父が母を「ガーネット」と呼ぶのは、公の場だけだった。
その響きはどこか非日常めいていて、いつも私をドキドキさせた。
父はひどく畏まった声色で「ガーネット」と呼び、母は余所行きの声で「あなた」と呼んだ。
母が父をそんな風に呼ぶのも、公の場だけだった。
Garnet
父と母には謎が多かった。
父がなぜ母を「ダガー」と呼ぶのか、私は知らない。
一度そのいわれを尋ねてみたら、「短剣のダガーのことだ」との答えだった。
母と短剣とは似ても似つかないが、結局それ以上のことは聞けなかった。
父は貴族でも騎士でもなく、リンドブルムの一般市民だった人だ。
あちらの国では「英雄」として称えられているらしいが、アレクサンドリアではその人となりはあまり知られていなかった。
祖母が関わり……もっと言えば、祖母が巻き起こしたあの大戦は、アレクサンドリアにとってあまりに辛く、あまりに悲しい出来事で、今でもその話はどこか禁忌とされていた。その大戦でどんなに父が功績を残していても、この国は大手を振って父を称えるわけにはいかないのだ。
それでも、国民の多くは父を支持していた。どこへでも自分の足で赴き、誰にでも屈託なく笑いかける父は、万人から愛される人間なのだと私は理解している。
その向こうに闇のような影が付きまとっていたとしても、そんなことは取るに足らないことなのだろうと。
そう、父には何か影があった。眩いばかりのあの父にまさか影があろうなどとは、一番近くにいたはずの私にも、かなり大きくなるまでは判らないほどだった。
その影が「テラ」という星の存在だと、母が教えてくれたのは幾つの時だったろうか。
「テラ」がこのガイアを、アレクサンドリアを、滅ぼそうとしていたことを聞いた時、私はそれを憎いと思った。そして、その星の血を自分も引いているということに呆然とした。
テラと、父の苦しみ。
その意味を理解するようになったのは、本当に最近のことだと思う。
誰も彼もが哀しい運命に巻き込まれ、抗い、そして勝ち取ったこの星の命。
それでも、きっと父は恐れているのだろう。いつかまた、同じことが繰り返されるのではないか―――と。
父は、この星を愛している。きっと、この星で生まれた誰よりも愛している。
母がアレクサンドリア王家の血を引いていないことを聞かされたのは、「テラ」の話を聞いた時よりも、ずっと後だった。
母の故郷はマダイン・サリという小さな村で、その村には代々の召喚士たちが暮らしていたのだと。
今はもうない母の故郷。今はもうこの世から去ってしまった召喚士たち。
その話をした後、母は私に言った。
「いつか、アレクサンドリアは民主化するべきだと思っている」―――と。
今はまだ混乱が続く世の中で、そのタイミングではないと母は言った。もし自分の世代で成しえなければ、その意思を私に継いで欲しいと。
私は、きっとそうすると約束した。
それでも、アレクサンドリアが民主化する時には、母に立ち会っていて欲しいと私は願った。
母が女王から普通の女性へ戻る瞬間を、私は傍で見ていたい、と。
父が母を「ガーネット」と呼ぶ瞬間、なぜだろう、それは本当の母を指していないと感じてしまう。
父が母を嬉しそうに「ダガー」と呼ぶ時が、一番、父と母の距離が縮まっていると感じる。
それはきっと、「ガーネット」が本当の彼女ではないから。
ならば、「ダガー」が本当の彼女なのだろうか?
きっと―――本当はそうなのかもしれないと、私は思うのだ。
生まれ持った本当の自分を失くし、創られた嘘の自分も失くした先にあった、最後に拾い上げた自分。母が、それを「本当の自分」として胸に置いたことを、私は知っているから。
けれど、今日も私はどこかドキドキとして待っている。
父が、母を「ガーネット」と呼ぶ瞬間。
非日常から透けて見える、本当の両親を感じられるその瞬間を。
-Fin-
お蔵入りすること3年…ネタ的にどうなのかと思って今まで隠し持ってたのですが、
あんまりBRばっかりでも申し訳ないので、今更ながら上げてみました(笑)
短いけど自分なりには結構気に入ってます。
長女視点からのジタガネでした。
2008.3.16
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