<2>
秋の深まるのは早く、夕暮時にはかなり冷たい風が吹くようになってきた頃。
アレクサンドリアのガーネット女王懐妊のニュースが聞こえてきた。
タンタラスのアジトは、その知らせにみな喜んだ。
バクーなど、まるで本当の孫が生まれるような勢いだった。
そんな秋の夜長、ルビィはアジトの居間兼食堂のテーブルで縫い物をしていた。
ブランクとマーカスとシナは、「祝杯をあげるど」と言うバクーに半ば無理矢理酒場に連れられて出かけていたし、バンスとルシェラはもう休んでいた。
部屋の中にいても、虫たちがひっきりなしに鳴いているのが聞こえてくる。
他には何も音はせず、しんとしていた。
しばらくしてふと人の気配を感じ、ルビィは顔を上げた。
戸口には、ブランクが立っていた。
「どないしたん、ブランク。ボスたちは?」
「うん、酔っぱらって寝てるから置いてきた」
「またぁ。店の人に悪いやんか」
「って言っても、三人も担いで帰ってこれないし」
ブランクは足音も立てずに側まで来ると、ルビィの隣に腰を下ろした。
不意に、沈黙が流れる。
ルビィはその空気に心地よさを感じ、敢えて自分から壊す気になれなくて黙ったままだった。
手だけ動かし、バンスが盛大に作ったズボンの鉤裂きを繕っていた。
しばらくすると、ブランクが気まずそうに小さく呟いた。
「……一人でいるだろうって思ったから」
「? なに?」
ルビィが手を休めて振り向くと、ブランクは目線を逸らした。
「何でも」
「何よぉ。はっきり言うたら?」
「別に」
「またそれやん。もぉ」
しかし、何となく静かな雰囲気の中、いつものように言い合いにはならなかった。
ルビィは再び手を動かし始めた。
「ジタンと姫さん、よかったなぁ」
「え? ああ。子供のことか?」
「そ。姫さん、幸せやろねぇ。好きな人と結婚して、子供が出来て。ええな、そういうの」
そう言って、柔らかい笑みを浮かべる。
思わぬことに、ブランクは目のやり場に困る。頭の後ろで両手を組むと、思いっきり顔を背けた。
しばらく黙ったまま、ルビィはズボンの鉤裂きと格闘していた。
「まったく。バンスはどこでこんなん引っかけたんやろなぁ」
ようやっと仕上がって、見栄えを確認してからふと隣に目線をやると。
ブランクはテーブルに突っ伏して寝入っていた。
「ちょ、ブランク……。もう、しょうがないんやから」
わざとらしく溜め息をつき、顔を覗き込む。
子供の頃と変わらない寝顔に思わず笑みが漏れた。
「可愛い顔してもうて。……このままじゃ風邪ひくで、ブランク」
しかし、返ってくるのは穏やかな寝息のみ。
ルビィは針や糸を仕舞いに行くついでに、毛布を取ってきた。
規則的に上下する肩にできるだけそっと着せ掛け、変わらず寝入っているのを確認して、少しほっとする。
ブランクは、とにかく眠りが浅いのか、ほんのちょっとの音でも目を覚ましがちなのだ。
ルビィはまた椅子に座り、ぐっすり眠っているブランクを、頬杖をついて眺めていた。
なんだか幸せな気分だ。
やっぱりルシェラが言う通り、好き、ってやつなのだろうか?
だとしたら、いつから?
ルビィはタンタラスに来た頃のことから思い返してみた。
***
十歳になったばかりの秋。田舎の実家を飛び出した。
母親は三年前に亡くなっており、父親が新しい妻を迎えたのが一年前だった。
ウマが合わない……ぐらいなら、可愛いものだった。
この先ずっと、一緒に暮らすなんて耐えられないと思った。
―――都会に出て、一人で働いて暮らそう。その方が、父さんかてほっとするやろし。
……ほとんど家出だった。
リンドブルムの町まで来てみたはいいが、小さな女の子が一人で暮らすには難しすぎる街。いくらルビィがしっかりしていても、本や人から聞いて大きな街の危険さを知っていたとしても、日に何度も危ない橋を渡る羽目になった。
やがて、絶体絶命のピンチが訪れる。裏通りにたむろする輩に捕まってしまったのだ。
いかにも悪そうな顔をした三人連れ。目つきも鋭く、手でナイフを弄んでいる。
―――どうしよう。殺される!
怖くて怖くて、膝が震えて逃げられない。
「お嬢ちゃ〜ん、どこから来たのかな?」
「お嬢ちゃん、幾つ?」
もちろん、震えてしまって喋れない。
「十歳くらいかな〜」
「いい年頃じゃん。子供欲しがってる店あったぜ」
み、店? う、売られるの?
