<2>
その夜は蒸し暑くて、いくら寝返りを打っても眠れなかった。
二段ベッドの上の段では、寒かろうが暑かろうが、地震がこようが槍が降ろうがぐぅぐぅ眠り続けるだろうジタンが、相変わらず気持ちよさそうに眠っていた。
それが何となく気に食わなくて、ブランクを更に苛々させた。
仕方がないので、水でも飲もうと階下へ降りることにした。
台所には先客がいた。
「ルビィ」
テーブルに突っ伏してぴくりとも動かない彼女に、ブランクはごく小声で呼びかけてみた。
反応はなかった。
酷く不安になって、もう一度呼んでみた。
「何?」
急にむくりと起き上がったので、ブランクは少し吃驚した。
「どないしたん、ブランク。眠れんの?」
「お前こそ、どうしたんだよ」
ルビィはうんざりしたような笑顔で答えた。
「こう暑いと敵わんわ」
うーん、と伸びをして、ルビィの表情は朗らかだった。
心配して損した、と、ブランクは無視を決め、コップに水を汲んだ。
「喉乾いたん?」
「まぁな」
「いっつも、暑い暑いは辛抱のない奴が言うセリフやって言うとるの、どこの誰やったっけ?」
ルビィは悪戯っぽくそう言った。
全く、普段通りのルビィだった。
後悔して損した、と、ブランクは無言のまま水を一気飲みした。
「じゃぁな」
幾分乱暴にコップを置くと、ブランクは部屋へ戻ろうと踵を返した。
「お休みぃ」
ルビィは暢気な声で言った。
けれど、何となく気になって、ブランクは階段の前で振り返った。
ルビィは頬杖を付いて窓の外を見たまま、ぼんやりとしていた。
何だか泣き出しそうな顔だ、と、ブランクはちらっと思った。
そう思ってしまったせいで、部屋へ戻ってもまた寝付けなかった。
***
昼間はざわざわと喧騒のするリンドブルムの街も、夜更けの今はしんと静まり返り、どこからか虫の声さえ聴こえていた。
世界の全てが眠っている今、自分だけが取り残されているような、孤立しているような、何だか変な気分だった。
ルビィはどうしただろう。
結局気になって、もう一度起きだした。
果たして、ルビィはさっきと同じように、台所に座っていた。
相変わらず、泣き出しそうな顔で月を見ていた。
「寝ないのか?」
声を掛けると、ビクッと震えてから振り向いた。
「何? ブランクこそ寝ぇへんの?」
ブランクは答えず、ルビィの隣に座ってみた。
ルビィはしばらくまじまじと彼を見ていたが、やがてまた窓の外へ目線を移ろわせた。
世界からはぐれた時間を、誰かと共有しているのは妙だ。
まるで迷子になった二人の子供のように、どこか共感を抱きながら、それでも手を差し伸べ合うことはしない。
同じ悲しみを持っていても、向かう先は全く別なのだ。
「何でなんやろな」
俄かに沈黙を破ったのは、ルビィだった。
「何でやろ、忘れてしもうたら楽なのに」
問わず語りに、ルビィは呟いた。
「忘れたいと思えば思うほど、忘れられへんのは何でやろな」
忘れたい記憶。
小雪が舞い散るの中、白い世界には場違いなほどくっきりと真っ赤な唇が、「じゃぁね」と形取り、去っていってしまったあの日。
体の中まで染み込むような寒さは、痛みのように襲ってきて。
―――母親が、自分を捨てていったあの日。
忘れられなかった。夢に見てはうなされた。
一瞬古い記憶が蘇って、ブランクは知らず溜め息を吐いた。
本当に、忘れたいと思えば思うほど、忘れられないと思った。
「だんだんと、忘れてしまうような思い出もあるのに」
ルビィは相変わらず外を見たまま、ブランクの溜め息にも気付かないようだった。
「大事な思い出に限って、忘れたないと思えば思うほど、泡みたいにどんどん消えてしまうねんな」
哀しそうに、そう言った。
大切な記憶。
言われてみれば、バクーに拾われたことは全く覚えていなかった。
気付いたらタンタラスにいて、それが普通だと思っていた。
「大事な思い出って?」
ブランクはふと訊いてみた。
途端に、ルビィははっとして振り向いた。
「べ、別に。話すようなことやないし」
「でも、聞いてみたい」
