「で、なんでダンナも来るのよ」 ラニが不機嫌そうに言ったが、サラマンダーは答えなかった。 ブラネの船隊が召喚獣によって全滅に追い込まれたのを、ラニも遠巻きに見ていた。あまりにも呆気なく、あまりにも無残だった。 地位も権力も財も、失う時はあっという間なのだ。そして、失ってしまえば後には何も残らない。紙くずよりもっと価値のないものにしかならないのだ。 ラニは行く当てもなく彷徨っていた。 霧の大陸に戻る術はなかった。フォッシル・ルーは木の根が邪魔して通れそうになかった。 食料も回復薬も底をついた。このまま自分も死んでゆくのだろうか、と、そんな考えが頭を掠める。 地位を得ることがなんだというのだろう。権力を手にすることがなんだというのだろう。大金持ちになったところで、この荒野では何の役にも立たない。 ラニは絶望的な気持ちになった。もう、戦う気力も湧かなかった。 しかし、モンスターに突き飛ばされて気を失い掛けた時、どこからかモーグリが数匹駆け寄ってきた。 「大丈夫クポ?」 「大変クポ、ケガをしてるクポ」 「村へ運ぶクポ!」 どうして彼らが自分を助けたのか、ラニにはわからなかった。モーグリたちは必死になってマダイン・サリの村へラニを運び込み――小柄な彼らにとってはさぞ骨が折れただろう――、こんな辺境の村では貴重に違いないアイテムを持ち出して、介抱してくれた。 「……なんで私を助けたの」 やっとベッドに起き上がれるようになって、ラニは側にいたモーグリにそう尋ねた。 「倒れていたからですクポ」 「だって、あんたたちのご主人に酷いことしたのよ、私」 「それとこれとは別ですクポ。例え悪人であっても、敵であっても、傷つき疲れ果てた人がいたならば、どんな人にでも我々は手を差し伸べるでしょう」 「―――わからないわ」 「命は何よりも大切なものです。命を救うのはモーグリにとって当たり前のことなのです」 ラニはモーグリの顔をじっと見つめた。モーグリのくせに、仙人のようなことを言うと思った。 「怪我が治るまで、いつまででもゆっくりして行ってくださいクポ」 そして、モーグリたちはエーコにしたことを責めることもなく、甲斐甲斐しく世話してくれたのだった。ラニは、生きていて初めて良心の呵責に苛まれた。 急に霧が酷くなってきた。ラニは崩れた瓦礫に登って、その様子を伺っていた。 「何かわかったクポ?」 「いいえ、何も見えないわ」 「きっとイーファの樹に何かあったに違いないクポ」 ラニはそちらの方に目を移した。 「……何かしら、あれ」 「何か見えたクポ?」 「変な光が見えるわ」 大きな飛空艇が村へ着陸したのは、それから数日後のことだった。 何でも、クジャという男がこの星諸共死のうとしているという話だった。 それを止めるためには、あの光を通ってクリスタルの世界へ行かねばならないという。 「だって、危険じゃないの? 帰ってこられる当てはあるの?」 「ないさ、そんなもん」 ジタンが事も無げにそう言った。 「だからって、放っておくわけには行かない。それがみんなで出した答えなんだ」 「どうしてそんなに一生懸命になれるのよ……」 ラニはサラマンダーを見た。壁に凭れたまま興味もなさそうに明後日の方を向いていたが、気持ちはシッポの少年と同じらしかった。 「大切だからだよ。この星が、この星に暮らしている全ての人たちが……全ての生き物たちが、さ」 「わたしたちは守りたいの。この星に住むたくさんの命を」 ばっさりと髪を切ってしまった王女は、もう迷いもないという顔でそう言った。 ラニにも、今ならわかる気がした。 実際、地位や権力や財と同じように、命もまた呆気なく消えてしまうものなのだろう。 しかし、命だけは、ただ消えていくだけのものではなかった。 命は、後に新しい命を残していくものだ。そうして、命は永遠に受け継がれ、続いていく。 命が受け継がれていくことに比べ、地位や権力や財など、なんとつまらないものだろう。そんなもののために命を懸けるなど、なんと浅はかなことだろう。 「あんたも星を救うために行くの?」 夜が更けて、ラニは一人で煙草を吸っているサラマンダーにそう声を掛けた。物見やぐらのようになったその場所から、イーファの樹が闇夜に不気味な光を落としているのがよく見えた。 「……悪いか」 「悪くはないけど……驚いたわ。変わったのね、ダンナ」 一番意外なのは、この男がそんな勇者然とした考えをするようになったことだった。 サラマンダーは答えず、星空に向かって煙を吐いただけだった。 「帰ってきてよね、ちゃんと」 「さあな」 「ダメよ、帰ってこなかったら許さない」 サラマンダーは鼻を鳴らして笑った。まるで、お前の許しなど必要ないだろうと言っているようだった。 「約束したじゃない、女の子がきゃあきゃあ喜ぶような場所でデートするって」 「俺はしてねぇぞ」 「なら、今ここで約束してよ」 馬鹿らしいとでも言いたげに、サラマンダーは側の岩に押し付けて煙草の火を消した。ラニが知っている限りで、一番優しい消し方をした。 この男は、本当に変わったのだ。 それが、自分がもたらした変化でないことが、ラニには悔しかった。 「ダンナ」 宿所に帰ろうとするのを、呼び止める。 「無事に帰って来られるおまじない、してあげようか」 彼は振り向いたまま、訝しそうな表情で見ていた。 「ちょっと、目を閉じてみて」 ラニは近付きながらそう請うた。 「何を……」 「いいから、言う通りにしてよ!」 疑わしそうな顔をしながら、サラマンダーは言われた通り目を閉じた。 ラニは、その顔をじっと見つめた。考えてみれば、こんなに無防備なところを見たのは初めてだ。目を閉じているサラマンダー。死んだのでなければ、他には考えられないシチュエーション。 鍛えられた両腕をゆるりと拘束すると、サラマンダーは目を開けそうになった。が、それより早く、ラニは目いっぱい背伸びして、その顎に唇を寄せた―――残念ながら、そこまでしか届かなかったのだ。 その瞬間、サラマンダーはぎょっとしたように目を見開いた。 「効果抜群なんだから」 両腕の拘束を解き、ラニは彼が何か言う前にその場を立ち去った。
-Fin-
|