<3>



 激しいクラッシュ音と共に、ジタンを捕らえていたカプセルのガラスが粉々に砕け散り、中の液体が急に圧力を失って辺りに飛び散った。
 ミコトは腕を伸ばして、彼の手足を拘束しているチューブを引き剥がそうとしたが、既に指先の感覚は利かなくなっていた。
『馬鹿なことだ、自らの命を削るとわかっていただろうに』
 遂に腕を伸ばすことも叶わなくなると、ミコトは細く息を吐いて、身体の力を抜いた。
「例え命を失ったとしても、人には守りたいものがあるものなのよ」
 そう言って、彼女は笑った。



***



「よいな、ここで待っておるのじゃ」
 フライヤは槍を抱え直した。
 ミコトの様子から、今が尋常ならぬ事態なのだと判断することができた。しかし、行く先もわからぬまま全員で移動するのは危険すぎる。
「スタイナー、皆を頼む」
「了解である」
 スタイナーは大きく頷いた。
「行くぞ」
 サラマンダーが、その脇をすり抜けて細い通路へ進んだ。
「フライヤ、サラマンダー!」
 ガーネットが、その背中に呼び掛けた。
「必ずジタンを……」
「わかっておる」
 フライヤが振り向いて微笑んだ。


 見たこともないようなモンスターが多かった。それは、ここが異世界であることを如実に示していた。
「こっちで合ってるのか」
 サラマンダーが呟いた。
「わからぬ」
 フライヤにも、そう答える他なかった。
 迷路のように入り組んだ道を、二人は小走りに駆け抜けていた。訳もわからぬ焦燥感がその脳裏を掠めていた。
 ミコトが言っていた言葉を、フライヤは思い返していた。
 精神を、奪われる。操られるかもしれない。
 彼の、祖父と同じように。
「おい、ぼさっとするな」
 サラマンダーが小さくフライヤの肩を叩いた。
「考えても仕方ねぇ」
「……そうじゃな」
 息を吐くと、フライヤはもう一度槍を握り締めた。
 どうにかしてやらなければならない。ジタンを、その運命に捕らえさせてはいけない。
「フライヤ」
 サラマンダーが急に立ち止まった。
「なんじゃ」
「足跡じゃねぇか?」
 彼は地面を指差した。さらさらとした砂のような地だった。その上に、盗賊用のブーツがはっきりと跡を刻んでいた。
「こっちじゃ!」
 フライヤが指差した先には、小部屋の扉のようなものがあった。


