<9>
週に一度、母親のお遣いでアレクサンドリアに行かなければならない。
ジェフリーは、今回さすがに気が進まなかった。
「どないしたん、あんた。最近ちょっとおかしいんやないの?」
と、彼の母、ルビィは言う。
「―――え、べ、別に」
「ジェフリー、おかしいっス」
「な、思うやんなぁ、マーカス」
「あの、俺マーカスじゃないっス、おかみさん」
「ええやないの。あんたお父さんにそっくりなんやもの」
「―――はぁ……」
マーカスの息子、ハリーは、癇癪持ちのルビィに決して盾突かなかった。
「で、どこがおかしいずら?」
と、父親そっくりに話すのは、シナの息子、ラリ。
容姿はスレンダーな母親に似たので、喋り口調と姿がなかなか一致しないのが彼である。
「だって、ジェフリーいつも三杯おかわりするのに、昨日は二杯だったっス」
と、ハリー。
「そういえばそうずら。おかしいずら」
「おかしいっス」
「あのなぁ、お前ら―――」
と、ジェフリーはがっくり肩を落とす。
「なんかあったんか? お母さんに言うてみ?」
と、ルビィはにこやかに聞いてくる。
―――言えるかっ!
「何でもないよ。じゃ、アレクサンドリアに行ってくるから」
「―――そぉ? ほな、気ぃつけてや」
「いってらっしゃいっス」
「気をつけていくずら」
ず――――ん。
いや、今まで街をうろついていて彼女に会ったことは一度もないんだし。
絶対会わずに帰れる。
そうなんだけど―――。
……そう思うと、なぜか寂しいのだ。
飛空艇の中でも、相変わらず浮かない表情のまま。
裏通りの小劇場へ行って言付かった仕事を片づけると。
彼は、そそくさと小劇場を後にした。
―――ここから、見えちゃうんだよな。
目を上げる。
蒼い空に一際白くそびえる剣塔。
アレクサンドリア城。彼女のいる場所。
噂では、お供も付けずに一人で町へ繰り出したりするお転婆姫らしいが。
この広いアレクサンドリアの街、偶然出くわすなんてたぶんないだろう。
足が勝手に城へ近づく。
アレクサンドリア広場の草むらに、腰を下ろした。
―――何やってるんだろう、俺。
待ち伏せでもするつもりなのか?
そんなことして、何になる?
しかし、ジェフリーはしばらくその場に座り込んで、広場を通り過ぎる人並みを見ていた。
と言っても、過ぎゆく人の足が石畳を踏む辺りしか見ない。
顔を伏せたまま、ずっとそうしていた。
数時間後。
いい加減、むんずり動かない少年に老人が一人声を掛けた。
「どうしたね、若いの。気分でも悪いかね?」
「あ、いえ……」
ジェフリーは慌てて立ち上がった。
「大丈夫です、何でもありません」
「そうかね。それなら、よいが……」
曖昧に微笑んで、ジェフリーは広場を後にした。
……頭の中は「バカ」のリフレイン。
大通りを抜け、飛空艇発着所からリンドブルム行きに飛び乗った。
***
「リアナ、あんた何や知らんの?」
「―――え、し、知らないよぉ」
「知らなくても、双子なんやしテレパシーでビビっと」
「……ないよ、そんなの」
「あ、そ」
ルビィは口を尖らせた。
「おかしいやないの。あの、アホみたいに脳天気なジェフリーがご飯も食べんやなんて。アレクサンドリアでなんかあったんとちゃうかな……」
「母さん」
「ん?」
「あ、あのさ。今度から、アレクサンドリアにはわたしが行くよ」
「ん? 何で?」
「―――何となく!」
リアナは強い口調で言うと、母親を追い払ってジェフリーの部屋へと入った。
「ジェフ」
リアナはベッドに声を掛けた。
「ねぇ、あんた。もしやとは思うけど―――」
「会ってない」
布団の中からくぐもった声が否定する。
リアナはふぅ、と溜め息をついた。
「じゃ、どうしたの? お姫さんの恋人にでも鉢合わせた?」
「―――違うって」
彼は布団から頭を出した。
「なんか変なんだよ。街中探しまわって会いたくなって……」
リアナはベッドの端に腰を下ろした。
「そういうのが恋なんじゃないの?」
「そうなのかな……だったら」
ジェフリーは再び布団に潜り込んだ。
「恋なんて、あんまりいいもんじゃないな」
と、呟く。
