<2>
前のブランクと今のブランク。
どっちも同じブランクなのに、どうしてこんなにも受入れられないのだろう。
ジタンもマーカスもシナも、もうみんなすっかり打ち解けて、前みたいに冗談を言い合ったり、協力して仕事をしたりしているのに。
いつまでたっても戸惑いが抜けなくて、ルビィには今のブランクをそのまま受入れるだけの余裕が持てなかった。
ブランクは、そんなルビィのことなどまるで気にならないようで、あの日目が覚めてからこちら、彼女とほとんど言葉を交わしていないのを訝しがる様子もなかった。
ぽっかりと空いた心の穴。
それを埋めるには、きっとものすごく時間が必要だとルビィは思った。
……自分がそんなに求めていたなんて、知らなかった。
「良うなることはないん?」
思わずそう呟いた時、他の仲間たちは居間にはいなくて、バクーだけがコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。
「ブランクか?」
「……うん」
「医者は一時的なモンで、いつかは戻る可能性もあるとは言ってたがな」
「いつかって、いつ?」
「そりゃ、明日かもしれんし、一ヶ月後かもしれんし、一年後……」
「―――わかった、もうええわ」
ルビィは溜め息を吐いて、頭を小さく振った。
「そろそろ気持ちに整理つけた方がいいんじゃねぇのか?」
バクーはぽんぽんとその頭を軽く叩くと、椅子から立って居間を出て行った。
「整理……って言うたって」
どう、整理をつければいいのだろう?
もう覚えていないのなら、今までのこと全てをなかったことにしたらいい、ってことなのだろうか?
それとも、今までのことを最初っから全部説明して、台本みたいに丸覚えさせて、これまでと同じように続けていけばいいってことなのだろうか?
どっちにしたって、ブランク自身がそれを思い出すことは、もうないのだ。
ここから、新しく始めれば……いいのだろうか?
床がキィと小さく軋んで、ルビィは顔を上げた。
ブランクが僅かに目を見開いて、彼女を見ていた。
「あ……」
滑らかな白い頬からポロリ、と落ちたものを認めて、ブランクは戸惑ったような表情になった。
「……何か用?」
泣いていたのだ。視界が一面滲んでいて、ルビィはようやく自分が泣いていたことに気付いた。
乱暴に頬を擦る。
―――アホらし。泣いたって何の解決にもならんのに。
ブランクはしばらく黙ったままだったが、やがて思い出したように呟いた。
「研ぎ粉……切らして」
「その二番目の引き出しに入っとるから」
ルビィは自分の側の戸棚を指差した。
「赤い箱のやつ」
「……どうも」
妙に恐る恐る、ブランクは戸棚に近づいた。ルビィの方を見ないようにしているのがありありと分かって、ルビィは思わず小さく笑った。
それを聞きとがめて、ブランクはちらりとルビィを見た。そして、引き出しを開けようと伸ばしていた手を引っ込めた。
「……あの」
「ん? その引き出しやで、どないしたん?」
「……いや」
完全に手を下ろして、ブランクはもう一度ルビィを見た。
ごしごしと擦っても拭いきれなかった涙がまだ頬を濡らしていて、ブランクはまた動揺して目を逸らした。
「何よ」
「……」
「無視しとるん?」
「……」
「ええ度胸やん」
「……違う」
「あ、そ。そしたら何?」
ブランクはまたルビィを見て、今度はじっと見たまま目を逸らさなかった。
ルビィもブランクの顔を見ていた。当たり前だけれど、顔は何も変わっていないのだった。
「……なんか、泣いてたのかと思って……」
「そうみたいやね」
ルビィはもう一度頬を擦った。そこはまだ濡れて冷たかった。
「俺の……せいなのか」
「勘違いせんでよ」
ルビィは強気な口調を変えなかった。
「あんたに何かできるとか思うとるわけ? どうしようもないやん、あんたがどうとか、そういうことやないの」
とても、直視しては言えなかった、から。ルビィはさりげなく顔を背けた。ブランクは黙ってじっとルビィを見つめていた。
「そこの引き出し、さっさと持って出てって」
しかしブランクは動かないままで、居間はひどく静かになった。
―――こーゆー時、気の利いた一言も言えないトコまで、前とおんなじやもんね。
ルビィは小さく溜め息をついた。
いい加減ぴくりとも動かないので、ルビィはちらりと顔を上げて、相手を窺った。ブランクは引き出しの方を向いたまま、じっとその取っ手を睨みつけていた。
「ホンマに、あんたのせいやないし」
ルビィはそう付け加えた。
「あんたに反省してもろうても、仕方ないやろ」
何だか妙な間だった。ずっと前からそうしてきたはずなのに、まるで初めて出会った人のようだ。
「……悪かった」
小さく、呟いた言葉。
「あんたに謝ってもろうても意味ないねん」
結構酷いことを言ったかもしれない、と、ルビィはそう思って、フォローするように少し笑った。
「もう、ええから」
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