Tantalus' Panic 1806


<1>

 昼下がりのリンドブルム。晩夏の太陽が照りつけていた。
 学校が夏休みになってからというもの、エーコがバンスを訪ねてタンタラスのアジトに遊びに来ることが多くなった。
 時計塔のてっぺんで仲睦まじく笑い合う二人は近所の語り草になりつつある。
 その日も、相変わらず二人は仲良く時計塔に登り、バンスはトレジャーハンティングで得たお宝を一から十までエーコに見せたりしていた。
 その様子をふと見上げ、ルビィは小さく溜め息をついた。
「どうしたの、ルビィちゃん」
 耳ざとく聞き咎めたルシェラが尋ねる。
「ん? いや、別に何でもないわ。……なんや腑に落ちないって言うかなぁ」
「バンスのこと? よかったじゃない」
「まぁ、ええったらええねんけど」
「?」
 ルビィはじっとルシェラを見つめる。
「あんたは、ええの? あれで」
「まだ言ってるの? わたしはいいって言ってるじゃない」
「……そんなもんなんかなぁ」
 ルビィは、はぁ、とため息をもらす。
「うちやったら、やっぱり嫌やと思うけど……」
「そりゃぁ、少しは寂しいけどね」
 ルシェラがそう告白した時。
 いきなり勢いづいたルビィは、一気に捲し立てた。
「やっぱりそうやろ? なぁ、目の前に子供の頃からずっと一緒に暮らしてきた女の子がおるのにやで、他の女になんかうつつ抜かしよって、って感じやんかなぁ」
「いや、そういうんじゃなくて……」
「なんで昨日今日会うたような子なんかに、て感じやろ?」
「全然」
 もはやうんざり顔なルシェラ。
「だから、それはルビィちゃんのことでしょう? わたしはただ、ちっちゃい頃から一緒に遊んだ兄弟に彼女が出来ちゃった、っていう寂しさだけだもん。ルビィちゃん、やっぱりブランクのこと好きなんだよ」
 その途端、ルビィは耳まで赤くすると洗濯物を抱えてアジトの中に走り去っていった。


 近頃、どうもおかしい。
 何かというとブランクに突っかかってしまう。しかも、向こうの言い草にいちいち腹が立つ。
 その上最近は、二人っきりになったりすると、妙にどぎまぎしてしまう。
 それというのも、つい先日のあの事件(ルビィ的に)のせいだった。


***


 その日の夜、就寝前のこと。ルビィは、アイロン掛けしたシーツを各部屋に配っていた。
「ブランク〜、シーツ、アイロン終わったで」
「お、サンキュ」
 月明かりのよく差し込むブランクの部屋。その日も、蒼と紅の月がよく光っていた。
 ルビィはブランクにシーツを手渡すと、窓の側に寄った。
「わ〜、綺麗なお月さんやなぁ。ええなぁ、部屋から見えて」
「そうか? 寝るには眩しいぜ。部屋も狭いし」
 ブランクは二段ベットの下の段に首を突っ込んで、窮屈そうにシーツを敷きながら言った。
 ルビィはそれには答えず、黙ったまま開いた窓から身を乗り出すように月を眺めていた。
 晩夏の涼しい夜風が部屋に吹き込む。
 シーツを敷き終わったブランクが顔を上げた。
 と。
「あ、ルビィ」
 小声で呼び掛ける。ルビィが振り向くと、
「しっ、静かに。動かないで」
 と、小さく囁き、何やら真剣な面持ちで少しずつ歩み寄ってきた。
 ―――え、何? 何やの?
 ルビィは不意にドキドキしてその行動を目で追いつつ。
 どんどん近づいてくるので、緊張のあまりついにぎゅっと目を閉じた。
 体が触れる感触。
 ますます心臓の音が大きくなる。
 そして。

   ベシンッ!

