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 やがて、芝居はクライマックスに差し掛かった。



コーネリア:「マーカス様?」
 城壁の上から、姫君は最愛の人の姿を見つける。
 彼女は、彼の元へと駆け降りた。
コーネリア:「会いたかった……わたくし、あなたがいないと生きてゆけません!」
 マーカスは縋り付く姫君を抱きしめた。
マーカス:「姫……、私のような下賤な者と結ばれても果たして幸せな人生が送れるかどうか……」
コーネリア:「もう姫とは呼ばないで!」
 コーネリアは頭を振った。
コーネリア:「マーカス、あなたは王女という身分であるわたくしを好いておられるのでしょうか? いいえ、そんなはずは、ありませんよね?
 王女という身分が結婚をするのならわたくしなんて、ただの人形に過ぎません。人形が笑うでしょうか? 人形が泣くでしょうか?
 わたくしは笑ったり、時には泣いたり、そのような飾りけのない人生を送りたいのです。仮面を付けた人生など、送りたくもありません」




 不意に、ロイヤルボックスのエメラルド姫が夫を振り向いた。
 彼女は、密かに微笑んだ。
 彼女の夫もまた、微笑を返した。
 二人にとって、このシーンはある意味思い出深い。
 同時に、少しくすぐったくもあった。
 しかし、今でもあの日のことを、若気の至りであったと片付けることは出来なかった。
 それだけ、二人は真剣に考えたのだから。
 手を取り合い、逃げることだけが残された道なのだ……と。



マーカス:「そこまで、考えていてくれたとは!」
 マーカスはコーネリアの目を覗き込んだ。
マーカス:「あなたが王女という身分を脱ぎ捨てるというのなら私は愛という衣であなたを包んで差し上げましょう!
 もう、私はあなたと離れることはできない。どうか私をあなたというカゴの中に入れておくれ!」
 ぎゅっと抱きしめ合う、悲しい恋人たち。
 不意に、マーカスは顔を上げた。
マーカス:「そうだ、明朝、一番の船で旅立とう!」
コーネリア「ええ、わたくしをどこへでも連れてって!」
マーカス:「もちろんだ、たとえ雨が降っても嵐が来ても!」
 マーカスは決意を秘めた目で恋人を見つめ、やがて踵を返して去っていった。
 コーネリアは、その背中を見送ると、小さく呟いた。
コーネリア:「ああ、どうしてこんなにも甘く悲しい恋がこの世に存在するのでしょう……
好きな人と一緒にいたいただ、それだけなのに……」
 が、その様子を物陰からじっと見ていた男がいた。
ブランク:「そんなことをされたら、また戦争が起こっちまう。悪いが、おまえたちを一緒にはさせられないな」
 彼は、何気ない素振りでコーネリアの側へ近づいた。
ブランク:「やあ、あんた、コーネリアさん?」
コーネリア:「ええ、そうですけども……」
ブランク:「マーカスって奴を知ってるかい?」
コーネリア:「マーカスがどうかしたのですか?」
 マーカス、という名が出たことで、彼女の警戒心は一挙に弱まった。
ブランク:「それがな……」
 次の瞬間、ブランクはコーネリアの腹に一発を食らわせ。
コーネリア:「うっ!」
 彼女は意識を失って倒れた。




***



 船が出てしまう。
 太陽が昇りかけている。
 恋人は来ない。
 マーカスは一人、彼女への思いを切々と語る―――。
マーカス:「約束の時間はとうに過ぎたというのに……コーネリアは来ない……」
シナ:「そろそろ船出の時間だ」
 と、シナはマント姿のマーカスの背に語りかけた。
シナ:「あんただけ船に乗れば、ブランクの言った通り、ふたつの国は平和になるかもしれない……どうする、マーカス?」
マーカス:「あのひとは俺がいなければ生きて行けぬと言った……」
 不意に、朝日が射し込み、空が明るくなる。
マーカス:「東の空が明るくなった……太陽は我らを祝福してくれなかったか。私たちは、あの鳥のように、自由に翼を広げることすらできないのか……」
シナ:「マーカス……もうこれ以上は待てないぜ。出航だ!」
 痺れを切らし、シナは船着場へ走り去った。しかし、動かぬマーカス。
マーカス:「私は裏切られたのか? いいや、コーネリアに限ってそんなことは……」
 頭を振る。
マーカス:「信じるんだ! 信じれば、願いは必ずかなう! 太陽が祝福してくれぬのならふたつの月に語りかけよう!」

 ふと、マントに手を掛ける仕草があの日のままで、ガーネットは一瞬、おや? と思う。
 が、恐らく、その仕草を読めたのは、彼女が母親だったからだろう。
マーカス:「おお、月の光よ、どうか私の願いを届けてくれ!」
 突然、バサリ、とマントが剥がれ。

「会わせてくれ、愛しのダガーに!!」

 現れたのは、さっきまでマーカス役を演じていた少年ではなく。
 金色の髪に青い目の、尻尾の生えた少女だった―――!



 一瞬、会場の時間が止まった。
 あの日の、ままに。



 サファイアは一心にロイヤルシートを見上げた。
 彼女の大好きな母は、目を見開いて彼女を見つめていた。
 呆気に取られた父の顔。
 しかし、姉だけは一人笑っていた。
 ……彼女は知っていたのだ、自分がこうすることを、最初から。



 客席も、屋根の上も、ロイヤルシートの人々も。
 楽団さえ、石化したように固まっていた。
 ただ、舞台袖で彼女の仲間たちだけが、固唾を飲んで状況を見守っていた。



 そして、次の瞬間。
 客席のところどころから拍手と、愉快そうな笑い声が上がった。
 その波は段々と広まり、やがて大歓声となって彼女の元に返ってきた。
 サファイアはほっと息をつき、
「お姉さま、ご結婚おめでとうございます」
 と、深々とお辞儀する。
 ますます拍手と歓声が大きくなり、あとは手もつけられないほどの騒ぎになった。



 そう、一部の人々には、そのシーンに見覚えがあったのだ。
 恋人を一心に見上げ、会いたいと願った若者。
 ―――もう、ずっと昔のことだったけれど。