<2>
エーコ・ファブール公女は、リンドブルム城ではなく、商業区の一角に邸宅を構えていた。
エーコ公女は元の姓をキャルオルといって、一般市民であった。
それに、彼女の夫は商業区の道具屋出身の人間であり、タンタラスの人間だったのだから、貴族制に反発を覚える一般市民にもかなり受け入れられていたのだ。
そして、彼女は五十年前の大戦を潜り抜けた八英雄の一人でもあった。
「八英雄って、何?」
ガーネットは、通された待合室でジタンにそっと尋ねた。
「ダガー、八英雄も知らないのか!?」
「ええ……ごめんなさい」
「いや、いいけど。リンドブルムではすっごい有名なんだぜ。五十年前の大戦は知ってるだろ?」
「ええ」
「君のおじいさんのアデルバート・スタイナーも、八英雄の一人だし……それから、君のおばあさんのガーネット十七世もそうさ」
「そうなの?」
「そうさ! それから、オレの名前は八英雄のジタン・トライバルから取ったらしいし」
ガーネットの肩がぴくりと動いたが、その時ちょうどエーコ公女が扉を開けて部屋に入ってきたので、ジタンは気付かなかった。
「ま〜た余計なこと説明してるんでしょう、知ったかぶって」
「うっさいなぁ、オバハン!」
「どの口かしら? あたしをおばさん呼ばわりするのは?」
ぎゅう、っと頬っぺたを抓られる。
「いででで! 離せ〜〜っ!」
「離してください、エーコ様、でしょう?」
「……あのぉ、おばさま?」
ガーネットに呼ばれ、エーコははっとしてジタンの頬っぺたから手を離した。
「ごめん、遊んでいる場合じゃなかったのだわ」
「助かったぁ……」
と、ジタンが呟いたのは放っておいて、エーコは二人に椅子を勧めた。
「それで、ガーネット姫。あなたもあたしに用事があるって話じゃない?」
「はい、お母さまのことなんですけれど……」
「エメラルド女王がどうかしたのね?」
「ええ、その……」
「オレ、席外そうか?」
ジタンが立ち上がりかけた時、ふと、エーコはじっと彼の目を見つめた。
「な、なんだよ」
「あんた、今幾つだっけ?」
「……十六……だけど?」
「そう、随分大きくなったのね、あんたも。―――十六、か」
「なんだよ。何が言いたいんだよ、エーコ」
「別になんでもないわ。……で、ガーネット姫」
「はい」
エーコは、ジタンから目線を外し、ガーネットを見た。
「あなた、お母さんを何とかしたいと思ってここまで来たのね?」
「はい」
「残念だけど、あたしに出来ることはほとんどないと思うわ」
「―――そんな!」
ガーネットが悲痛な声を上げ、ジタンは再び立ち上がりかけた、が。
「待って、最後まで話を聞きなさい。……いいこと? この戦乱に巻き込まれることは、即ち自分自身との戦いでもあるの。あなたたちに、そんな戦いに身を投じるだけの覚悟はある?」
突然放たれた言葉の険しさに、思わずジタンは眉を顰めた。
「ど、どういう意味だよ」
「あなたたちは、今はまだ何にもわかってない。特に、ジタン。あんたはな〜んにもわかってないわ」
「失礼だな!」
「人生が一八〇度変わるかもしれない。今まで普通だったことが全て覆されるかもしれない。それでも、知りたいと思う? それでも、戦おうと思う?」
緑色の透き通った瞳は、鈍色の純粋な瞳を捕らえていた。
やがて、鈍色の双眼の持ち主は、しっかりと一つ頷いた。
「お母さまを、救うことが出来るのなら」
エーコはじっとその顔を見つめていたが、やがて微笑んだ。
「そう」
彼女が言ったのは、ただその一言だけだった。
「ところで、スタイナーの孫が来てると思ったんだけど、どうしたの?」
「失礼だから外で待つって……」
「まぁ、呆れた。よくそれで側付きの騎士だなんて言えたものだわ。こんな子ザルに大切な姫君を預けたままにしておくなんて」
むっ、とジタンが口を尖らす。
エーコは、その様子をひどく懐かしげに見つめた。
折に触れ、彼女は彼をそんな目で見ることが多かった。
自分を通り過ぎて過去の誰かを見ているらしいことを、ジタンはごく幼いうちから感じていた。
「それじゃぁ、ガーネット姫。外側の大陸の黒魔道士の村というところに住んでいる、あなたの大叔母さんに会ってくるといいわ。彼女はあたしの知らないこともいろいろ知っているし、なんたってあなたのおじいさんの妹だものね」
「大叔母さま……」
「そう。ミコト、というの」
昔は行き来していたこともあったのよ、と、エーコは微笑んだ。
「彼女に手紙を書いてあげるわ。少し待ってて頂戴」
そう言い残すと、エーコは客間を出て行った。
入れ替わりに、彼女の夫が顔を出した。
「やぁ、ジタンじゃないか。また小遣いでもせびりに来たのか?」
「―――違うよっ!」
「可愛いお嬢さんだね」
エーコの夫バンスは、ゆっくりとガーネットに歩み寄った。
慌てて立ち上がるガーネット。
「お嬢さんがガーネット姫、かな?」
「はい」
「初めまして。おばあさんによく似てるんだね」
彼はにっこりと笑った。
「おじさまは、おばあさまをご存知なの?」
「一度だけ会ったことがあるよ―――あれは、君のおじいさんとおばあさんの結婚式だったかな」
それはアレクサンドリア史上稀に見る小さな式だったと、ガーネットは聞いたことがあった。
隣国の貴族たちはおろか、自国の貴族たちまでもが参列を辞退した幻の結婚式。
城の薔薇園で、ひっそりと執り行われた、と。
「おばあさまはお幸せだったのかしら……」
ふと、そう呟いた。
祖父が一般の人間だったことで様々な弊害が起きたらしいことを、彼女は薄っすらと知っていた。
あまり祝福されない結婚だったのではないかと想像したのだ。
「それはもう、輝くばかりに幸せそうだったな。あんなに綺麗な花嫁は見たことなかった」
バンスが思い出したように目を細めたところへ。
「まぁ、そういうこと言っていいと思ってるの?」
エーコが封書を一つ手にして、再び部屋へ戻ってきた。
「あはは、聞こえた?」
「聞こえたわよ。憤慨しちゃうわね」
「でも、おれは君ばかり見てたけどね」
バンスは、笑いながら部屋を出て行った。
「なぁ、なんでバンスのオジキまでそんなご大層な式に呼ばれたんだよ」
ジタンは不審そうな目でエーコに尋ねた。
「どうしてでしょうねぇ?」
「……あのなぁ」
「大人の事情に口を挟まないのよ、子ザル君」
ムカッと立ち上がりかけたジタンを手で制し、エーコは封書をガーネットに手渡した。
「飛空艇は使えないわ。あなたたち、あのフォッシル・ルーを歩いて向こうまで行かなくちゃならないのよ。大丈夫かしら」
「ええ、大丈夫ですわ。わたし、頑張ります、おばさま」
意気込んで答えたガーネットに、エーコは再び懐かしげな目をした。
それは、ジタンとガーネットを結ぶ共通点……に思えた。
―――何故そんな風に思ったのか。
ジタンはまだ知らなかった。
横たわる運命の暗い影が、すでに彼らの人生を覆い始めていたことを。
ガーネットはまだ知らなかった。
過去から受け継いだ彼らの血が、すでに星の運命を揺り動かし始めていたことを。
そう、彼らは知らなかった。
すでに、命の歴史が繰り返され始めていたことを……。
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