Cycles Of Life


<1>



 昨年から始まった流行病の犠牲者数が、ようやく下降線をたどり始めた頃だった。
 その年の冬は寒く、ほとんど毎日のように病院や家々を慰問してきたガーネット女王が、ついに倒れた。
 戦地へ赴いていたダイアン王子と、リンドブルムで暮らすサファイア王女が呼び戻され、もしかしたら命も危ないのではないかという噂が城下町を駆けめぐった。
 ―――誰もがみな、そうでないことを祈らずにはおれなかった。



***



 眠っている妻の熱っぽい手を取り、そっと口付ける。
 彼女は目を覚まさなかった。もう、三日も眠り続けていた。
 時折、ぼんやりした目で天井を眺めては、また深い眠りに落ちてしまう。


  ―――恐らく、春はお迎えになれないでしょう。


 医者の言葉を思い起こし、ジタンはぎゅっと目を閉じた。


 流行病が猛威を振るい出したのは、彼が城を留守にしているときだった。
 嫌な予感がして、舞い戻ってみると。
 ガーネットは悲痛な目をしてはいたが、元気だった。
 聞けば、毎日のように病院を訪れ、患者たちのために何か出来ないかと忙しくしているのだと言う。
「少しお話ししただけでね、見違えるように顔色が明るくなった方がいたわ」
「でも、ダガー……」
 ジタンは言葉を呑み込んだ。
 国民の痛みは、彼女の痛み。
 止めても、無駄なのだ。


 体の弱い年寄りや子供が大勢、命を落とした。
 ガーネットはその度に泣いた。
 今日の死者の数が何人いたと聞けば、その人数分蝋燭を立て、教会で祈りを捧げた。
 やがて、ようやく死者の数が減り始め。
 彼女が神に祈りを捧げる時間も短くなってきた折り。
 緊張していた糸がぷつりと切れたように、彼女は病に倒れた。
 疲れて弱っていた体は、流行病の猛威の前に無抵抗だったのだ。


 ―――心配していたことが起こってしまった。
 春までも生きられないなんて……。


「ジタン」
 不意に名を呼ばれ、彼は顔を上げた。
 ガーネットはぱっちりと目を開け、彼を見つめていた。
 熱のせいで頬は紅潮し瞳は潤んでいるが、しっかりした表情をしている。
 あまりに驚いて、ジタンは声も出なかった。
「ジタン」
 聞こえなかったのかと思い、ガーネットはもう一度呼ぶ。
 ジタンは立ち上がり、屈み込んで彼女にキスした。
「ご気分は? お姫様」
 ガーネットはクスクス笑った。
「お姫様、なんて、もう何十年も言われてなかったわ」
「そうか? あんまり変わってないよ、見た目も心も」
「それって、子供みたいってこと?」
 ガーネットは微笑みながら言うと、少し咳き込んだ。
 ジタンはベッドの端に腰をかけ、背中をさすった。
「もう、大丈夫。ねぇ―――」
 ガーネットはジタンの手を取り、自分の頬に当てた。
「覚えてる? 初めて会ったときのこと」
「もちろん、覚えてるよ。どうして急にそんなこと聞くんだい?」
 ガーネットは口元に笑みを浮かべた。
「夢を見たの、あの時の。何だか不思議ね。どうしてあなたとわたしは出会ったのかしら」
「そうだなぁ……やっぱり、運命だったのかな」
「わたしは偶然だったのだと思うわ。とても偶然に。偶然がたくさん重なって、あなたとわたしを巡り会わせたの」
「それが運命なのさ」
 ジタンはふざけたように言った。
「―――もう」
 ここ何十年続けてきた会話だった。
 いつも、彼が最後にはふざけたことを言って、彼女が「もう」と怒るのだった。
「でも、人と人が出会うことってとても不思議。不思議な廻り合せで、まるで引き寄せられるように出会って……。―――いつかは別れてしまうのにね」
 ジタンは途端に険しい目をした。
「ダガー」
 窘めるような口調。
「ごめんなさい」
 少女のような麗らかな声で囁くと、彼女の瞳は重そうな瞼で覆われた。
「あなたと出会えて幸せだった―――」
 ごく密やかな声。
「ありがとう、ジタン」
「ダガー」
 ジタンは怒ったような口調で名を呼ぶ。
「あなたのこと、待ってるから……」
 再び眠りの国の住人となったガーネットをしっかり毛布で包むと、ジタンは溜め息をついた。
 言い知れぬ不安が彼を包んでいた―――。




そして、それが彼らの最後の会話になった。




***



 1832年2月、珍しく、ひどい雪の日だった。
 その日、ガーネット・ティル・アレクサンドロス17世はその波乱に満ちた生涯を、愛する家族と降りしきる雪に見守られながら、静かに閉じた。
 思えば、嵐のような一生だった。
 幼き日、儚くなった姫君の身代わりとなった少女。
 嵐の中、小さな小船で辿り着いたとき、産みの母はもう息絶えており。
 彼女は額にあった「召喚士の証」を失った……。
 十才で父を亡くし、三十二年前の大戦時に、母を亡くした。
 若干十六才で即位。
 呑まれるように大戦に巻き込まれ。
 大戦が終わり、帰らぬ恋人を待ち続けながら、破壊され尽くした国を立て直した。
 そう、たった一人で国の礎を一から築き直した。
 やっとの思いで最愛の人と結ばれ、三人の子供を授かり。
 しかし、忘れ去られた大陸でのモンスター異常発生。
 何度も兵を出さざるを得なかった。
 大変な時代を生き抜いた女王だった。国民の誰もが彼女を慕った。


 本当に、誰もが彼女を愛した―――。


 生前、彼女が最も心の落ち着く場所だと言った、城と街を一望できる湖の畔に、彼女の墓は造られた。
 墓前を訪れる人の足は、ひどい雪の中、夜になっても絶えることはなかった。



 やがて、吹雪になった。






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