<8>
「―――――はぁ」
溜め息。
これが、かれこれ小一時間ほど、三十秒おきぐらいに続いているのだから、さすがに彼の双子の姉も、ウンザリした顔をした。
ここはリンドブルム、タンタラス団のアジト。
ようやく帰ってきた弟は、あまり元気そうな様子ではなかった。
姉の部屋に潜り込むと、隅っこの方で膝を抱えて座ったまま、何を言うでもなく、溜め息をついているばかりなのだ。
「ちょっと、ジェフリー。どうしたのよ」
リアナは幾分厳つい声で、弟に尋ねた。
「……」
彼はぼんやりと、姉を見た。
「――――俺さ」
「うん」
「本気で、惚れたかも」
「……誰に? あ、わかった。この間言ってた武器屋の―――」
「違うよ。それいつの話だよ」
「え? じゃぁ……あ、宿屋―――」
「それも違う」
リアナは座っていた机を立ち上がり、弟の側に座り込んだ。
「じゃぁ、誰よ?」
「――――」
「? ……あんた、まさか」
「――――」
「あのサファイア姫に、惚れちゃったの?」
ジェフリーは気まずそうに肯いた。
「な、アホやないの、あんた!」
と、興奮すると途端に母親の口調がうつってしまうリアナ。ジェフリーはぎゅっと目を閉じた。
「わかってるの? サファイア姫は、アレクサンドリアの王女様! あんたはただの盗賊!」
「わかってるよ!」
「わかっててなんでそういうことになるのよ!」
「だって―――好き、って言われたから」
「……あり得ない、空耳じゃないの?」
「―――そうかも、やっぱり。うんん、夢だったのかも」
「……あんたねぇ」
「でも……」
「何」
リアナの声は、かなり恐い響きになっている。
ジェフリーはますます顔を膝に埋めた。
「――――キス、しちゃった」
「はぁぁ!? なんやてぇ!?」
と、またまた母親の口調がうつっているリアナ。
「だって、いいって言ったんだよ、サフィーが」
「いいって言われてする奴があるかい! 言っとくけど、サファイア姫はジタンおじさんの秘蔵っ子なんだからね。あんたそんなことがバレたらおじさんに絞め殺されるよ」
ジェフリーは押し黙った。
「とにかく! もう二度と会わないこと。わかってるわね、ジェフリー」
「―――うん」
リアナは大袈裟に溜め息をついた。
「ほら、わかったらさっさと出て行ってよ。そこでどんよりされてると、こっちが迷惑なんだから」
「ひでぇ。弟が傷心だってのに、もうちっと優しくできないのかよ、リアナ」
「出来ない。あんた女の子にフラれる度に、そうやってわたしのところに来るじゃない。ホント、いい迷惑。もうちょっと真面目に出来ないの?」
ジェフリーはジタンに尊敬を寄せているためか、心なしか気が多いことで有名だった。
「―――今回はちょっと違うんだよ」
「何が違うのよ」
「何だか―――」
ジェフリーは遠くを見るような目をした。
「よくわかんないけど――――」
……沈黙。
リアナはウンザリと肩を竦めた。
「確かに、今までとは少し違うみたいね。ようやく心を入れ替えてくれたのは嬉しいけど、もっと身近な相手にしてよ」
「身近じゃないから、本気になるのかなぁ―――」
カチン。
「もう、ジェフリー! あんたが変な噂ばっかり立てるから、わたしが恥ずかしい思いしなきゃならないのよ!」
「うっせーな! リアナと俺は関係ないだろ!」
「関係あるじゃない、双子なんだから!」
「あ―――なんでお前みたいにウルサイのと双子で生まれちゃったんだろ!」
「それはこっちのセリフよ!」
「な……」
「う―――――――――るさいっ!」
階段の下から彼らの母親が大声で怒鳴った。
「近所迷惑やろ! ケンカなら人のいないところでやりぃ!」
二人はピタッと口を閉じた。
「―――おい、リアナ」
「何」
「お前、お袋に言うなよ」
「言うわけないでしょ! そんなこと母さん聞いたら、あんたほうきで百叩きじゃ済まないよ」
ジェフリーは、ふぅ、と溜め息をついた。
「俺って、アホだよなぁ―――」
リアナはその頭をポンポン、と叩いた。
「ま、好きになるのは自分の意志じゃないから」
「お前、散々言いたい放題言ったくせに」
「ちょっと言ってみただけ。わたしはあんたの味方だよ」
ジェフリーは一瞬頬を膨らませたが、やがて俯いた。
―――そのうち忘れるだろう。どうせもう、二度と会わない。
***
「ねぇ、ダイアン―――」
姉に呼び掛けられ、ダイアンは読んでいた本から顔を上げた。
「何? 姉上」
「あの―――最近、サフィーは少し様子がおかしいと思わない?」
思いがけないことを問われ、彼は目を丸くした。
「そう? 僕は気付かなかったけど」
「……じゃぁ、わたしの思い違いかしらね」
「ほら、きっと初めて召喚したから、心持ちが変わったんだよ」
「―――そうね」
「姉上?」
エメラルドは心配そうな表情で窓の外を見ていた。
「気になるの?」
「……ええ。何となくだけど」
弟を振り向き、彼女は躊躇った表情で言う。
「好きな人が、できたんじゃないかって」
ダイアンは数回瞬きした。
「―――本当に?」
「何となくそういう気がするの」
「そっか……。じゃぁ、何気なく聞いてみようか? サフィーに」
「そうね―――わざわざ尋ねなくてもいいけど、あなたも気をつけてあげて。あの子、一人で溜め込む癖があるから」
ダイアンは肯いた。
「……お父さま、ご無事かしら」
エメラルドはふと呟いた。
「母上が、ブランクのおじさんが一緒なら安心だって。きっと大丈夫だよ、父上は強いから」
「―――そうね」
無邪気な弟の言葉に、エメラルドはにっこり微笑んだ。
「あ、もうこんな時間だ! スタイナーに怒られちゃうよ。……じゃぁ、サフィーのことは了解しました、姉上」
と、ダイアンは敬礼の姿勢をとった。
「失礼します」
クスクス笑う姉を残し、彼は剣の稽古に向かった。
|