困った顔をして、ルビィは俯いた。
「ブランクの嫌いな話やで」
「あ?」
キョトンとブランク。
「母さんの話、嫌いやろ、ブランク」
消え入りそうな声で、ルビィは言った。
「あ」
急にあることを思い出して、ブランクは少し可笑しくなった。
そうだった、初めて喧嘩をしたのは―――
「ブランク、あの時ごっつ怒ったやんか」
「覚えてたのか」
「せやかて……悪いことしたと思うたから」
まだルビィがタンタラスに来たばかりの頃、ジタンにせがまれて母親の話をした。
かなり自慢が入っていて、我ながら得意になって話していたものだと思う。
何故か機嫌が悪くなったブランクが、突然「聞きたくない」と言い出した。
「母親の話なんて聞きたくない」
と。
「それならどっか余所へ行ったらええやん」
ルビィは応戦した。
「なんで俺が出てかなきゃいけないんだよ。お前が黙れ」
黙れ、という言葉に、ルビィは思わずカッとなった。
「聞きたいって人もおるんやで」
ジタンを指差すと、まだ小さかった彼は意味が分からず首を傾げた。
「前からここにおるからって、威張らんといてくれる?」
そう言ったら、怒った顔をして出て行ってしまった。
後から聞いたのは、ブランクが母親に捨てられたという話。
酷いことをしたと思って、後悔した。
「忘れてた」
ブランクはくつくつと笑った。
「うちはずっと覚えとったよ」
ルビィは哀しそうに言った。
「いつか、謝らなあかんと思うて」
「別に、いいって」
「せやけど」
と言ったきり、どう続けたらいいのかわからなくなったようで、ルビィは黙り込んでしまった。
それを言ったら、謝りたいのはこっちの方だけどな、と、ブランクも口には出さずにそう思った。
***
「また、あんたなん?」
ルビィはうんざりしたように言った。
あれから順番を変わったりしたので、買出し当番はお互い一週間ぶりだった。
食料庫は空っぽに近く、格好の「お返し」日和だった。
「あれ? 今日は先に行かへんの?」
ルビィは隣を歩くブランクに、幾分驚いたように言った。
「ん、もうやめた」
ブランクは心持ちぶっきら棒にそう答えた。
「なんでいきなり。今日は負けへんように、ちゃんとスニーカー履いてきたんやで」
と、足元を指差す。
「じゃぁ、ガツガツ行くか?」
「……ええわ、疲れるし」
げんなりした調子で、ルビィは言った。
おかげで食料庫は「満員」にならず、次の当番のジタンがブーブー言った。
バクーが「いい加減ガキでもあるまいし、買出し当番ぐれぇは一人でやるようにしろ」と言い出したのは、それからすぐのことだった。
だから、並んで歩いたのはそれが最後になってしまった。
紫色に染まりかけた気味の悪い空を見ながら、ブランクは時々思い出していた。
トコトコと、小走りに追いかけてくるルビィのこと。
その瞬間だけは、いつもは憎たらしいほどの彼女も、ちょっとだけ可愛く見えた。
-Fin-
久々のタンパニ、久々のブラルビでありましたv
・・・って、どこかブラルビなんじゃ〜い(−−;)
なんかもっとこう切ない感じのラブストーリーみたいなのを書きたかったのですが、
うちのブラルビはホントに書きづらい設定というか、ラブラブなのは難しいのです・・・(TT)
それもこれもブランクのせいなんだけどさ〜(違うだろ
まだまだブラルビ熱は冷めなそうなので、またリベンジしますよっ!(気合)
街にはネタが溢れていると常々思ってはいましたが、
今回の話は何気なしに通りかかった少年たちの会話からヒントを得て書きました(笑)
その二人がねぇ、ホントにブランクとマーカスのような二人で。顔とかは全然違いましたけど(笑)
ブラルビ熱↑以来、どんな話を書こうか考えていたので、まさに犬も歩けば♪
ということで、採用させていただきました(笑) ありがとう、少年たち!(絶対見てないだろうけど)
さぁ、みなさんも街へ出ましょう(笑)
2005.9.5
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