<7>



 この戯曲、なぜか若者より年寄りに人気がある。
 どうもわからない。ストーリーが古びている気がする。だいたい、なぜ主人公が盗賊なのだろう?
 ―――タンタラスが盗賊団だからだろうか?
 コンコン。
 突然、部屋の扉がノックされた。
 ジェフリーはびっくりして、慌てて扉を開いた。
 サファイアが、枕を抱き締めて立っていた。
「ど、どうした?」
「―――いの」
「え?」
「……恐いの」
 ―――はぁ?
 彼女は枕に顔を埋めたまま、ますます身を強張らせた。
「一緒に寝てもいい?」
 ―――はぁ!?
 一緒にだと?
「え、と、その……」
 困って彼女を見ると、埋めたままで顔は見えないが。
 肩や足が震えている。
「恐い夢でも見た?」
 ジェフリーの問いに、サファイアは肯いた。
 ―――なんだ、結構可愛いとこもあるんじゃん。
「わかった。いいぜ」
 招き入れてやると、彼女はほっとして、枕から顔を上げた。
 さすがに一つベッドで寝るわけにはいかないので、ジェフリーは床に寝袋を広げ出した。
 ベッドに座り込んでいたサファイアが、不思議そうに尋ねる。
「何してるの?」
「寝る支度」
「床で寝るの?」
「一緒に寝るんじゃ狭いだろ?」
「……そうよね。あたしったら、ごめんなさい。やっぱり戻るわ」
「いいよ、恐いんだろ?」
「……」
 彼女はしおらしく肯いた。
「じゃぁ、あたしが床に寝るわ」
「そりゃいくらなんでもマズイな。気にするなって、こんなの慣れてるから」
 サファイアは再び枕をぎゅっと抱き締めた。
「……あんたって、優しいのね」
 は? という表情をして、ジェフリーが顔を上げる。
「なんだよ、気持ち悪ぃな」
「何が?」
「素直なお前って気味悪い」
 てっきり怒り出すかと思えば、枕に半ば顔を埋めたまま、何も言わない。
 どうしたことかと、ジェフリーは彼女を見つめた。
 沈黙した時が流れる。
 何か言おうかとジェフリーが口を開けかけたときだった。


「――――好き」


 しばらくの間、表面的には何も起こらなかった。
 しかし、それはそれはささやかな声ではあったが、この静けさの中で聞こえないわけもなく。
 瞬きさえ忘れていたジェフリーの目が、やっと動き出す。
「え―――?」
 彼は呆然としてサファイアを見つめた。
 サファイアはますます枕に顔を埋め、そのまま、再び時が止まったかのようだった。

  それは、返事を求めない問いかけだった。
  それは、答えを求めない謎かけだった。
  それは、相手を求めない恋だった。

 立ち上がると、彼女は部屋を出ていった。
 恐ろしいほど膝が震えた。
 ―――あたしは、何をしてるの?


***


 翌朝、日が昇るとすぐ、ジェフリーは飛空艇を発進させた。
 ―――ちっとも眠れなかった。
 しばらく考えているうちに、もしかしたら、実は夢を見ただけなんじゃないかという気さえしてきた。
 とにかく、姫君を城へ送り届けねばならない。
 彼女はアレクサンドリアの姫君。
 自分は―――ただの盗賊。

 やがて、サファイアが起きてきた。
 しかし、彼女は何も言わなかった。


 飛空艇はかなりゆっくり飛び、夕刻ごろ、アレクサンドリア城の空港へと寄航した。
 地上に着くや否や、サファイアはまるで逃げるように、すぐ下船しようとする。
「それじゃ、さよなら」
 別れの挨拶を述べると、サファイアは飛空艇を降りかけた。
「待って」
 呼び止められ、振り向く。
「何?」
「あのさ……。また、会えるかな」
「知らないわ」
 サファイアは無表情なまま、答える。
 彼は黙ってサファイアを見つめた。
 数歩近づくと、突然。
「最後に、キスしてもいい?」
 問われて、サファイアは一度だけ、瞬きした。
「―――いいけど」
 そうとだけ言って、目を閉じた。


 何もないキスだった。
 別れのキスでも、約束のキスでもなく。
 始まりのキスでも、終わりのキスでもなかった。
 結局はいつもそうなのだ。
 いつも、何もない。
 ―――恋なんて、こんなものなのか。
 ……目を開けたときには、もうそこには何もなかった。
「じゃぁ」
 一言告げると、サファイアは城へと歩いていった。
 夕日が造った長い影が、殊更黒々と見えた。





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