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「風邪には生姜湯がよく効きますよ。子供の頃には、母がよく作ってくれたものでした」
「年寄りみたいなことを言うね、ステラ」
ダイアンは幾分掠れた笑い声を上げた。
「でも、年寄りの言うことはよく当たりますわ、ダイアン様」
ステラと呼ばれたメイドは、少し膨れっ面になってそう返す。
ダイアンは喉の痛みもあって、少し微笑んで見せただけだった。
ダイアンは、この年下の女中を側に仕えさせていた。
何のことはない、両親の差し金である。
とは言え、息子が色町からこの少女を連れ帰った時、両親は腰を抜かす勢いだった。
ステラは良家の出身だったが、両親が多額の借金を残して死去したため、不遇な道を余儀なくされていたのだ。
色町の店で働き始めたところに、悪ふざけの過ぎる友人たちに連れられたダイアンが出くわしたのは、勿怪の幸いだった。
「何か仕事をさせて、城に置いてやって欲しい」と言った息子は、母か姉の女中にと思っていた。
しかし、母は「じゃぁ、あなたの側仕えにどうぞ」と言ったものだから、引くに引けず、自分の目の届かない仕事をさせるわけにもいかなくて、彼女の言いつけ通りの仕事を与えたのだった。
それ以降、ステラは甲斐甲斐しくダイアンの身の回りの世話をしたため、彼の部屋には朝からモーニングティーが出てくるほどだった。
初めは年下の少女に世話されるのに面食らったダイアンも、今では随分慣れた。
「喉はひどく痛みますの?」
ステラは心配そうにダイアンの顔を覗き込んだ。
「些か、ね。そんなにひどくはないよ」
そう返事すると、彼女はほっと安心したように微笑む。
あの、酒場でびくびくしていたウェイトレス姿からは及びつかないほど、明るい笑顔だった。
「父上は?」
昨夜一緒に吹き曝しの中にいた父はどうしただろうと、尋ねてみると。
「ジタン様なら、お庭で跳ね回っておいでですわ」
ステラは窓の外をちらりと見て、答えた。
「……魔物だな、あの人は」
ダイアンは皮肉たっぷりにそう呟いた。
しばらくあれやこれやと働いたステラは、やがて真面目な顔でダイアンの枕元に跪いた。
「どうしたの?」
ダイアンが訝しげな顔で訊くと。
「お伺いしたいことがあるんですけれど……」
不安げな眼差しが返ってきた。
「いいよ。何?」
「あの……」
一瞬、翡翠色の瞳は伏せられた。
が、やがて再び顔を上げ。
「ご結婚されるというのは、本当ですか?」
意を決したように、ステラは尋ねた。
ダイアンはと言うと、不意打ちを喰らって石にように固まっている。
「こんなことをお伺いする身分でないのはわかっているんですけれど……」
ステラは、再び俯いた。
そうだ。彼女が、自分はどうなるのかと不安に思うのは当たり前だ。
結婚すれば、第二子である自分はこの城を出て行くことになるのだろうから。
「ステラ」
ダイアンは寝台に起き上がり、彼女と向き合った。
「例え僕が結婚したとしても、君が心配することはないんだよ。僕のところで働いてもらえなかったとしても、この城には他にも仕事が沢山あるし……」
「私は、ずっとダイアン様のお側にお仕えしたいんです」
俯いたまま、ステラはそう言った。
「助けていただいたご恩返しをしたいんです。私の命ある間は、ずっと……」
「恩返しなんて……」
「ご迷惑でない限りは、ダイアン様のために働きたいんです」
「ステラ」
「ご結婚されてからも、お側に仕えさせてください」
「結婚はしない」
ダイアンは不意に、ひどく冷たい声色でそう呟いた。
「……ダイアン様?」
不安げに顔を上げたステラの目に、今度はふっと笑いかける。
「結婚はしないよ。だから、心配しないで」
「でも……」
ステラはまだ不安げに彼を見上げていた。
ダイアンは顔を背け、小さく呟いた。
「結婚は、しないんだ」
そして。
***
「あの子が、そんなことを言ったの?」
ガーネットはいつになく厳しい声色で、年若い女中にもう一度確かめた。
小さな少女はその声に震えながら、それでもしっかりと頷いた。
「差し出がましいとは思ったのですが、やはり気になって……。ご自分は『失敗』だ、なんておっしゃるので……」
ひどく辛そうに、諦めたような微笑を浮かべて。
ステラはその時の彼の表情を思い出し、女王の前にいることも忘れて泣き出しそうになった。
が、高貴なお方が立ち上がった気配を感じて顔を上げた。
「他には、何か言っていた?」
ガーネットは、気を取り直して今度は優しく尋ねる。
「あの……結婚はしない、とおっしゃっていました。何度も、何度も」
「他には?」
「私が覚えている限りでは、それだけです」
「そう」
女王の白い美しい手が、小さな両肩に置かれた。
「あの子はね、ステラ。そうと言ったら決して変えない子なの。結婚はしないわ」
「女王様!」
思わず悲痛な叫び声を上げ、なんて失礼なことを、と再び俯いた。
「変わらず、側にいて世話してやって頂戴ね。あの子はあなたのことがとても気に入っているようだから」
小さなメイドが出て行ってしまうと、ガーネットは倒れこむようにソファーに腰掛けた。
しばらくの間、部屋は静寂に包まれた。
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