<3>
ルビィは役を降りることになった。足首は重症の捻挫で、医者からは絶対安静と言われた。
次の幕からルビィの代役を務めた若い役者は案外と上手く演り、舞台はかなりの好評だった。歓声を浴びる団員たちはとても輝いていた。
だから、それを舞台裏から見ているルビィの心は、その光のせいでますます影のようになった。
―――もしかして、この劇団はうちなんておらんでもやっていけるん違うやろか。
小劇場には自分がいなければ駄目だと思ったから、だからタンタラスを出てきたのに。
何のために、ここにいるのだろう?
何がしたくて、こんなところでただ座ったまま、袖から観客の拍手を聞いているのだろう?
―――うちは、自分がおらん舞台が失敗したらええって……思っとったんかな。
ルビィは思考を振り払うように立ち上がり、松葉杖を頼って劇場を後にした。
足を庇って歩くのはかなりの重労働だった。
途中何度も休憩を取って、暮れかけたアレクサンドリアの空を見上げる。
どうにも侘しい気持ちになった。このまま夕暮れに溶けて消えていってしまいそうな、不安定な気持ち。
溶けて消えてしまっても、誰一人として気にも留めてくれなくて。そうしたら、そのまま存在自体消えてしまうのだろうか……?
じわりと、視界が滲んだ。
こんなことではいけないと、頭を振ってごしごしと目元を擦った。
気弱になっているのは、怪我のせいだ。
路地のベンチからよいしょ、と立ち上がろうとして、ぐらりと体勢を崩した隙に松葉杖を倒してしまった。
「あ」
それも、かなり屈まないと拾えない角度で倒れた。
「あ〜〜〜〜〜も〜〜!」
なんて不便なんだ。腕を伸ばしてみたけれど届くわけもない。
溜め息を吐き、壁に手を突いてジリジリと屈みこもうとした時。
背後からにゅっと腕が伸びてきて、ひょい、と杖を拾ってくれた。
「あ、あのおおきに……」
と、振り向いて礼を言おうとして、思わず目を引ん剥いてしまった。
「ブ、ブ、ブ!!!!」
「……よぉ」
「ブランク―――――――!?」
***
「なんであんたがここにおんのよ!」
「怪我したんだってな」
「ちょ、一体何しに……!」
「ほら、これがなかったら歩けねえんだろ?」
「ちょ、ちょぉ……」
「ほら」
「……お、おおきに」
差し出された杖を受け取って、小脇に挟む。家路はまだまだ遠かった。
「今日で千秋楽だったんだろ」
「……うん」
「いいのか、打ち上げ」
「……うちが行っても白けるだけや」
ブランクが少し驚いた顔で振り向いた。
「うちなんておらん方がよっぽど盛り上がるやろし」
「おま……」
「誰も、うちのことなんて必要ないねんもん」
そう言葉にした途端、本当に誰にも必要とされていないのだと、自分で確信してしまった。
「うちがおらんでも……なんも問題ないの」
「そんなこと……」
ブランクが慰めの言葉を口にしそうになって、ルビィは慌てて頭を振ってそれを止めた。
「ホンマやねんもん、うちがおらんでも舞台は大成功やし」
唐突に、ボロっと涙が零れ始めた。
「タンタラスのみんなも、別に寂しそうでもないし」
ボロボロと、一度零れると止まらない。
頭の片隅で、捨ててきた男の前で泣いてどないすんねん、と自分で自分を叱咤する声が聞こえたけれど。
「あんたは、」
息を吸うと、しゃくり上げた。
「あんたは、止めてもくれんかった」
「……は?」
「止めて欲しかったのに、行かんでくれって言うて欲しかったのに、勝手にしろって言うた! 勝手に出てけって―――!」
「ちょっと待て」
思わず肩を掴んだ両手を振り払おうとして、ルビィは身を捩った。
「もうええねん、もううちなんてどうなったって……!」
松葉杖を地面に向かって投げつけた。足が二度と動かなくたって、結局は誰も困らない。自分が居なくなったって誰も気にしない。誰も―――
不意にがくんと膝が折れて、ルビィは目の前のものに縋り付きそうになったけれど、その必要はなかった。
ぐるりと回された腕に、背中はがっちりと支えられていたのだ。
耳元で溜め息が聞こえて、ルビィは思わず肩を竦めた。
「お前な」
こんな風に、抱きしめてもらったことなんて今までなかったのに。
「癇癪起こすなよ」
呆れた声で、ブランクはそう言った。
「か、癇癪やないし……!」
「それと」
ブランクの声がますます小さくなる。
「勝手にしろって言ったのは……買い言葉だ」
BACK NEXT Novels TOP
|