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「お父さま、お茶を召し上がられますか?」
エメラルドは気遣わしげな声で父親に尋ねた。
「何のお茶?」
「ローズですわ。ベアトリクスが持って来てくれましたの」
「ふぅん」
お茶っ葉のことはさっぱりだ、とジタンは笑った。
サファイアは泣き疲れて、暖炉の前で丸くなって眠っていた。
エメラルドはショールを持ってくると、彼女に掛けてやった。
「風邪をひかないかしら」
「平気でしょう。サフィーは丈夫だから、姉上」
と、ダイアンが言う。
「でも、少し暖炉の火を大きくした方がいいかも知れないわ」
「あまり大きくすると、シッポに火が移るんじゃないかな」
「まぁ、ダイアンったら。ふざけないで頂戴」
エメラルドとダイアンは小さな声で笑い合った。
その様子を、ジタンは目を細めて見ていた。
慰問客は訪れなかった。
ひどい雪と風で、リンドブルムからも、ブルメシアからも、飛空艇は飛べなかった。
―――かえって好都合だったかも知れない。
こんな風に家族で過ごすのも、もう最後だ。
「エミー。それで、戴冠式の日取りは決まったのかい?」
ジタンは尋ねた。
エメラルドは笑っていた目を一瞬強張らせたが、すぐにまた笑みを戻した。
「ええ。ただ、こんなにひどい吹雪が続いているし、延期になると思いますわ」
「そうか……。じゃぁ、三月になっちゃうかもな」
「そうですわね。―――最近、気候があまり一定しなくて、トット先生が気にしておいででした」
「モンスターのことと、何か関係があるのかも知れませんね」
ダイアンが神妙な顔で言った。
「―――わたし、お母さまのような素晴らしい女王にはなれそうもないですわ、お父さま」
エメラルドが肩を落として呟いた。
「いいよ、お前はお前らしくやればいいさ。みんなそれを望んでる」
父親の言葉に、エメラルドは頷いた。
「ええ。やってみます、わたしらしく」
にっこり微笑んだ顔は、母親によく似ていた。
―――コンコン。
扉を叩く音。
「エメラルド様」
エメラルドの息子、ルイスの乳母の声だ。
「どうしたの?」
エメラルドが扉を開けると、小さな茶色い頭がぎゅっと母親にしがみついた。
「まぁ、ルイス。まだ起きていたの?」
「うん」
四歳になったばかりのルイス。不安げな目で母親を見上げた。
「あのね、かあさま」
「なぁに?」
エメラルドはしゃがみ込んで息子の顔を見つめた。
「うんとね、おばあさまはどこへいかれたの?」
エメラルドは目を曇らせた。傍に立っていた乳母に目を向ける。
「メアリ」
「申し訳ございません!」
彼女は必死に頭を下げた。
「お母さまのところへお行きになると、あんまり強くおっしゃるので」
「まるであたしみたいね」
サファイアが急に起き上がり、ルイスの側で屈み込んだ。
「我が儘ばかり言うと、鬼に食べられるわよ」
「サフィー」
と、窘めたのはジタン。
これはリンドブルムの古い民話で、子供が我が儘を言った時、脅かすために親がよく使うのだ。
ルイスは怯えた顔をした。
苦笑して、ジタンは立ち上がると側まで行き、ルイスを抱き上げた。
「良い子にしてれば大丈夫さ、ルー。鬼は良い子が苦手だからね」
「ほんとう?」
「ああ、本当さ」
「じゃぁ、ぼく、いいこにする」
「良い子は寝る時間だぞ?」
「じゃぁ、ねる!」
ジタンは乳母にルイスを渡した。
「んじゃ、よろしく」
「あの、本当に申し訳ありません」
彼はにっこり笑った。
その年も、モンスター討伐隊は忘れ去られた大陸へ派遣された。
エメラルドの夫、ウィリアムも、やはり兵と共に出征していた。
同じく出征していたダイアンは、母の病を聞いて舞い戻ってきていたのだが。
―――今年は冬越えになる。
そう、彼は言っていた。
父親が出征してから、ルイスはますます聞き分けがなくなったとエメラルドはよくぼやいていた。
「おじいさま」
乳母に抱き上げられたまま、ルイスはジタンの袖を引っ張った。
「おばあさまはどこへいかれたの? どうして、だれもおしえてくれないの?」
「ルイス!」
エメラルドが慌てて叫ぶ。
「いいよ、エミー。―――そうだなぁ、お前のお祖母様は、お空へ帰ったのさ」
「おそら?」
「そうだよ。空からお前のことをずっと見守ってくれる。だから、心配ないさ」
「うん!」
ようやく満足したのか、ルイスは乳母の首に手を回し、静かになった。
「あ、あの、それでは、失礼いたします―――」
乳母は急いでルイスを部屋へと連れていった。
エメラルドは小さく溜め息をついた。
「ごめんなさい、お父さま。あの子ちっとも聞き分けがなくて」
ジタンは答えず、エメラルドの頭に手を置いて微笑んだだけだった。
エメラルドは考えていた。
―――もっと嘆かれると思ったのに。お父さまは、お母さまなしでは生きて…… |
不意に、エメラルドの目が厳しくなった。
ダイアンは、見逃さなかった。
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