 耳元で窓ガラスを思いっきりひっぱたく大きな音がして、ルビィはびっくりして飛び上がった。
「ふぅ、捕まえた」
 ブランクのほっとした声がすぐ側でする。
 恐る恐る目を開けて窓ガラスを見ると。
 ……。


「いやぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」
 つんざくような悲鳴に、なんだなんだと一同が駆けつけたところ。
 一同は、窓際でブランクとルビィが寄り添っているところを余さず目撃することとなった。
 全員、なんだぁ、という顔で退散しかけた。が。
 ルビィは涙目で飛び出し、ルシェラに抱きついて救いを求めた。
「ど、どうしたの、ルビィちゃん?」
 背中に手を回すと、震えているのがわかる。
 ルシェラは、思わず非難めいた視線をブランクに送った。
 物凄い悲鳴のお陰でしばらく動けなかったブランクだったが、その視線に気付いて慌てて否定する。
「何もしてないって。ブリ虫捕まえただけだぜ?」
「……ブリ虫?」
 よく見れば、窓ガラスにべったりと張り付いているブリ虫の死骸。
 ―――それはそれはグロテスクな。
 ルシェラは沈黙する。
「い、嫌やぁ、もう。ブリ虫嫌いや〜」
 泣きベソ状態のルビィはルシェラに保護されて部屋へ戻った。


***


 が、どうもそれ以来、おかしいのだ。
 急に動悸がしたり、顔が熱くなったり。
 妙にブランクが気になる―――ような。
「ちょっとぉ、ルビィちゃん?」
 ルシェラはルビィが抱き締めて皺にしたテーブルクロスを引っ張って取り上げた。
 相変わらず、ルビィはぼんやりモード。
「好きなら好きって言っちゃえばいいのに」
 ルシェラが呟くと、途端にルビィは火がついたように猛烈な勢いで反論する。
「なんで、ブランクなんか! あんな、無愛想で、減らず口で、どうしょもない男!」
「どうしようもなくて悪かったな」
 突然不機嫌そうな声が聞こえて、ブランクがアジトに入ってきた。
 びっくりして振り向いたルビィ。
「な……!」
「ま、女同士、俺の悪口でもなんでも、好きに言えばいいけど」
 戸棚にあった工具箱を引っぱり出す。
「そんな言い方せんでもええでしょ!」
 ルビィは思わず突っかかる。
「じゃ、何だよ。他にどんな言い方すればいいわけ?」
 ブランクが冷めた目線でこう言い放つと、ルビィは途端に顔を真っ赤にして怒りだした。
「その、スカした感じがむかつくっちゅうねん!」
「お前にそんなこと言われる筋合いねぇんだけど。いちいちうるせぇし」
「う、うるさい!? うるさいやて!? よぉそんなこと言うやんか!」
「うるせぇもんはうるせぇんだよ! だいたいお前……」
「スト―――――――――ップ!」
 ルシェラがいよいよ間に入って言い合いを止めた。
「なんでブランクとルビィちゃんはそうやってすぐケンカになるのよぉ!」
 二人ともむっつりして明後日の方を向いている。
「ほら、ブランクはその道具箱シナに届けるんでしょ? ルビィちゃんも洗濯の続き! 日が暮れちゃうよ」
 ルシェラはブランクを追い立て、ルビィに洗濯物の山を渡す。
 ブランクは不機嫌な表情のままアジトを出ていき、ルビィは猛烈な勢いでアイロン掛けを始めたので、とりあえず喧嘩は収まった。


 ここのところ、どうもおかしい。
 何かというとルビィに突っかかってしまう。しかも、いちいち応戦してしまう。
 さらには、どうもあれ以来、何となく二人になると気まずくなることが多いような感じがする。
 あれは不覚だったな―――……。


 ブランクは物思いに沈みながら歩いていた。
 「あれ」というのは、もちろん「ブリ虫事件(ルビィ的に)」のこと。
 あの時、ルシェラの責めるような目線に咄嗟に「何もしてない」なんて言ってしまったけれど。
 ―――「何も」って、何だよ。
 一際大きな溜め息をもらしたところで、向こうからマーカスが駆け寄ってきた。
「あ、兄キ。まだこんなところにいたっスか。シナさんが兄キが遅いって文句言ってたっスよ」
「あ―――……悪い」
「どうかしたっスか?」
「いや、何でも」
「またルビィとケンカでもしたっスか?」
「……」
 沈黙は肯定なり。
「まぁ、ケンカするほど仲がいいって言い……」
「別に仲よかないけどな」
 と、ブランクはキッパリ。
「……」
 マーカスがもの言いたげな目をしたことに、ブランクは気付かなかった。







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