「ジタン!」
 フライヤが、一段高くなったその場所へ駆け寄ろうとした。彼は数え切れないほどのチューブに絡まれながら、意識のないまま壁に凭れていた。
 しかし、彼女はそこへ辿り着く前に、はっとして立ち尽くした。
「ミコト殿……!」
 辺り一帯に、ガラスの破片と、何だかわからない液体が散乱して、その真ん中に傷だらけのミコトが倒れていた。彼女は身体中ガラスの破片で怪我を負っていて、右の脇腹には大きな破片が刺さったままになっていた。
 サラマンダーが屈み込んで手当てをしようとしたが、ミコトは薄っすらと目を開けると、それを押し留めた。
「やめた方がいいわ。私はもう、助からないでしょうから」
「しかし―――!」
 フライヤが、声にならない声で異議を唱えた。
 サラマンダーは黙ったまま、その言葉に反して回復技を掛けた。淡い光が彼女を包み込む。しかし、まるで焼け石に水のようだった。
 彼はもう一度試そうとした。そして、今度こそミコトがそれを止めた。無駄に体力を消費してはいけない、と。
「ジタンは、目を覚ましたの?」
 フライヤが振り返った。彼はまだ壁に凭れ掛かったままだった。
「早く、覚まさせてあげて」
 サラマンダーが、フライヤを見上げて頷いた。フライヤもそれに頷き返すと、数段を一気に駆け上がって、その側へ跪いた。ガラスが散乱していた。
「ジタン、目を覚ますのじゃ」
「うーん……」
 寝惚けたような声が返ってくる。外傷はないようだった。呼吸も安定していて、脈も正常だ。ジタンを繋いだまま絡まったチューブを引っこ抜き、フライヤはもう一度その名を呼んだ。
「んー……フライヤ?」
 ジタンの青い目がゆっくりと、瞼の覆いから開放された。
 そして、飛び込んできた目の前の光景に思わず呆然となる。
「な……ど、どうなってんだ!?」
 彼はガバッと立ち上がった。
「ミコト!」
 ジタンが慌てて駆け寄り、さっと見回してその怪我の具合を確かめる。そして、サラマンダーの顔色を伺った。
「大丈夫なのか?」
 しかし、彼は小さく首を横に振っただけだった。
「ジタン」
 ミコトははっきりと目を開けた。その目は、未だ強い力を保っていた。
「よく聞いて。クリスタルは、この通路を出て、右の突き当りよ」
 吐き出す息が震えた。
「二つのクリスタルをどうやって融合するのか、それは私にもわからないわ。その方法は、私も教わることはなかったから」
「もういい、喋るな。今ダガーかエーコを呼んでくるから……」
 しかし、彼女は話し続けた。
「だから、その方法は、あなたが自分で考えて」
 そして彼女は再び目を閉じ、小さな声で呼びかけた。
「ビビ、聞こえる?」
 ジタンたちには何も聞こえなかったが、ミコトはゆるりと微笑んだ。
「そのまま直進しなさい。あの飛空艇が泊まっている所へ出るから、そこでジタンたちを待つの。私は、もうあなたには会えないわ」
「何言ってるんだよ、ミコト!」
 ジタンがミコトを揺さぶった。ミコトは再び目を開け、彼を見つめた。
「私が唱えた魔法は、その空間を全て崩壊させる呪文なの。だから、この空間が崩壊してしまう前に、あの子たちを……それから、この二人も逃がしてあげて」
 サラマンダーとフライヤが顔を見合わせた。ここまで来たのだから、二人とも逃げる気など更々なかった。あくまで、お互いにそれを確認したに過ぎなかった。
 ミコトにもそんなことはわかっていたが、彼らの退路を奪うわけにはいかなかったのだ。
「いい、ジタン。あなたがみんなと一緒に逃げることを選んでも、私は恨んだりしない。だから、もう一度よく考えるのよ」
 それから、と、彼女は最後に一つだけ付け加えた。
「私のことはここへ置いて行って」
「何を……!」
 フライヤが悲痛な声を上げた瞬間、サラマンダーがついと立ち上がった。
「俺が背負っていく」
「駄目よ」
 ミコトはそう言った。強い口調だった。
「私には、最後の仕事があるの……テラの運命を見届けるという仕事が」
 例え命の灯火が消えても、魂だけはここに残って、最後まで見届けなければならなかった。
 テラの過去と、罪と、その終末を、全てをここで見届けなければならなかった。

 それは、最後まで長らえた自分への枷であり、最後まで長らえたことの意味でもあった。



***



 一行は、古い飛空艇の船内に集まっていた。
 全員押し黙ったまま、重苦しい空気が流れていた。ビビは鼻を啜っていた。
 ただ、激しく吹きすさぶ風の音だけが鳴り響いていた。
「オレは、これからクリスタルのところへ行こうと思う」
 沈黙を破るように、ジタンはそう宣言した。
「ミコトの思いを無駄にはできない」
 他の全員は、俯いたまま是も非も言わなかった。
「みんなは先に、ガイアへ戻っていてくれ」
「何ですって!?」
 エーコがいち早く声を上げた。
「ボクも行くよ、ジタン!」
「わたしも!」
「ダメだ」
「どうして!?」
 ジタンは小さく息を吐いた。
「ミコトは、この空間が全て崩壊する前にみんなを逃がせって言ったんだ。このままここに残ったら、助かるものも助からないかもしれない。みんなを、そんな危険に巻き込むわけにはいかないんだ」
「でも……!」
「オレだけでできるんだから、オレだけ行けばいいさ」
「嫌よ、ジタン!」
 ガーネットが張り裂けそうに叫んだ。
「そうじゃ、一人で行くなど無謀すぎる」
「貴様一人に任せる訳にはいかないのである!」
「水臭いぞ」
 全員が、ジタンの言葉に異を唱えた。
 ジタンはほんの少し、嬉しそうに笑った。
「ありがとな、みんな……。でも」

 やっぱり、みんなを巻き込むわけにはいかないんだ。

 ジタンは窓の手摺りに手を突くと、ひょいっと身軽にそれを乗り越え、その向こうの地面まで飛び降りてしまった。
「早く行け!」
 まるで異質者を閉じ込めるかのように、激しく風が吹いていた。
「ジタン、嫌よ!」
 ガーネットが、飛空艇の窓から身を乗り出して叫んだ。
「これは、オレにしかできないことなんだ」
 ジタンは手摺り越しに、ガーネットの手を握り締めた。
「必ず帰る」
「ジタン!」
「だから、信じて待っていてくれ」
「ジタン……!」
 彼の意思に呼応するように、飛空艇は次元の狭間を目指して飛び立った。
 ガーネットが最後に見たジタンの姿は、金色に光る髪と尻尾を風に揺らし、飛空艇を仰いでふっと笑ったところだった。





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