<10>
久方ぶりの恋人の帰還を喜ぶ姉に、サファイアも何となく嬉しかった。
薔薇園のベンチで何時間も寄り添って話し込んでいる二人を窓から覗き込み、サファイアは溜め息をついた。
「どうした、サフィー。元気ないね」
読んでいた本を閉じ、ダイアンは立ち上がった。
「何でもないわ」
「そう? 姉上は心配してたよ。サフィーの元気がないって」
「……」
サファイアは窓から離れた。
「お姉さまはいいわね。気持ちを素直に表現できて」
「……サフィーは出来ないの?」
「あたしは、そういうの苦手」
サファイアはソファーに腰を下ろし、背もたれに寄りかかった。
―――もし、相手が騎士だったとしても。
貴族の息子だったとしても。
自分は躊躇うのだろう。
扉越しに誰かが彼女を呼んだ。
「サファイア様、お客様ですが……」
「どなた?」
サファイアは扉を開ける。
「リンドブルムの、タンタラスの方です」
―――。
「男の方?」
「いえ、女の方で、お名前が―――リアナ様です」
新米の守備兵はメモを見ながら言った。
「どういう方? お父さまにご用事なのではないの?」
「はい。ブランク様のお嬢様で、サファイア様に直接お会いしたいと」
―――おじさまの、娘?
「わかりました。お通ししてください」
守備兵が敬礼し、扉が閉まると、ダイアンはふむ、と頷いた。
「なるほど、姉上のおっしゃっていた通りかも」
「何が?」
サファイアは振り向いた。
「好きな人ができたんじゃないかっていう話」
「誰に?」
「サフィーに、に決まってるだろう?」
途端に、サファイアは顔を赤くして憤慨した。
「そんなことないわ!」
「相手はタンタラスの人?」
「やめてよ、お兄さま!」
ダイアンは泣き出しそうになった妹の頭に手を置いた。
「ごめん」
サファイアは顔を背けた。
コンコン。ノックの音がする。
「お客様がおいでです」
ダイアンが扉を開ける。
プラチナ色の髪にブルーグレーの瞳の少女が立っていた。
「どうぞ。妹は今、少しへそを曲げているけれど」
「どうも」
リアナはニコリと笑った。
ダイアンが出ていくと、リアナは自分で扉を閉め、サファイアの側まで歩いた。
「こんにちは、サファイア姫」
サファイアは真っ直ぐリアナを見た。
「あの……」
「ああ、申し遅れました。わたし、タンタラスのリアナです」
「初めまして、サファイアといいます」
「初めて、ではないのですけれど、ね。エーコ嬢の結婚式でお会いしているから」
リアナは微笑んで言った。
「そうでしたの? わたし、小さかったせいかよく覚えていなくて―――」
サファイアは椅子を勧めると、自分はソファーに座り直した。
「それで、サファイア姫……」
「サフィーで構わないわ」
サファイアは途中で口を挟んだ。
「親しい人はみんなそう呼ぶから」
「それじゃぁ」
リアナはにっこり微笑むと、言い直した。
「サフィー。回りくどいのは嫌いだから単刀直入に聞くけれど、弟のジェフリーのことをどうお思いなの?」
予想通りの問いだったため、サファイアは大して驚かずに済んだ。
「どうって―――」
意味もなく、目線を指先に持っていく。
「その―――」
「好きなの?」
リアナはますます勢い込んで尋ねる。
「好きでは……ないわ」
「でも!」
リアナは思わず叫んだ。
「好きって、あなた―――」
「あれは、違うの。ごめんなさい」
サファイアは頭を振った。
「弟さんに伝えてください。からかったりして申し訳なかったって」
「からかったの!?」
リアナが立ち上がって鋭く言った。
「―――ええ、そうよ」
強い光を称えた瞳は、ぐいっとリアナに注がれた。
一瞬、リアナはぐらりとする感覚を覚えた。
―――何、この子。一体何を考えているの?
「サファイア様」
部屋の扉が開き、一瞬びっくりしたように声の主は立ち止まった。
「失礼しました。ご来客中でしたか」
「いいの、ベアトリクス。もう帰っていただくから」
「ちょ、ちょっと!」
「今日はわざわざご足路をいただいてありがとうございました」
「サファイア姫!?」
しかし、二度と再びあの瞳は彼女に向けられなかった。
リアナは立ち竦んだ。
―――サファイア姫は、決して心の扉を開かない。
なぜ? なぜなの?
***
「あれ? リアナじゃないか」
不意に呼び止められ、顔を上げる。
「ジタンおじさん!」
「どうした? 何か用事か?」
「……うん」
浮かない顔で俯く姪のような少女の顔を、ジタンは覗き込んだ。
「どした?」
「あの―――サファイア姫って……」
「サフィーに会ったのか?」
リアナは頷いた。
「彼女に会いに来たの。ジェフリーのことで」
「ジェフリーがどうかしたのか?」
「サファイア姫に夢中なのよ」
ふらり。
「―――そ、そっか」
「ごめんね、おじさん。あんなのが―――」
「あんなのって言うなよ。オレだって元はタンタラスだぜ?」
リアナは青い目を見つめた。
似てるけど、どこか違う。
氷みたいな気がした、あの子の目は。
「そっかぁ―――しかしなぁ。エミーもあれだしなぁ……」
ブツブツ。
ジタンは一人で俯いてなにやら考え込み始めた。
「ねぇ、おじさん。あたしの記憶では、サファイア王女って元気で活発な女の子って感じだったんだけど」
「うん?」
ジタンは顔を上げた。
「サフィー、元気なかった?」
「う―――ん、そういうのと違くて……」
ジタンはきょとんとした顔で見ている。
―――なんで自分の娘のことがわからないのかねぇ。
……ま、父親なんてそんなもんかもな。
「あの、ともかく。わたしジェフリーのことは何とか諦めさせてみるわ。サファイア姫、全然その気ないみたいだから」
「そうなんだ」
と、明らかに安心したような顔をした叔父のようなその人に溜め息を一つ送ると、リアナは城を後にした。
ジタンが振り向いてひどく真剣な顔をしたのを、彼女は知らなかった。
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