<4>
結局その日もジタンの姿を発見できず、彼らは再び飛空艇で夜明かしすることになった。
サファイアはジェフリーと話はおろか、目を合わすことさえしない。
あまりに頑固に無視するので、どうしたものかと、ジェフリーは本気で悩み始めた。
―――確かに、ひっぱたいたのはやばかった。
けど、どうすりゃいいんだよ、これは……!
甲板で夜風に吹かれながら遠くを眺めるサファイアを遠巻きに見つめながら、ジェフリーは頭を抱えて座り込んでいた。
しばらくして。
つと、彼女の足音が近づく。
ジェフリーは顔を上げた。
「頭でも痛いの?」
彼女は無表情のまま、そう尋ねた。
―――頭は確かにめちゃくちゃ痛いが。
なんで、いきなり? 許してくれるのか?
「あ、あの……その―――」
サファイアは、無表情なまま立っている。
ジェフリーは立ち上がった。
「ホントに、ごめん」
「―――別にいいけど」
ジェフリーは「え?」と顔を上げた。
「別にあなたに腹を立ててるわけじゃないわ。あなたの言ったこと、正しいもの」
彼女の目は、まだ無表情だ。
「サフィー……」
「でも、あなたにはわからない。あたしの気持ちなんて、なんにも。だから、あたしはあたしが嫌いだし、いなくなった方がいいって思ってるけど、あなたにはそれに関して何か言う権利はないと思うわ」
無表情なまま最後通告のように話す彼女を、ジェフリーは痛々しいと思った。
強がって平気な振りをしているけど、きっと辛く苦しい思いをたくさん抱いているのかも知れない。
―――誰にも助けてとは言えない。
一人で抱えたまま、たとえ押しつぶされてしまったとしても。
……言えば、本当に自分を否定してしまうことになるから。
「―――泣きたいときは泣いてもいいと思うよ」
ジェフリーは突然そう呟いた。
サファイアの無表情な目に、感情が生まれた。
彼女は驚いたような表情をした。
「いきなり何言うの?」
「―――自分でもよくわからない」
ジェフリーは苦笑気味に微笑むと、溜め息をついた。
「ただ、なんか辛そうだからさ。何か力になれることはないかと思って」
「ないわね」
即答のサファイアを、ジェフリーはがっかりして見つめた。
「なんでそんな意地張るんだよ、お前」
「知らないわ。気付いたら意地っ張りになってたの」
「―――へぇ……」
ジェフリーは手を伸ばし、金色に光る髪に触れた。
彼女は驚いて、少しだけ後退った。
「リンドブルムはさ。アレクサンドリアと違っていろんな人種がいるから、シッポ生えてたって、髪の色が違ったって、別に誰も気にしないけど。やっぱり、気になるよな。自分の存在―――意義?っていうの? ……何となく、わかる気がする」
「嘘よ、わかるわけないわ」
「うん―――正確にはわかってないのかも知れないけど……。でもさ、そういうのって、多かれ少なかれみんな持ってる疑問―――悩みって言うか……、個人差はあっても、みんな思ってると思うんだ。自分の生きる意味って何か、とか」
「―――――……」
サファイアは俯いた。
「俺はこの髪の色も、目の色も、シッポも、好きだぜ。なんていうか……ちゃんと存在して、自己主張して生きてる感じがして。だから、胸張って生きろよ。運命なんて、自分次第でいくらでも変えられる」
ぽつっと、滴が光って落ちた。
「……え?」
ジェフリーは慌てふためいて、思わず彼女の俯いた顔を覗き込んだ。
「――――っ、見ないでよ!」
途端に、ぐっと突き放される。
彼女は踵を返し、甲板の端まで走っていった。
呆然と、残されたジェフリーは立ちつくしたまま。
サファイアは甲板の縁へしゃがみ込むと、そのまま蹲った。
雲で翳りがちだった双子の月が、突然眩い光を放ち始める。
『紅と、蒼の月。
運命のもと、出会った二人の申し子たち―――』
どこの言葉だったっけ……?
「あたしね……」
サファイアが不意に囁いた。
「……嫌でしょうがなかった。お父さまに似てるって言われる度に、あたしは姉弟で一番、テラの血が濃いのかもしれないって思って。呪われた血だと思ったの。こんなに綺麗な星を破壊した血だから。アレクサンドリアとお母さまを傷つけた血だから。でも、そんなこと言えなかった。怖くて言えなかった。きっと、そんなこと言ったらみんなを悲しませるから。―――お父さまを、悲しませるから」
言葉が途切れ、サファイアはしゃくり上げた。
ジェフリーは黙ったまま、立っていた。
―――しばらくして、彼女はまた喋り始めた。
「あたしが生まれなければ、誰もこんな思いをしなくて済んだのにって思ったわ。みんな忘れて、幸せに暮らせたのに。あたしは呪われた子なの。悪魔なの―――」
「そんなことない」
ジェフリーは首を横に振った。
「そんなこと絶対にない」
「―――どうして?」
サファイアは立ち上がると、ジェフリーの側まで歩み寄った。
「あたしが悪魔じゃない証拠なんて、どこにある?」
「それは……」
泣きはらした目なのに。
彼女の瞳には誰にも屈しないような、力強い光が宿っていた。
綺麗な目だ、と、ジェフリーは思った。
こんな目をしているのに、どうして自分を悪魔だなんて思うんだろう?
サファイアはじっと見つめられていた間中、決して目を逸らさなかった。
挑戦的でもあるその目線は、しかし、縋るような目でもあった。
ジェフリーは笑った。
「本当に悪魔ならさ、自分は悪魔かも知れないって泣いたりしないさ。そうじゃないから怖くて泣くんだ」
サファイアは怒ったようにぐいっと眉を寄せた。
「答えになってない」
「そうか? 完璧だと思うけど」
「信じられない! あんたなんて嫌い!」
ぷいっと横を向き、彼女は船室へと走っていった。
去り際、横顔が笑っていた。
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