<2>



 夜の闇に紛れて最終便に乗り込んだのが、午後八時。
 リンドブルムにはほとんど夜中に到着することになる。
 ……たぶん、城は大騒ぎになるだろう。
 いや、いつものことと放っておかれるかも知れないけれど。
 どちらにせよ、ベアトリクスには迷惑をかけてしまうだろうな……。
 サファイアはほんの少し、眉間にしわを寄せた。
 リンドブルム行きの飛空艇にはもうほとんど客らしい客は乗っておらず、飛空艇技師のような二人組と、騎士風の男。遊び人そうな若者。もちろん、サファイアのようなうら若き娘が乗っているはずはない。
 なるべく他の乗客と顔を合わせないよう注意して、サファイアは窓際の席を陣取った。
 しばらくは、何事もなかった。
 しかし、船が国境の辺りを通過する頃、件の遊び人が声を掛けてきた。
「よぉ、あんた一人か?」
 サファイアは、当然無視した。
 アレクサンドリアの街へ繰り出しても、こんな風に声を掛けてくる輩はいる。
 対応には慣れたものだった。
「ちぇ、連れねぇな。どうせ向こうに着くまでは暇なんだし、ちょっとくらい話したっていいと思うけど」
 サファイアは窓の外を―――と言っても何も見えないけれど―――じっと眺めていた。
 遊び人は溜め息をついた。
「あのさ。言っておくけど、あんたみたいな若い女の子が一人でこんな時間、飛空艇なんかに乗ったら、結構危ないんだぜ? 変な奴に絡まれたらどうするんだよ」
「余計なお世話」
 サファイアは一言だけ返した。
 言葉の裏には「あんたが絡んでくる変な奴なんじゃなくて?」という意味が込められていたが、言われた本人は気付かない様子。
「ったく。いつも心配ばっかりかけてんだろ、ジタンのオジキに」
「―――――!」
 途端に、サファイアはびっくりして振り向いた。
「あんた、サファイアだろ?」
「な、なんでそれを……」
「だって、その髪の色、それからシッポ。よく似てるぜ」
「う、うるさいわね!」
 サファイアはその男を睨み付けた。
「怖ぇな〜……噂通り、気の強い姫さんだ」
 何事かと、騎士風の男が通路の向こうからこちらを見る。
「ちょ、ちょっとあんた、ここに座って」
 サファイアは男の腕を引っ張って隣の席に座らせ、声を小さくした。
「サファイアとか、姫とか、やめてくれない? 見つかったらヤバイんだから」
「ヤバイって……ヤバイことならするなよ」
「仕方ないでしょ。お父さまに何かあったみたいなんだもの」
「何かって?」
「わからないわよ。だから確かめに行くんじゃない」
「おいおい……」
「いい、あたしはサフィー。そう呼んでちょうだい」
「―――あ〜、はいはい。わかったよ」
「あんた、名前は?」
「俺は、ジェフリー」
「なんでお父さまのこと知ってるの?」
「そりゃぁ、俺、タンタラスに入ってるから……親父が頭でさ。ブランクっていうんだけど、知ってるか?」
「知ってるわ! じゃぁ、あなたブランクおじさまの息子なの?」
「―――おじさまってタマかよ」
 ジェフリーはじと目になってサファイアを見た。
「あたし、今からタンタラスに行こうと思ってたのよ。他に当てもないし、おじさまならあたしを戦地まで連れていってくれるんじゃないかと思って」
「それは―――どうだか」
「どうして?」
「だってさ、あんた一応王女だろ?」
 と、「王女」のところだけますます小声にしてジェフリーは言う。
「おいそれと危ないところへ連れて行くわけにもいかないし―――」
「関係ないじゃない」
 サファイアはキッパリと跳ね除けた。
「あたしは、あたしなの。身分なんて関係ないわ」
「屁理屈言うなよ―――そんなにオジキが心配なのか?」
「違うわよ!」
 突然サファイアが大声を上げたので、ジェフリーは耳を塞いだ。
「っ、なんだよ!」
「お父さまのことはどうでもいいの。お母さまが心配してて、可哀想で見ていられないのよ。お父さまなんて大ッ嫌い! いっつもお母さまに心配ばかりかけて」
「自分のことはどうなんだ?」
「あたしはいいの」
「なんだそりゃ」
「うるさいわね! 部外者は黙ってて!」
 飛空艇技師の二人連れのうち、一人がゴホンゴホン、と咳をして、「うるさいぞ」と注意した。
 二人はピタッと話すのを止め、黙ってそっぽを向き合っていた。


 やがて飛空艇はリンドブルムへと到着した。
 夜も更けて、街はすっかり静けさに包まれており、人通りもない。
 しかし、サファイアは一人でさっさと飛空艇から降り、怖がる様子もなく一人で町中へ向かおうとする。
「おい、待てったら!」
 ジェフリーが慌てて追いかけてきた。
「来ないでよ」
「俺もこっちなんだよ」
「別にあたし、一人で平気だもの。馬鹿にしないで」
「してないって」
「じゃぁなんでついてくるのよ」
「だから、俺もこっちなんだってば」
 そこで、サファイアは立ち止まった。
「じゃぁ、先に行けば?」
「―――あのなぁ……。いいから一緒に来いって」
「うるさいわね。あたしはあたしの考えで行動したいの。命令しないでよ」
「してねぇだろ」
「したじゃない!」
「だから―――」
 ポカッ!
「何やってんだ、お前は」
 ジェフリーの後ろ頭を叩いたのは、彼の父親である。
 大声で喚き合っている間にもうアジトの辺りまで来ており、言い争う声が聞こえたのだ。
「って〜! 何すんだよ、親父!」
「喧しい。で、なんでサフィーがここにいるんだ? お前、誘拐でもしてきたのか」
「んなことしねぇよ!」
 やり取りを見ていたサファイアは、割り込んで挨拶することにした。
「ブランクのおじさま、突然押し掛けてごめんなさい。どうしてもお願いがあって来たの」
「なんだ?」
「戦地に連れていって欲しいの」
「……なんだって?」
「お父さまに何かあったらしいの。今日お母さまのところに手紙が来て……。何があったのかお母さまは教えてくれなかったけど、とても心配しているみたい」
「ふぅん……」
 ブランクはしばらくサファイアの顔を見ていたが、
「俺が聞いた話じゃ、あいつ行方不明になったらしいぜ」
「行方不明!?」
 ブランクは肯いた。
「ま、大方自分の意志で単独行動取ってるってとこだろうけどな。心配いらないと思うぜ」
「どうして一人で?」
「ん〜、軍隊とかそういうのはあんまり向いてねぇからなぁ、ジタンは」
 ブランクは顎に手をやって考え込みながらそう言うと、
「ま、そういうわけだからさ。心配いらないよ」
「そういうわけにはいかないわ!」
 と、サファイアは強い口調で言う。親子はまじまじと姫を見た。
「お母さまは心配なさってる。あたし、お父さまを見つけてみんなと一緒に行動するように注意しなくちゃ。おじさま、やっぱりどうしても連れて行ってください、戦地に」
 その意地の張り様は、父親と母親の両方を合わせて受け継いだような強いものだった。
 結局、ブランクは折れざるを得なかった。





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