いつか帰るところ 〜Another Story〜




<1>



 その人の気配を感じて、ガーネットは顔を上げた。
「ジタン!」
 リンドブルムは今日もいい天気で、初夏の風が南の海から惜しげもなく吹いては、爽やかな匂いを辺り一帯に残していった。
「お帰りなさい、早かったのね」
「ああ」
 ジタンは背負っていた荷物をぽいと放ると、足早にガーネットの側まで歩み寄った。
「ダガーの顔が見たくて、大急ぎで帰ってきたのさ」
 抱き竦められ、ガーネットはクスクスと笑った。
「そんなに急がなくたって、わたしはここから逃げたりしないわ」
「どうだか」
「まあ、ひどい。だって他に行くところなんてないもの」

 それもそのはずだった。ガーネットは復興したアレクサンドリアの主権を国民に譲り、女王の位を棄ててジタンの元へ来たのだ。しかし、ほんのひと月足らずの時間では、それが夢なのか現実なのかを判断するのはどうにも難しかった。

「他に行くところがないからここにいるのかい、ダガー?」
「え?」
 ジタンは悪戯っぽく光らせた目でガーネットを見つめた。
「我慢してオレのところにいるの?」
「な――!」
 思わぬことに、ガーネットは頬を僅かに紅潮させた。
「決まってるじゃない、そんなの言葉のあやよ!」
「ふーん」
 ジタンは尚もじっとガーネットを見つめていたので、結局彼女が降参して「もう」と呟きながら目を逸らした。
「お仕事は終わったの?」
 洗濯を再開しながら、ガーネットは尋ねた。


 ジタンは相変わらずタンタラスで盗賊の仕事をしていた。しかし、その稼ぎだけでは彼女を養っていくには十分とは言い難かった。元々社会奉仕のような仕事で、あまり儲からないというのが実情だ。劇団の方も鳴かず飛ばずで、こちらも期待はできなかった。
 その結果、ジタンは時々傭兵のような仕事を請け負うようになった。モンスター狩りだとか、捕り物だとか、そんな仕事だと彼はガーネットに説明した。
「危険なことはないの?」
 不安がった彼女に、ジタンは飛び切りの笑顔でこう答えた。
「あの戦いより危険なことなんて、そうそうないぜ」
 そう言われてしまえば、ガーネットが何かを言う隙もなかった。
 ジタンは仕事で数日留守にすることもあったが、ガーネットは彼の無事を祈りながら、小さな家で待つしかなかった。
 どうにも世間知らずなところが抜けなくて、彼がどうしてもその仕事をしたがっているのだと、些か誤った理解をしていた……のだが。


「万事順調にね。ほら、怪我もないよ」
 ジタンが帰ると、ガーネットは怪我がないか必ず確認した。傷一つでも付いていようものなら、発狂するのではないかという有様で治癒した。
 幾分辟易とするやり取りが三度ほど続き、ジタンは「怪我をしないで帰る」ことを己に課すようになった。
 心配させているのは、結局は自分のせいなのだ。
 あの戦いの後、ガーネットのところに戻るのが――少し、遅れた。
「ちょうど良かったわ。洗濯をしているから、荷物を解いて」
 ガーネットはせっせと洗濯板に泡を立てながら、そう言った。
「今?」
「今」
 ガーネットはこちらを見ていなかったが、微かに笑っていた。
 不精なジタンが旅から帰って、荷物を何日も放っておくことを既に知っていたのだ。
 さっき庭の入り口辺りに放り出した荷物まで戻り、洗い物を探ってガーネットの足元へ投げた。
「ジタン、お行儀が悪いわよ」
「あ、あとコレも」
 ぽいっと投げられたのは、小さな箱だった。
「これも洗濯物?」
「まさか!」
 ジタンは笑った。
「ダガーにあげる」
「なあに?」
「開ければわかるよ」
「だって、手が濡れてるもの」
「じゃ、拭いたら」
 ガーネットはむう、と唇を尖らせてから、エプロンの裾で手を拭った。
「またお土産?」
 ジタンは旅に出る度、ガーネットに土産を買って帰った。
 今髪を留めている髪留めも、胸元で僅かに光っているおもちゃのようなペンダントも、彼が旅先で買ってきたものだった。
「まあね」
 ジタンはついでにと、荷物の整理をしながら答えた。
 リボンを解き、小さな箱を開ける。中に入っていたものに、ガーネットは思わず微かな悲鳴を漏らした。
「これ……!」
「指輪だけど」
「そんなことわかってるわよ!」
 箱を握り締めたまま、ガーネットはジタンの元へ駆け寄った。
「婚約指輪、まだだったからさ」
「そんな――わたし、よかったのに」
 しかし、黒曜石の瞳は喜びに潤んでいる。
「よくないよ」
 ジタンは僅かに屈みこむと、箱から無色透明の石の填まった指輪を取り出して、ガーネットの左手を取った。
「オレのところへ来てくれた感謝と、世界一の愛を込めて」
「……ありがとう、ジタン」
 指輪が白くて細い指に納まってしまうと、ガーネットは腕を伸ばしてジタンに抱きついた。
「どういたしまして、王女さま」
 そのままひょいと抱え上げられ、ガーネットは思わず声を上げた。
「今から、わたくしめがあなた様を誘拐させていただきます」
「ちょ……! ジタン!」
 あちこちに散らばった荷物もそのまま、家の中へ連行されそうになる。
「お、下ろしてったら! 洗濯の続き……」
「そんなの明日だっていいじゃん」
 ちゅ、と音を立てて唇を奪われ、ガーネットはますます叫んだ。
「ダメったらダメなの!!」


