その恋、朝露のごとし






<1>


 剣と剣の交わる音がする。
 エメラルドは触れていた薔薇から手を離し、顔を上げた。
 「男児たるもの、剣術ぐらい心得ねば」というスタイナー隊長の進言を受け、弟のダイアンは六歳から剣を握って、もう十年にもなるのか。
 毎日訪れるこの薔薇園にも響くような力強い音が出るようになったのも最近のこと。
 いつの間にか伸び始めた背は、もう姉に届くくらいになった。
 とは言っても、男の子にしては小柄なことに、ダイアンは気を揉んでいるようだけれど。

「お姉さま〜〜!」
 頭上の方から声がする。
 城の窓から身を乗り出し、妹のサファイアが手を振っている。
「今行くから!」
「ちょ、ちょっと、サフィー!」
 彼女は窓から飛び出すと、ぴょ〜ん、と空中落下。
 しかし、何事もなかったように地面に着地した。
「危ないじゃない!」
「あら、平気よ。たった三階だもの」
「あのね、サファイア。普通三階から飛び降りたりしたら怪我するものよ」
「あたしはしないわ」
 にっと笑うと、辺りを見回した。一月に入ったばかりというのに、綺麗な早咲きの薔薇が咲き誇っている。
「あなた、本当にお父さまに似てるんだから」
 エメラルドが言うと、サファイアはむっとした顔をした。
「それ、言わないでって言ってるでしょ?」
「だって似ているんだからしょうがないじゃない」
「お父さまなんて大ッキライ!」
 サファイアはくるりと向こうを向いてしまった。
「サフィー、そんなこと言うと、お父さま悲しがるわよ。あなたが可愛くて仕方ないんだから」
「あたしは、キライなの!」
 どうも、反抗期なのか。
 妹は父親を毛嫌いしている。
 しかし、その髪の色も、目の色も。生えた尻尾も。
 しぐさや身のこなしまで、サファイアは父親に似ていた。
 エメラルドは小さく溜め息をつき、側の薔薇に剪みを入れた。
「それ、お母さまに?」
「ええ。お部屋に薔薇の花を飾りたいっておっしゃってたから」
「ふぅん」
 サファイアは特に気にも留めず、そこいら中を歩き回っていた。
「―――戦になるんですって」
 エメラルドは小声で囁いた。
「……ふぅん」
「お母さま、心を痛めておいでだわ」
「でも、仕方ないんでしょ?」
「ええ。最近モンスターの動きが活発化し始めているから」
 サファイアは答えず、側の薔薇を手折った。
「お兄さまも、行くの?」
「行かないと思うわ。お父さまが行かせないっておっしゃってたから」
「でも、それじゃぁ……」
 サファイアは、そのまま押し黙った。
 王家に生まれた王子が戦争に行かずに済むことが社会問題になっていることは、エメラルドたちも知っていた。
 それでも、両親は屈さなかった。
「お兄さま、自分は行く気だって言ってたけど」
 サファイアは呟いた。
「戦なんてなければいいのにね」
 手で弄んでいた薔薇の花を髪に挿すと、サファイアは「じゃぁ」と言って走り去っていった。
 ―――本当に、戦なんてなければ……。






 ひと月ほど前のこと。
 やはり、こんな風に庭で花を摘んでいたとき。
 よく響く剣の音を聞いて、普段したこともないのに不意に弟たちの稽古場を覗きに行った。
 弟のダイアンは小柄で、スタイナー家の三兄弟とは剣の腕も雲泥の差。
 それでも熱心な彼を、エメラルドは姉として微笑ましく見ていた。
 ―――今と違い、その頃はまだ平和だった。
 こんな穏やかな日が、留まることなく流れていくことに疑いさえ持たなかった。
 ダイアンの稽古の相手を買って出てくれるのは、いつも三男のウィリアム・スタイナー。
 他の二人はあまりにも腕が立ちすぎて、弟の相手にはならない。
 彼らは、彼らの父親同様、少し離れたところで稽古の様子を見守り、必要な時にはアドバイスを与えるのだった。


 その日も、弟の相手は三男のウィリアム。
 ダイアンはかなりムキになって剣を振るっている。
 しかし、相手は丈高い騎士。思うようには戦えない様子だ。
 エメラルドは少し微笑んだ。
 あの子は、剣術より内政の方が向いているんじゃないかしら?
 その瞬間。
 カシン、と、剣を落とす音が聞こえて。
 石畳の地面にぽたぽた血の染みが出来た。
 一瞬はっとしたエメラルドは、落ちた剣がダイアンのものでないことに気付く。
「まぁ、大変……」
 どうしたことか、ウィリアムはダイアンの切っ先に斬りつけられ、腕に怪我を負ってしまったようなのだ。
 スタイナー隊長が彼の剣を拾い上げ、「何をやっておるか」と叱責した。
「よそ見などしおって」
「すみません、父上」
「もうよい。お前は少し休んでいなさい」
 俯いたまま、彼は離れたところに腰掛けた。
 ダイアンはびっくりしてしまって、目を見開いたまま棒立ちしている。
「申し訳ありませぬ、ダイアン王子」
 スタイナーが声を掛ける。
「ごめんね、ウィル。大丈夫?」
「なに、体だけは丈夫ですから、お気になさることはないのです。よそ見しておる方が悪いのですからな」
 スタイナーに諭され、ダイアンはようやく気を取り直した。
 今度は次男のチャールズが剣を取り、ダイアンの練習相手となった。
 その様子を、ウィリアムは幾分青ざめた表情でじっと見ている。
 エメラルドはぐるりと遠回りして、こっそり彼の傍へ行った。
「ウィリアム様」
 小声で声を掛けると、彼はびっくりしたように振り向いた。
「あ、あの、エメラルド姫……」
 エメラルドは口唇に人差し指を当て、静かに、と囁いた。
「腕、お怪我をされたのでしょう?」
 彼は表情を曇らせた。
「ご覧になっていたのですか……」
 エメラルドは構わず、彼の腕をそっと持ち上げると、ケアルの呪文を唱えた。
 淡い光が漏れる。
 光が収まってから、エメラルドは尋ねた。
「いかがですか? もう痛みません?」
 ウィリアムは驚きのあまり、返事もできない様子だ。
 ―――おかしな方ね。白魔法なんて珍しくもないでしょうに。
「いつも弟がお世話になって、ありがとうございます。あの子とお稽古されるのは、さぞ骨が折れますでしょう? 本当にありがとう」
 エメラルドはにっこり微笑み、立ち上がった。
 いつも稽古を見学している父親が、こちらを見ている。
 あまり長居をしてウィリアムに迷惑を掛けても申し訳ないので、エメラルドは「それでは」と言い残し、その場を去った。





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