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 赤い絨毯の両脇に、女中衆が一列に並んでいた。
 忘れ去られた大陸での戦いが一段落し、兵士たちがアレクサンドリアへ戻る日。
 その日は、女中たち総出で彼らを迎えた。口々に、労いの言葉を掛けながら。
 ダイアンは、その光景を見るのが嫌いだった。
 罪のない命をこの手で奪ってきたことを、讃えられてでもいる気がするから。
 そして、その列の一番奥に、彼の姉――エメラルド女王が凛と立っていた。そんな時の彼女は、母親によく似ていた。


「お帰りなさいませ」
 列の最後に並んでいた女中が、ひょこっと列を離れて、ダイアンの側へ控えた。
 ダイアン付きの女中で、名はステラといった。城仕えも長くなり、居住区の女中衆のサブチーフを務めるまでになった彼女だったが、未だにどこか幼さの抜けない仕草をした。
「ただいま」
 女王への報告を済ませたダイアンがざわつくホールを後にして自室へ向かうと、ステラはぴったりとくっついて歩き始めた。
「お疲れでしょう、湯殿を用意しておきました」
「ありがとう」
 ふわりと、はしばみ色の瞳が笑った。ステラはその目が好きだったが、それを見るとどうしても心が乱れた。
 彼の目には、いつも哀しみが付きまとっていた。


 ダイアンが埃と血にまみれた騎士鎧を脱ぐのを、ステラはいつも手伝いたがった。
 真っ白な女中服や細くてか弱そうな指を汚したくなくて、ダイアンはいつもそれをやめさせようとした。
 しかし、彼女は頑なだった。
 それが自分の仕事だと思っているのだ。
「ダイアン様は、私の命の恩人です」
 鎧の紐を解きながら、ステラは何度もそう繰り返した。
「身の回りのお世話は、全て私がいたします」
 そんな仰々しいものじゃないよ、と、ダイアンも何度も繰り返したけれど、ステラは首を横に振って、「ダイアン様がいらっしゃらなければ、今の私はないのですから」と食い下がった。
 そうして、彼が遠征で身に浴びた『罪』を、全て取り払ってしまうのだった。


「ダイアン叔父さま」
 小さなノック音の後、黒髪の小さな頭がドアの隙間から覗いた。
「やぁ、ガーネットじゃないか」
 ソファで寛いでいたダイアンが身を起こして名を呼ぶと、うふふ、と可愛らしい笑い声がして、「お部屋に入ってもいいですか?」と訊ねる。
「どうぞ。父上にはもうお帰りなさいのご挨拶をしたのかな?」
「はい」
 まるで仔うさぎのように、ガーネットは叔父の胸元へぴょんと飛び込んだ。
「おや、小さな姫君は、叔父さまにはご挨拶してくれないのかい?」
 うふふ、ともう一度笑うと、ガーネットはぴょこんと立って、スカートの裾を摘んで「お帰りなさいませ、叔父さま」と膝を折った。
「上手にできるようになったね」
 そう言って、ダイアンはガーネットの頭を撫でた。姫君は頭を撫でられるのが好きで、そうしてやると本当に嬉しそうに笑うのだった。
「ガーネット様、美味しいクッキーがございますから、叔父さまとご一緒にお茶を召し上がりますか?」
 ステラがお茶の用意をして部屋へ戻り、そう言ってガーネットを誘ってくれるのもいつものことだった。
「はい!」
 ガーネットは、ダイアンの部屋でお茶をするのが大好きだった。
 ダイアン叔父さまの大きな手は、それでもお父さまの手よりずっと華奢で繊細だった……彼女はまだその言葉を知らなかったけれど、とにかくそうだった。その手で抱き上げられ、椅子に座らせてもらうのが大好きだった。
 座らせてもらって、「ありがとうございます」とお礼を言うと、決まって頭を撫でてくれた。叔父さまの手はとてもがっしりしていて、でも優しくて、暖かなのだ。
 それから、叔父さまはステラと何かを相談した。お茶の葉っぱは何がいいとか、ガーネットの好きなケーキの種類だとか、そういったことだった。
「あのね、叔父さま」
 自分の前にクッキーのお皿が並べられるのを見ながら、ガーネットは口を開いた。
「叔父さまとステラがお話をしている時はね、まるでお父さまとお母さまがお話している時みたいなのよ」
「おや」
 ダイアンが片眉を上げて、ステラを見た。彼女はクスリと短く笑って、
「ガーネット様の母上様は女王陛下ですもの、恐れ多いことですわ」
 と、諌めるような声で注意した。
「でも、本当なのよ」
 ガーネットは尚も言い募った。
「とっても、仲良しさんなのよ」
 しかし、ダイアンが目配せをすると、ガーネットは何度か瞬きして、口を閉じた。
 ―――どうしてか、この叔父はそのことについてあまりお話しをしたくないらしい。
 小さなガーネットにも、そのことははっきりと感じられた。



***



「縁談を断ったって聞いたよ」
 ダイアンの表情が険しいので、ステラは思わず首を竦めた。
 ガーネット様がいてくれた方がありがたかった……と、思わずそんなことを思ってしまう。
「待たなくていいって言ったはずだ」
「……はい」
 仕方なく、といった声で、ステラは返事をした。
「忘れてないんだね?」
「はい、覚えております」
「ならどうして……」
 どうして、いつも待ってるの。結婚するならもう遅いと言っていいくらいの年頃なのに。
「ダイアン様こそお忘れですか?」
 ステラは唇を尖らせた。どうしてもそんな表情をすると、この城に来たばかりの頃の少女の面影がちらついた。
「私は必ずダイアン様をお待ちしておりますと、いつも申し上げておりますでしょう?」
「だから待たなくていいと……」
「いいえ。お待ちしております!」
 見る間に頬が膨らんで、本当に幼い少女のような顔になってしまった。
 その顔を見ると、ダイアンはいつも噴き出してしまうのだ。
「あはは、ステラ。そんな顔を女中頭に見せるんじゃないよ」
「ええ、見せませんとも。ダイアン様みたいにわからないことばっかり仰いませんから」
「わからないのは君だろう」
「私は、ダイアン様のお側から離れません。死んだって離れません」
「おお、怖いね」
 ふふ、と彼は冗談めかして笑った。
 そして、ふと真面目な顔に戻って、こう念を押すのだった。
「でもね、ステラ。本当にいいんだよ。本当に待たなくていいんだ」
 その瞬間が、ステラは一番嫌いだった。
「僕は、次もまた帰ってこられるかわからないのだから、ね」







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