あいつに、口で勝てた試しはない。
 それでもタンタラスに来たばかりの頃は、まだ借りてきた猫のように大人しかった気もするが。
 いつからそうなったのか、今やあいつに勝てる奴は一人もいなくなった。


 だから、買出し当番がたまたま一緒になったとき。
 俺はわざとガツガツ歩いてやる。
 この時だけは、優越感に浸れるから。
 小走りで追いかけてくるあいつに、ただ唯一、勝てる瞬間。
 ―――文句を言う口は、相変わらず煩いけれど。





Tantalus' Panic! 1796    〜Twilight〜





「ちょぉ待ちぃ、ブランク!」
 大股でずんずん歩いてゆくブランクを、ルビィは速足で追いかけていた。
 追いかけっこはかれこれ十分近く続いていたが、ブランクの歩みは依然速く、ルビィは少し息を切らせたまま後を追っていた。
 もちろん、言いたい文句は山のようにある。
 しかし、追いつかなければ文句も言えなかった。


 いつもそうだった。
 ブランクはいつもさっさと先に行ってしまった。特に、言い合いをした後はその現象が激しくなった。
 これがマーカスなら、彼は決してルビィの先を歩くことはなかったし、ジタンは時には先に行くこともあったが、道草をして後ろになることもあったし、キョロキョロ落ち着かない素振りで隣にいることもあった。シナは基本的に足が短くてどんくさいので、ルビィが歩調を合わせることが多かった。
 だから、ブランクだけだった。
 赤毛の後頭を、いつの間にか少し大人びた背中を、盗賊らしく無駄のない足運びを見ながら、ルビィはいつも悔しかった。
 どうしても、この時だけは勝てない。
 例え、店についてしまえばお返しに山のような荷物を全部持たせるのだとしても、この時だけは悔しかった。


「ブランク!」
 息が切れて、少し悲痛な声色になっても仕方がない。
 小走りのスピードを上げて追いつくと、彼は涼しげな顔でちらりと目線をくれてきた。
 思わず睨みつけると、相手は何となく得意げな表情になる。
 それさえも腹が立った。
「この、人でなしっ」
「何でそうなるんだよ」
「歩くの、早すぎんねん」
「お前が遅いんだろ」
「普通、遅い方に、合わせるもんやで」
 切れ切れの息で抗議すると、ブランクは「ふふん」と音でもしそうな顔で見下してきた。
「そんなんやから、モテへんねん」
「誰が」
「ろくでなしっ」
 ブランクの歩調が再び上がり、ルビィは置いてけぼりを食った。
 もう、追いかける気力も出ず、背中を眺めるしかない。
 「後で覚えときっ」と心に思いながら、ルビィは苛々と歩いた。


 二人が買出しを終え、アジトへ帰りつくと。
「ルビィとブランクが当番だと、なんか食料庫が一気に満員だな」
 と、ジタンは毎度毎度、同じことを言った。



***



「またあんたなん?」
 ルビィは玄関先でうんざりした声を出した。
 ここのところ順番を変わったりしたので、連続三回目だ。
 食料庫は相変わらず「満員」だったから、今日の「お返し」はあまり期待できなかった。
 ブランクは不服を言うルビィを尻目に、さっさと出かける。
 むくれたまま、ルビィも玄関を潜り抜けた。


 空は夕焼けというにはいやに紫がかっていた。いっそ気味が悪いほどだった。
 烏が群れ飛んでいるのを眺めながら、今日は追いかけてこないらしいルビィの気配を背中に感じて、歩く。
 怒ったり泣いたり喚いたり、ほうきを振り回したり。忙しいほどに感情をむき出しにするルビィ。
 ちょっと自分には真似できそうになかったし、真似したいとも思わなかったけれど。
 一つ言ったら三倍どころか十倍返しに返してくるから、そのうち何も言えなくなった。
 初めて喧嘩をしたのは、いつだったのだろう。
 確か、彼女をひどく怒らせた。


 ブランクは、はたと立ち止まった。
 一定の距離を置いて歩いていたルビィの気配が遠ざかったからだ。
 振り返ると、ルビィは棒のように立ち竦んだまま、どこかを見ていた。
 その表情にぎょっとして、ブランクは来た道を戻った。
「どうした?」
 彼女は答えず、同じところをじっと見ていた。愕然とした顔をして、目に苦痛の色が走った。
 同じ方向を確かめてみたが、特に変わったものはなさそうだ。
「ルビィ」
 呼ぶと、目線を彷徨わせたまま、やっとこちらを向いた。
「どうした?」
「なんでも……」
 膝が震えているらしく、手をつくとそのまましゃがみ込んでしまった。
 どこか具合でも悪くなったかと、ブランクはますます焦る。
「大丈夫か?」
 顔を埋めたまま頷いてみせるが、とても大丈夫そうには見えなかった。
「何を見たんだよ」
「何でもないの。気にせんといて」
「普通気にするだろ。言えよ」
 ルビィは困ったように顔を上げた。
 本当は、言ってしまいたかった。自分の胸にだけ仕舞えるような、軽い衝撃ではなかった。
 ただ、そういう話を彼が好かないのも知っていた。
「言えって」
 ブランクは熱心に促す。誰かが苦しんでいるのを放っておけるほど、彼は冷酷ではなかった。
 ルビィは左手に続いている小道を見上げた。
「父さんに似とる人が、な」
 小さな声で、彼女は白状した。
「そこの道を、歩いとったってだけ」
「お前の父親が?」
 ルビィは頭を振った。
「たぶん、他人の空似やと思うけど」
「追いかけなくていいのか?」
 ルビィは思わずキッとばかりにブランクを見た。それで、彼は少し怯んだ。
「なんで追いかけるん?」
「だって……お前のこと探してこっちに出てきてるのかも知れねぇし」
「今更? 今まで放っておいて今更うちのこと探しとるん?」
 ルビィは哂った。
「そんなん、お金でも毟りに来たんちゃうん? そうやなかったら、また……」
 そこできゅっと口を結んだ。―――そうだ、その話は誰にもしていなかった。
「兎に角、ただの似た人やて。大体、後姿しか見てへんねんもん」
「そうだな」
 ブランクも空似説に同調した。
「気にするなよ」
 ブランクに腕を引っ張られて、ルビィはようやく立ち上がった。


 それで、また買出しに戻った。
 ブランクは気遣っているのか今日はもう先には行かないらしかった。
 食料庫が「満員」だったこともあり、今日はあまりたくさん買わずにアジトへ帰った。
 それを見たジタンが、
「あれ? 珍しいな」
 と言ったが、二人とも何も言わなかった。
 その日のルビィは、空気の抜けた風船のように元気がなかった。



 ブランクは後悔していた。
 いつも速足で歩いていたこと。
 優越感に浸っていたのが、酷く馬鹿らしく思えた。
 もし、彼女の隣を歩いていたら、何か話をしてさえいたら。
 ルビィは見たくないものを見ずに済んだのかもしれない。
 空が変な色だと指差していれば、見なくて済んだのかもしれない。
 ただの似た人であろうと、―――あり得ないとは思うが、本人だったとしても。ルビィが何か嫌なことを思い出したのは明らかだった。
 元々、幼い少女が一人で都会に出てきた時点で、家で何かあったことは歴然としていたのだから。





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