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「あれ? ブランクは?」
と、ジタン。
「兄キっスか?」
「あ、ブランクだったらさっき出掛けたずら」
シナが答える。
「げ〜! 今日、オレとブランクが掃除当番なのに〜〜」
ジタンは頬を膨らませ、シナに向かって抗議した。
が、「おいら知らないずら」と言われてはどうしようもなかった。
仕方なく、ブーブー言いながら各個室のごみを集めて回る。
途中、ルビィに呼び止められた。
「なんだよ」
と、幾分不機嫌な声色で振り向くジタン。
「ご苦労様。ブランクおらんの?」
「出掛けたんだってさ。ったく、おかげでオレ、一人で掃除しなきゃなんねぇし」
ルビィは答えず、ジタンの青い目をじっと見た。
「……なんだよ」
「ジタン、あんた気ぃ付いてへんの?」
「何が」
「ブランク、最近様子おかしいと思わん?」
ジタンは驚いて目を見開き、数度瞬きした。
「そうかな」
「うちは、そう思う」
ルビィが重ねて言うと、ジタンは所在なさげに目線を彷徨わせた。
「あんたも気ぃ付いとるんやろ? せやけど、気ぃ付かんフリしとるんやない?」
ジタンはそっと息を呑むと、観念してルビィの目を見た。
「何があったんだと思う?」
真っ直ぐな訊きように、ルビィは苦笑を漏らした。
「そこまでわかったら苦労せぇへんし」
「……うん」
「どこ行ったんやろね。あんたみたいに、出ていってしもうたんやないとええけど」
途端、ジタンは不安げに眉を寄せた。
「ブランクはそんなことしないだろ」
「どうやろな」
ルビィは呟くように言った。
それから後、ジタンの掃除はかなり上の空なものになった。
元々掃除など得意でも好きでもないのだから、後でバクーが点検したら、きっと大目玉を食らうだろう程の出来栄えである。
が、ジタンは頭の中でぐるぐると思索を繰り返していたため、そんなことには全く気づかなかった。
しかし、しばらくして、彼の思考を一気に断ち切る出来事が起こった。
自分たちの部屋の屑入れをひっくり返し、中身をゴミ箱に移そうとしたところ。
見覚えのない紙くずが一つ落ちてきた。
「……なんだ?」
拾い上げ、くしゃくしゃの塊を開いてみる。
数字の羅列をしばらくの間ぼんやりと眺め、ようやくその意味を会得した。
瞬間、彼は部屋を飛び出した。
***
どうしてここへ来てしまったのか。
ブランクには、自分で自分がわからなかった。
でも、目の前のこいつと―――この世で最も憎い女と、自分の血が繋がっていることは否定できそうになかった。
ブランクはぎゅっと拳を握り締め、睨めつけるように墓標を見つめた。
風雨に晒され、既に名前もはっきりとは読めない。
こんなところに一人埋葬され、土の下で寒くないだろうか……と。
一瞬そんな思いが胸を掠め、ブランクは慌てて頭を振って、それを追い出した。
何を同情してるんだろう。
こいつが、俺の人生全てを狂わせたのに。
「捨てるくらいなら、最初っから……」
生むなよ、と言いたかったのに、声は出なかった。
自分の存在が、ひどく矛盾してる。自分の命が矛盾してる。
俺って、何なんだろう?
どうして生まれたんだろう?
日が傾いて、夕闇が迫っていた。
墓地には人っ子一人見えない。
まるで、世界からここだけ取り残されたように、全てがうらぶれて見えた。
……自分も、含めて。
やがて、一つの足音が向かってくるのが聞こえた。
はっとして顔を上げると、信じられないほど派手な格好に派手な化粧の女が一人、申し訳程度の花束を持って立っていた。
この色のない場所で、明らかに一人浮いていた。
「あら?」
と、女は煙草で掠れたような声で呟いた。
「坊や、どちらさん?」
ブランクは答えず、口を真一文字に結んで立ち尽くしていた。
「あ、もしかして。ネエさんの息子じゃない? やだ、生きてたんだ。悪運強いんだね、坊や」
ブランクは俯いた。
「この人ね、去年死んだんだよ」
「……知ってる」
「そっか。体悪くして、あっという間にね。せっかく借金返し終わったのにさ」
女は懐から煙草を取り出して火をつけると、人生なんてそんなもんなんだよね、と、言った。
「ネエさん、こう言っちゃなんだけどかなり不幸な人だったと思うよ。あたしだったら、あんな人生はゴメンだよね。借金のカタに店に売られて、お客の子供生んで、挙句、コブ付はいらないとか言われて、ほっぽられて。店変わってからも両方から絞られて、結局手元には一銭も残らなかったもんだから、誰もまともな墓には入れてくれないしさ。こうやって墓参りするのもあたしだけだろうよ」
彼女は、自分がどれだけ「ネエさん」に世話になったか、耳を塞ぎたくなるような話を織り交ぜつつ語った。
「ま、さ。あたしくらいしか親しかった人間もいないし、こうやって来てたんだけど。そっかぁ、息子が生きてたのかぁ」
彼女は笑った。
「恨んでるんでしょ、お母さんのこと」
ブランクは沈黙を守った。
「いいじゃん、仕方ないよ。あたしがあんたでも恨むよ」
彼女は吸殻を足元に落とし、再び煙草を取り出して火をつけた。
「まぁさ、ネエさん、あんたのせいで店追い出されたようなもんだし。あんたのこと捨てた後だって、一度もあんたのことなんて思い出しもしなかったよ、きっと。どうせなら生まないでくれた方が幸せだったろうに、可哀想にねぇ、あんたも」
不意にブランクの胸に怒りが込み上げてきたが、彼は変わらずに黙りこくっていた。
「そういう感じ、ネエさんに似てるね。何もかも全部諦めて、仕方なく生きてる、って感じ」
女は鼻で笑うと、二本目の煙草も落とし、高いヒールの踵で火を消した。
「じゃ、あたしは行くから」
手を振って去っていく女を、ブランクは決して見なかった。
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