ぎゅっと目を瞑る。
「よし、行こうぜ」
首根っこをつかまれたまま連れ去られそうになった時。
「ちょっと待ちな!」
不意に、頭上で声がした。
何かと思って目を開けてみると、屋根の上から人が降ってきた。
軽々と地面に降り立ったのは、少年三人。
「なんだぁ、お前らは」
「俺たちはタンタラス盗賊団だ」
「へっ、それがどうした!」
ひときわ大柄な男がナイフを振るって近くにいた金髪の少年に斬りかかる。
思わず悲鳴を上げるルビィ。
が、少年はひょいっと避け、腰に刺していた短剣を抜く。
「そっちからかかってきたんだからな!」
それを合図としたように、他の少年たちも剣を抜いた。
十分後。
ルビィは自由になった。
というのも、少年たちの親?親分?がやってきて、全員(悪そうな男たちを含む)に拳骨を食らわせたせいだった。
男たちは逃げていき、腰の抜けたルビィはその場に座り込んだ。
「大丈夫か?」
側に立っていた赤毛の少年が心配そうに尋ねてくれた。
まだ頭を抑えているので、よっぽど鉄拳が痛かったと見える。空いている手でルビィを引っ張りあげてくれた。
「う、うん。ありがとう」
まだ膝が震えていたが、ルビィは何とか立ち上がった。
「ったく。おめぇら騒ぎ起こす天才だな。おい、嬢ちゃん。おめぇ、こんなところで何フラフラしてるんだ。危ねぇだろうが。早く家へ帰んな」
親分がやってきて少年たちに文句を言ってから、ルビィの顔を覗き込むようにしゃがんだ。しかし、ルビィは困って顔を背けた。
―――だって、帰る家なんてないんやもん。
もしかしたら、万に一、父さん心配して探しに来るんやないかと思たのに。
手紙には、元気で頑張れ、て書いてあった。もう帰ってくるなってことやんか。
だいたい、あの人ホンマはうちのことなんて愛してないねん。
早いトコ片付けたいって思ってたんやろな。
お母さんのことかて、愛してへんかった。お母さんが死んでしもうた日も、あの女のところにいたんや。
――――――悔しい。
「おいおい、どうした」
ボロボロ泣き出した少女の頭に大きな手を乗せ、親分の男は優しい口調になった。
「おめぇさん、帰るところがないのかい?」
ルビィは咽び泣きながら、首を縦に振った。
「ボス!」
側にいた赤毛の少年が不意に親分を呼ぶ。
「あ〜、おめぇの言いたいことはわかってるがよ。まったく、ジタン、マーカス、次はこの嬢ちゃんか?」
「だって、ほっとけないだろ?」
「まぁな。ま、とりあえずアジトに連れて行くか」
「ボス、その人タンタラスに入るの?」
と、金髪の少年。
「そうなんっスか?」
バンダナで目元まで隠した少年も尋ねる。
「そういうことは、事情を聞いてからってんだよ。おめぇら揃ってまぁ、仲間が増えるのは楽しいか?」
金髪の少年(よく見ると尻尾も生えている)はボスにぴょんっと飛びつくと、元気に「うん!」と答えた。
「バカもん! おめぇらの楽しみのためにガキ何人預からせるつもりだ!」
ボスは振り向いて優しく笑うと、ルビィに言った。
「ついておいで」
ルビィは棒のように立ち尽くした。
ついていって大丈夫なのだろうか? 都会では知らない人についていかないこと、って、お母さんはよう言うてたけど……。
「大丈夫だよ、ボスはああ見えて優しいから」
赤毛の少年がルビィの手を握り締め、引っ張って歩き出した。
その暖かい手に、なぜかルビィは再び泣き出しそうになった。
***
くしゅん!
ルビィは目を覚ました。
いつの間にか眠り込んでいたらしい。
月がすっかり傾いて、かなり夜更けであることがわかった。
寄りかかっていたテーブルから体を起こすと、背中から毛布がずり落ちた。
「あ……」
キョロキョロ辺りを見渡すと、部屋の隅のほうにブランクが座っていた。
ランプの明かりで一心になにやら読んでいる。
ルビィが立ち上がると、ブランクは顔を上げた。
「うち、いつの間にか寝てしもうたんやね」
ルビィは床に落ちた毛布を拾い上げ、ブランクに歩み寄った。
「寒うないの?」
「平気」
ブランクはぶすっとした顔で答える。
「なんで部屋に戻らへんかったの?」
「……なんとなく」
「なんや、それ」
ルビィは毛布をブランクに手渡そうとして、触れた手が冷たいのでびっくりした。
そういえば、さっき誰かがくしゃみしたような。
「やっぱり、寒いんやないの?」
「別に」
「も〜、ブランク。風邪ひいても知らんよ。うち、部屋戻るから、これ使うてや」
「んじゃ、俺も戻る」
「なんやの、それ」
ブランクは毛布を受け取ってさっさと歩いていった。
「なんやの〜、もう」
ルビィは口を尖らした。
―――やっぱり、変だ。
ふと目を覚ましたら、隣でルビィが眠り込んでた。
なぜかドキッとして跳ね起きて。毛布が掛かってることに気付いた。
それだけで、何だか嬉しかった―――なんて、誰にも言えん。
それに、ルビィの寝顔は、何か泣き出しそうな顔だった。
自分が寝こけたせいで、こんなところでうたた寝させてしまい。
さらにこんな顔をされたら。
放っておくわけにいかなくて、自分に掛かっていた毛布を掛けてやってから、部屋の隅に行ってずっと見ていた。
夢でも見ているんだろうか?
悲しい夢なんだろうか?
気になって気になって、ずっと見つめていた……。
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