リアナは膝の上に頬杖をついて、ふぅん、と言った。
「あんたも、大人になったじゃない」
「まだなりたくない」
「―――あのねぇ。ピーター・パンじゃないんだから」
そこでリアナは、はたと顔を上げた。
「そういえば、今度の公演はピーター・パンらしいわよ。母さんがあんたに主役をやらそうかどうしようかって言ってた」
「―――今はムリ」
「そんなこと言ってると、ハリーに持ってかれちゃうわよ」
「あの顔でピーターやるの?」
ジェフリーはまた顔を出した。
「人のこと言えた義理じゃないじゃない、あんただって」
リアナは笑った。
「ひっでぇ……。で、リアナは何やるの?」
「ウェンディ」
「げぇぇぇ」
「何よぉ!」
バスッと枕を飛ばす。
「痛! ……しっかし、いきなりえらく子供向けじゃん」
「うん。大ボスがね、マーカスおじさんとこの子供たち、呼んでやろうってさ」
減っていた孤児が再び街に溢れ出し、マーカスは教会で孤児の世話を買って出ていた。
「そっか―――」
ジェフリーは納得顔で頷くと、溜め息をついた。
「ほら、元気出しなさいよ」
「別に元気だよ」
「嘘ついてもムダ。テレパシーでビビっとわかっちゃうんだから」
「……ないって言ってたじゃん」
リアナは笑いながら、ジェフリーの背中を布団越しに叩いた。
「いいよね、姉弟って」
「自分で言うなよ」
「そうじゃなくて。わたしが思うのよ、あんたがいてよかったなってさ」
「―――気味悪ぃ」
リアナはクスクス笑った。
「そうそう、父さん、もうすぐ帰って来るよ。討伐隊の飛空艇に便乗してくるって」
「あぁぁぁぁ……」
ジェフリーは頭を抱えた。
「絶対バレる―――」
***
案の定、彼の父は帰るなり、だいたいのことを察知した。
が、ルビィが騒ぐといけないので、ブランクはリアナにだけ事の次第を話して聞かせた。
「そんなに可愛いんだ、サファイア姫って」
「いやぁ、まぁ、ジタンに似てるな」
「じゃ、可愛いわね」
リアナが自信たっぷりに言うので、ブランクは軽くズッコケた。
「でも、父さんもジタンおじさんも信じられない。二人っきりで飛空艇に残すなんて。もし何かあったら―――」
「何かって?」
ニヤリ、と笑った父親に、リアナは側にあったほうきを振りかざそうとした。
「わ、待てって! お前最近ルビィに似てきたな」
「―――母さんの気持ちがなんかわかるわ」
ほうきを下ろし、リアナは溜め息をついた。
「でもさ。いいチャンスかと思ったんだよ。あいつはどうも煮え切らないから、ちっとは刺激になるんじゃないかって」
「―――そうよ、可哀想に。おかげでボロボロになっちゃったわよ、あの子」
「ん?」
ブランクは不思議そうにリアナを見つめる。
―――マズイ。
いくら父親でも、まさかキスしたとは言えないだろう。
「な、何でもないけど。で、どうするの? どう落とし前付ける気、父さん?」
「ま、なるようになるさ」
「あのねぇ!」
「いや、なるようにしかならないんだよ、こういうことは」
「そういう考えだから、ちっとも母さんといい感じにならなかったんじゃないの?」
……!?
「なんだ、お前誰からそんなことを―――」
ブランクが慌てると。リアナはニヤリと笑った。
「ルシェラ姉さん」
がく。
「言っておくけど、いろいろ聞いてあるんだからね、わたし」
「あのなぁ―――」
「何とかしてあげてよ。って言うか、何とかならなかったら承知しないんだから!」
腰に手を当て、かなり怒った口振りで言う娘。
まったく、母親によく似てきたこと。
「わかったわかった。とりあえず、サフィーの気持ちを確かめないとな」
―――わかり切っているような気がするのだが。
と言うか、どうもわからない。
サファイア姫は、一体弟をどう思っているのだ?
好きなことは好きなのだろうし、そうでなければ好きだなんて言わなかっただろうし。
やっぱり、立ちはだかるのは身分の差なのだろうか。
「ねぇ、父さん。わたしがサファイア姫に会ってきてもいい?」
リアナは、そう尋ねた。
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