<3>



 ひどく急いた足取りでアジトへ飛び込んだブランクは、「ルビィ」と呼ぼうとして、思わず立ち竦んだ。
「あぁ、ブランクお帰り〜」
「早かったね」
「今日は姉さんとこおらんかったんやて? こんな日に限ってしょうもないなぁ」
 ルビィとルシェラは顔を見合わせて笑った。
「お、お前……」
 ルビィがいつもと違うのは、居間のソファーに分厚くクッションを重ね、その上にうつ伏せに寝っ転がっていることくらいだった。
「まだ産まれんから安心しぃや」
 と、ルビィは余裕の笑み。ブランクは何だか拍子抜けしてしまった。
「マリアは?」
「部屋の準備してるよ。ブランクがルビィちゃんに付いててくれるなら、わたしも手伝ってくるけど」
 と、ルシェラ。
「……へ?」
 ―――俺が一人で?
 と、うろたえたのが表情に出たのか、ルビィが再びニヤニヤと笑っている。
 「お産の時くらい、男が何の役にも立たない時はないよ」と、ガーネットがエメラルドを産んだ日に誰かが言っていたのを思い出した。
「ええよ、ルシェラ。姉さん一人じゃ大変やし、行ってきてあげて」
「うん、わかった」
 ルシェラは不安げにちらりとブランクの顔を見たが、やがて階段を上がっていった。
「なんともないのか?」
 どうしたらいいのかわからず、とりあえずブランクはルシェラが座っていた椅子に座ってみた。
「時々来るけど」
「何が」
「陣痛」
「……」
 確か、ガーネットはひどく辛そうだった。そんな妻の様子におろおろしていたジタンの姿が目に浮かぶ。
 俺もあれになるのか。
 そう思うとやるせない気持ちになる。
「なんや、また余計なこと考えとるんやろ」
「で、どうすればいいんだ?」
 それには答えず、ブランクは訊ねた。
「こうな、痛みが来たら腰をさすってもらうとええねんて」
 と言っているうちに、うぅ、と唸り声を上げて、ルビィの頭がクッションに沈んだ。
「なんだ、どうした?」
「いたたたた……」
「も、もう産まれるのか?」
「まだやて言うとるやろアホぉ!」
 クッションが一つ飛んでくるのを避け、途方に暮れて腰をさすってやってみた。
「もっと気持ち入れてさすらんかいボケ」
「……お前、ここぞとばかりに悪態ついてるだろ」
 と、小さく呟いたブランクの言葉は、仲間たちの笑い声で掻き消された。
「修羅場かと思いきや」
「こんな時でも夫婦漫才ずら〜」
「しかもブランクが圧倒的に圧されてるのな」
 わはははは、と愉快な笑い声に合わせて、ルビィも肩を震わせている。
「……覚えとけよ」
「そんなもん、綺麗さっぱり忘れたるわ」
 ルビィは鼻を上に向けて笑った。



***



 やがて、ルビィはマリアとルシェラに付き添われて産室代わりの自分の部屋へ行き、居間では五月に産まれたエメラルドの時と同じように、タンタラスの面々が産湯の用意と、赤ん坊を寝かせる布団の用意などを始めた。
「お前さぁ、ついててやれよ」
 ジタンが呆れたように言った。
 ブランクは階段の辺りで行ったり来たりしながら、時々上の階を見上げては溜め息を吐いていた。
「ルビィだって、側にいて欲しいって思ってるぞ、きっと」
「どうだか」
 ブランクは嘯いた。本当は自分が行きたくないのだとは、とても言えない。
「どうせ邪魔だろ」
「そんなことないって。オレらには子供を産むことはできなくても、一緒に頑張ってやることはできるって思うぜ」
 しかし、ブランクは頑として上の階へは上がりそうもなかったので、ジタンは忙しいこともあって放っておいた。
「ジタンさん、アレクサンドリアへ帰らなくていいんスか? 最終出ちゃうっスよ」
「あ」
 ジタンは時計を見た。六時十分前。
「ん〜、明日の朝一で帰るわ」
「そうしてもらえるとありがたいっス」
 マーカスが困ったように笑いながら、後頭を掻いた。
「なんたって双子っスからね、倍も忙しいっス」
「そーそー、どっかの誰かさんが頑張っちゃったからな〜」
 ジタンが横目で見ながら言うと、ブランクは眉を顰めて睨んだ。

 双子だと聞いた時は、本当に自分のせいかと思ったのも、また彼であった。

「ブランクそこにいる?」
 ルシェラが部屋から顔を出し、階下を覗き込んだ。
「なんだ〜?」
 と、答えたのはジタン。
「ルビィちゃんが呼んでるよ。ブランクに、側についてて欲しいって」
 ルシェラがそう言うと、ジタンが肘でブランクの脇腹を突っついた。彼の青い目は「ほれ見たことか」と悪戯そうに笑っている。
 ひどく居心地が悪くて、ブランクは小さく舌打ちした。
「早く!」
 ルシェラは存外真剣な表情で、ブランクを手招きしている。
 観念して、ブランクは階段を上った。
「もう産まれるのか?」
「もうちょっとだって」
 部屋を覗いてみると、ルビィが心細そうな目でこちらを見ていた。そのいつにない表情に、さっきまでの居心地の悪さなど吹っ飛んでしまった。
「ほら、手でも握っててやりなさい」
 マリアが忙しそうに立ち回りながら、ブランクに苦笑した。


 今から思えば、ルビィもどこかで不安を感じていたのかもしれない。






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