 万事が万事、そんな調子だった。
 タンタラスたちは囃したてたが、ガーネットはともかくもジタンは全く意に介さなかった。
 言葉通り、新婚ホヤホヤな二人だった……のだが。


「じゃ、おやすみなさい」
 ガーネットは居間とダイニングを兼ねた小さなキッチンで洗い物を済ませると、仕事の資料と睨めっこしているジタンを残して部屋へ戻ることにした。
 一つ屋根の下に暮らしてはいたが、部屋は別々なのだ。
 ――なぜなら。
「あ、ダガー」
「なあに?」
 呼び止められ、ガーネットは振り向いた。
「来月辺り、キャンセルが出そうだってさ。今日教会から連絡入ってたんだ」
「本当?」
 出掛かっていた身体を再びキッチンの中へ戻し、ガーネットは元の場所まで戻った。
「でもキャンセルの後に入るなんて、ちょっと縁起が悪いわね」
「まぁ、背に腹は変えられないからなぁ」
 ジタンは後頭を掻きながら、苦笑した。
 ……そう。この二人、実はまだ式を挙げていないのだ。
 ジタンはそんなことは意にも介さなかったのだが、とにかくガーネットが「正式に式を挙げるまで部屋は別々」で押し通すので、仕方なくそれに従い続けてひと月が過ぎてしまったのだった。
「早く一緒に寝たいしさ〜」
「もう、そういうこと言わないの」
 ガーネットはふざけてジタンの頭を両の拳で挟み込んだ。
「イテテ」
 ジタンもふざけて痛がった。
 ガーネットは笑いながら、ふとジタンが見ていた仕事の資料に目をやった。
「今度は何の仕事なの?」
「ん? ああ、これ? なんか最近シドのおっさんの周りで変な噂が多くてさ。その調査」
「噂?」
 すっかり寝る気が失せてしまったガーネットは、テーブルの反対側に腰を下ろした。
「詳しいことはまだわかんないんだけど、なんて言うか……脅迫紛いの投書が来るらしいんだ」
「脅迫……」
 ガーネットの目が不安そうに俯く。
「いや、命を狙われるとか、そういうんじゃないんだけどな。だからみんなあんまり取り合ってないんだけど」
「投書って、どんな内容なの?」
 ガーネットがジタンの仕事の内容に口を出すことは珍しかった。どんな仕事をして、どんな危険があるのかは知りたがったが、遠慮しているのかそれ以上は訊いてこないことがほとんどだった。
「浮気の証拠だとか、プライベートな外出の話だとか、まぁ、どうってことないような話だよ」
「そう」
 ガーネットは反対からまだ資料を見つめていたが、ジタンはニッと笑うと、
「まだ寝ないの?」
 と訊く。
「え?」
 ガーネットは顔を上げた。
「襲っちゃうよ」
「な……っ!」
 ガーネットはガタンと椅子から立ち上がった。
「寝ます! おやすみなさい!」
 いつになく喧しい足音を立てながら、ガーネットは階段を上って部屋へ戻っていった。それを見送って、ジタンは忍び笑いを漏らした。
 しかし、ふと真剣な顔になる。さっきの資料に目を落とした。ガーネットに見えないように隠していたところに、一つだけ気になることが書かれていた。



「シド大公の血筋についての怪文書」



 『極秘』と書かれたその欄には、こんな内容が記してあった。



「現大公は先代シド8世の血を引いておらず、実は統一王国の末裔の子である」



 ジタンは眉を顰めた。統一王国は、今のリンドブルムやアレクサンドリアが建国する前に、霧の大陸一体を治めていた国だった。他種族であるブルメシアは元々独立国家だったが、リンドブルムもアレクサンドリアも、大昔は一つの国だった。王制賛成派と反対派が反目した結果、千年ほど前に二つの国に分裂したという。
 統一王国の国王とその一族はアレクサンドリアへ移り、王制賛成派の貴族たちもそちらへ付き従った。そして、独自の政治体系を目指した貴族たちはリンドブルム公国を建国するに至った。
 シド大公が統一王国の血筋だったとすれば、リンドブルムの貴族たちにとっては忌まわしいことになるのだろう。しかし、それももう千年も前の話なのだし、事実かどうかも判らないようなことで揺さぶって、果たして相手にどれほどの利益があるのかも定かでなかった。アレクサンドリア王国最後の女王ガーネットは違うにしろ、先代のブラネ女王は統一王国の血筋だったのだから、とうの昔に両国は友好関係を結んでいることからも、今更特に問題はないような気がした。
 したのだが、ジタンはどうにも引っ掛かった。
 全ての怪文書が同じ出所だとしたら、この取り留めのなさはなんなのだろう。
 浮気現場の目撃情報、購入した物品、昔なじみの店、学友の屋敷。
 ジタンは溜め息を吐くと、先日警備隊に引き渡した物盗りの資料までページを繰った。
 押収品は、ポーション・テント・火薬・皮のリスト・大工の工具。
「これまた、取り留めのない物ばっかりだな」
 ジタンは呟いた。







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