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遠い道のりを歩かないで済んだのは、ブランクが背負って運んでくれたお蔭だった。
負ぶったまま部屋へ入り、ご丁寧にベッドまで連れて行ってくれた。
「何か手元に欲しいものあるか」
細心の注意を払ってルビィを降ろすと、ブランクはそう訊いた。
「えーと、そしたら水差しに水入れといてもらえるとありがたいねんけど」
「了解。他は?」
「新しい本が欲しい」
ブランクはぐるりと部屋を見渡し、部屋の狭さに反して随分大きな本棚を見つけると、「OK」と請合った。
一頻り駆け回って言われたものを揃えてしまうと、ブランクは唐突に「帰る」と言い出した。
「え?」
「じゃあな、ゆっくり休めよ」
本当に今にも帰ってしまいそうな背中に、ルビィは思わず
「待って」
と言葉を投げかけた。
くるりと、首だけで振り返るブランク。
「あ、あの……」
帰って欲しくないと、はっきり思った。
側にいて、自分がこの世にたった一人だと思わせないでいて欲しい、と。
「何だよ」
余程心細い顔をしていたのか、ブランクは少し顔を顰めてそう返事した。
「帰……るん?」
「ああ」
「なんで?」
「は?」
「なんで帰るん?」
本当に、ブランクが「ぽかん」という顔をした。
「なんでったって……」
「こ、こういう時はな、別れた恋人と寄りを戻すチャンスなわけやし、こう、弱ってる相手に優しくして、ちょっとポイント稼ごうとか、そういうこと思うのが普通やない? 男として」
「は?」
はちゃめちゃなことを言っている自覚はあったし、ものすごく身勝手なのもわかっていた。
ああ、でも。はちゃめちゃなのも、身勝手なのも、別に今に始まったことじゃない。
「そうやなかったら、あんた何のためにアレクサンドリアくんだりまで来て、うちんことここまで負ぶって運んだりして、優しくして、優しいこと言って、何を企んどるわけ? 意味わからん」
「……お前の方が意味わかんねぇよ」
ブランクが溜め息を吐く。
「まぁ、わかったよ。もうしばらくここにいるから」
「嫌々されても嫌や」
「おま……我が侭だな」
「そんなの前からやもん」
ブランクはもう一度溜め息を吐き、やっとベッドの側の椅子に腰掛けて、ルビィを見た。
ルビィもブランクを見た。
案外あっさり言うことを聞いてくれたので、ちょっと拍子抜けだ。
「お前がさっき言ってたこと」
ぽつ、と口を開くのは前から同じ。ルビィは数度瞬きして「何のこと?」と訊き返した。
「お前がいなくても誰も困らないって、あれ」
「……ああ、それ」
気持ちが落ち着いてしまうと、心の弱い部分を吐露してしまったのが妙に気恥ずかしかった。
「そういうこと考えるのは、間違ってると俺は思う」
真面目な顔で、ブランクはそう言った。
思わずルビィはきょとんとした。何をいきなりガチで。
「芝居が跳ねたあと、小劇場に寄ったら、みんなお前のこと探してたぞ」
「え?」
「お前がいなきゃ打ち上げも盛り上がらないって」
ホンマに? と、ルビィは唇から小さく零した。
「それから、タンタラスはなかなか女優が見つからないで困ってる。お前よりしっくりくる奴が見つからねぇんだよ」
ちょっと特殊な劇団だから、そういう部分もひっくるめて理解できて、尚且つ常にヒロインを演じられるだけの技量があって、男所帯でも大丈夫で、給料が安くても……一応文句を言わない女優。
「いねぇだろ、そんな女優」
「……まぁ、確かに」
ルビィも頷いた。我ながら、どうしてそんな条件下で満足して暮らしていたのか、自分で自分が不思議なくらいだ。
「せやけど、ジタンはあんた好みの子が来んから、って言うてたで?」
ルビィがからかい半分でそう言うと、ブランクは一瞬目を丸くして彼女を見つめ、やがて顔を背けて「あの馬鹿」と呟いた。
「……んなもん真に受けんなよ」
べっつに、真に受けたわけやないけど。ルビィは心の中だけでそう返事した。いっくら好みの女の子連れてきたって、基本的にモテへんのはどこのどいつや。ふん。
「俺は、条件に合う合わない以外は考えない。少なくとも、女優を一人雇うことについてはな」
―――あ、そ。ルビィはそう合いの手を入れた。ブランクは意外と生真面目だってことを、うっかり忘れていたらしい。
「あとは、信頼関係を築いていかれるだけの度量があれば、誰でも良かったんだよ」
誰でもいい、だなんてちょっと適当すぎじゃないかと、ルビィは一瞬非難の目線を向けた、けれど。
「でも、お前以上に条件を満たした奴はいなかった。お前以上に、信頼関係を築けそうな奴もいなかった」
何だか、照れくさい。
そんな風に思われているなんて知らなかった。
「少なくとも俺は、お前のことを必要としてる」
―――こんな風に、お互いの心の奥に触れるような話をしたことなんて一度もなかったから。
「だから、少なくともここに一人はいるってことだ」
ブランクは、元々目深なベルトに手をかけて、更に目線を隠した。
「お前を、必要としている人間が」
***
何だかものすごく静かな夜だ、と、ルビィは思った。
小劇場のみんなが楽しく打ち上げできたか、少し心配になる。
―――せやけど、きっと大丈夫。みんなうちがおらんでも上手いことできるはず。
初めて、ちゃんと自分から謝ることができた、と思う。
かなり素直に。ありえんくらい。
そういうの、ものごっつ照れくさいっていうか、自分らしくないって思うから、敬遠してたとこあるけど。一旦走り出したら、意外と簡単に言えてしまった。
うちが悪かったのは間違いない。何も言わんで勝手に出て行った。別れの言葉さえ言わずに。
本当に、文字通り逃げ出したのかもしれないと、今になると思う。こんな風に本気でぶつからなければならなくなる前に、逃げてしまおうと。
それなのにブランクは、どっちが悪いとかそういう問題じゃないと言った。
はっきりしたことは何も言わなかった自分も悪かったのだ、と。
結局、追いかけてくる男なんていないと思っていたのに、ここに一人はいたのだ。
いや、もしかしたらここに一人いるだけで、もう他にはいないのかも。
そう思うと、何だかブランクがものすごく貴重な存在のような気がしてきた。
タンタラスへ帰ろう。ルビィは寝返りを打ちながらそう考えた。
タンタラスへ帰って、もう一回最初からやり直そう。
もう一回、ちゃんとぶつかってみよう。
寝返りを打ったら突然思い出したように足が痛み出して、ルビィは悲鳴を上げた。
隣でブランクが跳ね起きた。
-Fin-
毎度のブラルビー(笑) でもちょっとだけシリアス(当社比)。
ルビィは原作でも活動的で激しい気性がクローズアップされているけれど、
絶対気弱になってしまう一面があったに違いない。そしてそこが可愛い。
ブランクにはルビィの代わりなんていないですよね〜(ニヤニヤ)
2008.8.23
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