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「ほら、おかゆさん炊いたから」
ルビィはつっけんどんに、父親の鼻先に小さなお椀を突き出した。
「お前の不味い飯なんぞ食えるか」
「あ、そ。そんなら好きにしたらええわ」
彼女は叩きつけるようにお椀を床に置くと、そのまま病人を放っておいた。
夜が近づくにつれ、ルビィは明らかに平静を失い始めた。十五年前、この家を出て行ってから、初めてこの家で迎える夜。
それは、ルビィに「思い出したくないこと」を思い出させるのに、十分な効果をもたらしているらしかった。
夕食が終わると、ルビィはブランクの手を引いて、幼い時分に暮らしていた部屋へ案内した。
「ホンマに、まったくあん時のままやな」
呆れた響きを込め、ルビィは自分の部屋を眺めた。彼女が出て行った時のまま、その部屋は小さな女の子の部屋だった。
「この部屋で」
ルビィは不意に口火を切り、ブランクははっとして振り返った。
「夜になると、父さんが―――」
「ルビィ」
小さく震えると、ルビィは頭を振った。
「……うんん、もう忘れた。今のうちは、父親が怖くて震えるだけの、ちっちゃな女の子と違うねん」
しかし、彼女のブルーグレーの瞳は恐怖に揺れていて、ブランクは咄嗟に、その身体を腕に閉じ込めた。
「今は、俺がいる」
だから、大丈夫だ。そう言うと、ルビィはこくりと頷いた。
ルビィは再びブランクの腕を取り、今度は記憶にも豪奢とは程遠い客間に連れて行った。ルビィの部屋は小さくて、ブランクと二人で泊まるには狭すぎた。
「あちゃー」
しかし、客間はひどい有様で、埃が被ったベッドはすぐさま使えるとは思えなかった。
「どないしよ」
「掃除するか?」
「掃除しただけで使えるんかな……」
ルビィは困惑気味に、ベッドのスプリングを試してみた。わっと舞い上がる白い埃。
「ぶっ、止めとけって」
「うーん」
ルビィは腕を組んで、とにかく今夜は諦めて、いちばんまともな自分の部屋で寝るしかないと心を決めた。
「お前、大丈夫なのか?」
ブランクはひどく心配そうな目をしている。大丈夫かどうかは、彼女にはわからなかった。
いちご柄の壁紙も、カーテンも、真っ白な天井も、チェックのベッドカバーまでもがあの日のままだった。
その部屋に、大人になった自分がいて、隣にはブランクがいて、居間には瀕死の父親が寝ていた。
ルビィは込み上げる悪寒に耐えるように、自分の腕を自分で抱き締めた。
「ベッド……えらい小さいねんけど」
子供用のそれは、ルビィ一人でも狭そうだった。
「まぁ、何とかなるだろ」
ブランクはそんなこともありそうだと持参していた寝袋を広げた。
その間に、意を決したルビィはベッドに横になってみた。そこは、嫌な思い出と大切な思い出が同居する場所だ。
眠れないと泣きつくと、母は枕元で歌を歌ってくれた。彼女が眠りにつくまでずっと……
「ルビィ」
ぎょっとしたブランクが寝袋を飛び越えて彼女の元に駆けつけた。
「どうした、大丈夫か?」
ルビィは自分が泣いているらしいことに気付き、僅かに自嘲した。
「平気や、ちょっと色々思い出しとっただけ」
安心させるように微笑みかけると、ブランクはやれやれと肩の力を抜いた。
「なぁ、ブランク」
「ん?」
「これ、どないしよ。うち足が出てしまうわ」
見ると、子供用のベッドからは、ルビィの足が15センチくらい飛び出していた。
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