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夕暮れの中に浮かぶ、アレクサンドリアの町並み。
赤い煉瓦がますます赤く染まり、町は全て赤の中に沈む。
その瞬間が、アレクサンドリアは一番美しかった。
飛空艇の甲板に出て、サファイアは、まだ遠く小さなアレクサンドリアの町影を見つめていた。
何ヶ月ぶりになるのだろう?
サファイアは指を折って数えた。
父親とはその後も何回か……もとい、何回も会っていたけれど。
母も、姉も、兄も。
みなあの日、そうとは思わずに別れたきりだった。
ほんの一週間のつもりが、もう半年にもなってしまったのだ―――!
町も城も湖も、何もかもが彼女の帰郷を喜んでいた。
***
薄く夕焼け色に染まった雲の中を、緩やかに奔る劇場艇の姿は壮大だ。
人々が空を見上げ、歓声を上げる。
子供たちが指を差して飛び跳ねる。
ひと時の夢を運んできてくれる、劇場艇。
ガーネットは、この瞬間を愛した。
彼女がその瞬間を愛すのには、もう一つ特別な理由があったのだが―――
「ダガー」
階下の客席はざわざわと騒がしく、ロイヤルシートには今日の主役である花嫁と花婿はまだ姿を見せていなかった。
気付くと、目前に、彼女の顔を覗き込む青い目があった。
ガーネットはその目に微笑みかけた。
彼の行動はいつも唐突だ。
末娘をリンドブルムに残してきたことを彼女に告げた時も、彼は唐突だった。
いつからだろう、彼のそんな出し抜けな調子にそう驚かなくなったのは。
―――たぶん、もう、あの日より驚くことはないだろう。
決して忘れることのない、生涯で一番嬉しかったあの瞬間より。
「いよいよね」
ガーネットがにこやかに話しかけると、
「……そうだな」
と、ジタンは幾分不機嫌そうな顔をして、席に着いた。
「サフィーを舞台に上げるなんて、ブランクは何考えてるんだか」
「どの役をするのか聞けたの?」
「いや。見てからのお楽しみだとさ。すっげぇ嫌な予感がするのはオレだけか?」
ガーネットにもある種の「予感」はあった。
子供は、親の知らないところで大きくなるものだ。
―――随分昔、夫にそう言ったことを、彼女は間もなく思い出すことになる。
俄かに客席から歓声が上がり、エメラルドと、その手を取って歩くウィリアムがシートに姿を見せた。
客席から、幾つものため息が漏れる。
―――なんて、眩いほどにお美しいのでしょう。
ガーネットは知らず微笑んだ。
娘は輝くほどに幸せそうだった。
その姿を見ることが出来るなら、どんな苦労さえ背負い込むことも厭わないと。
そっと、ジタンを振り返り。
彼は複雑そうな表情で娘を眺めていたが、やがて妻の視線に気付いて笑った。
いつまでも悪戯っ子のように笑う人だと、ガーネットは苦笑を漏らした。
***
「さあて、お集りの皆様。今宵、我らが語る物語は、はるか遠いむかしの物語でございます」
幾つもの歓声と拍手の中、座長は深々とお辞儀し、口上を始めた。
これを聞くと、ジタンはいつも笑ってしまう。
あのブランクが、真面目くさった顔であの口上をする羽目になるとは!
……と。
ブランクは文字通り、真面目な顔で今宵の芝居を案内していた。
「物語の主人公であるコーネリア姫は、恋人マーカスとの仲を引き裂かれそうになり、一度は城を出ようと決心するのですが、父親であるレア王に連れ戻されてしまいます。
今宵のお話は、それを聞いた恋人マーカスがコーネリア姫の父親に刃を向けるところから始まります」
客席からは待ってましたとばかりに拍手が沸き起こる。
アレクサンドリアの人々は、今でもこの幕が一番好きだった。
拍手の音がやや小さくなったところで、ブランクは口上を再開した。
「それでは、ロイヤルシートにおられますガーネット様も、ジタン様も……」
というところで、ブランクはいかにも嫌そうな声色になり、いかにも嫌そうな顔をする。
これは、毎年のアレクサンドリア公演で必ず見られる光景だった。
そして、訳を知る人々はここで必ず、毎年忍び笑いを漏らすのだった。
「今宵めでたく結ばれましたエメラルド姫様とウィリアム様も、そしてダイアン王子様も」
ロイヤルシートには他にもわんさと人がいたが、ブランクはうんざりして点呼するのをやめた。
それ故に、かのシートの人々は互いに肩を寄せ合って笑っていた。
いい気なもんだぜ、と、彼は心の中で呟いた。
そう呟きつつも、彼は口の端を密かに上げた。
「そして貴族の方々も、屋根の上からご覧の方々も、手にはどうぞ厚手のハンカチをご用意くださいませ」
深々とお辞儀する彼に、大きな拍手が送られる。
人々は、一夜限りの舞台を心から楽しんでいた。
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