微笑みながら振り向いた彼女は、とても綺麗だった。

 夕日の中で立ちすくむ姿はひどく儚げだった。

 そのままふっと消えてしまいそうで、恐くて。

 ―――かと言って、抱き締めるほどの勇気もなかった。






運命の人


 その日集まった人たちは、みな一様に幸福そうな顔をしていた。
 身分の差を超え、新しい歴史が始まったことに。または、友人の幸せに。各々が祝福を贈っていた。


 そして……僕は彼女に出会った。


 シド大公の娘エーコ嬢といえば、リンドブルムの人間で知らない人はもちろんいない。
 でも、国民の前に姿を見せるのは狩猟祭の時ぐらいで、こんなに近くで見るのは初めてだったし、もちろん話したもの初めてだった。
 背中まで伸ばした紫紺色の髪と明るい碧色の瞳、額から生える角。
 年のわりに大人びた喋り方をする。
 彼女はジタンとガーネット女王の傍らでずっと話し興じていた。
 クルクルと愛らしい瞳でとても楽しそうなのに、なぜか寂しそうに見えるのは、たぶん気のせいだろうと思った。
 やがて、出席者が代わる代わる主役の二人の元へ集まり出すと、彼女は一人、そっと部屋を出ていった。
 誰も見咎めなかった。みな幸せな花婿と花嫁に気を取られていたのだ。


 彼女が出ていった扉から、音もなくすべり出る。
 夕焼け色に染まった空気が立ちこめた廊下のずっと先を、静かに歩いていく姿がちらっとだけ見えた。
 僕は急いで後を追う。
 彼女は迷うことなく歩を進め、尖塔の一つに登っていった。
 急な階段を小走りに駆け上がり、てっぺんまで辿り着いてみると、彼女は夕焼け空に向かって歌を歌っていた。
 聴いたことのないメロディー。
「それ、なんの歌?」
 戸惑いつつも、声をかけてみる。
 彼女はビクッと振り向いた。
「びっくりした! あなた、誰?」
「あ、えっと、タンタラスのバンスっていうんだ。驚かせてごめん」
「うんん。そう、タンタラスの人なの」
 彼女はまた空に向くと、さっきの歌を歌い始めた。
 一節歌い終わったところで、また振り向く。
「あたしはエーコ」
「知ってるよ。大公殿下のお嬢さん」
「どうかしら。あたしはたぶん、召喚士のエーコだと思うわ」
「え?」
「この歌はね、召喚士の村に伝わる歌なの。あたしの故郷、マダイン・サリの」
「マダイン・サリ?」
「ええ、外側の大陸の、北の外れにある村よ。あたしはそこで産まれて、六歳まで育ったの。あたしが物心ついたときにはね、おじいさんと二人きりだったわ。あ、あとモーグリたちね。でも、あたしが五歳になったとき、おじいさんが死んじゃって、それからは、人間はあたし一人だった。寂しかったな。あの村は、本当に寂しいところだわ」
 彼女はそう言って、あとはずっと口を噤んだまま、じっと俯いているだけだった。
「あの、エーコ嬢?」
 何となく心配になって、呼び掛けてみる。
 彼女は、ふと顔を上げた。
「エーコ、でいいのだわ。あたしはただの召喚士なんだもの」
「え、いや、でも……」
「変ね、初めて会った人なのに、いろいろ話してしまったわ。こんな話聞いても、困ってしまうだけよね」
「そんなこと……」
「あたし、今日はなんだか疲れてしまったわ。ずっと笑っていなくちゃならなくて。だから、誰にも見つからずに出てきたつもりだったのに。こんなところで泣いてるのを見られたりしたら、やっぱりいけないと思ったから」
「え?」
 驚いて凝視すると、彼女は悪戯っぽく笑った。
「えへへ、なんちゃって。びっくりした?」
 なんだぁ、と力が抜ける。
「でも、自分でもよくわからないの。本当に昨日の晩なんか、ベッドに入ってから、明日泣いてしまったらどうしようってそればっかり考えていたのだし」
「どうして?」
「『どうして?』って、あなたデリカシーないのね」
 彼女は腰に手を当て、怒ったような素振りをした。
「好きな男の子が他の女の子と結婚しちゃったら、泣きたくなるでしょ? あたしはジタンが好きだったの!」
「え……?」
 僕は、今度は本気で焦りだした。
「一目惚れだったの。彼と初めて会ったのは、コンデヤ・パタの近くの道端で、困っていたあたしを騎士のように助けてくれたのよ。お礼にって、家までご招待して、ゴハンを作ってあげたわ。彼、とっても喜んでくれた。あたしは言ったのよ。『あなたという流星に出会うために、私は生まれてきたのです』って」
 彼女は、夢見る少女のように、胸の前で手を組み合わせた。
「そ、それで?」
「それだけ」
「え?」
 彼女は面白そうに僕を見ている。
 まだびっくりしている僕に、噴き出して笑い始めた。
「あはは、当たり前じゃない! あたしその時たったの六歳だもの。それに、ダガーも一緒にいたのだわ」
「ガーネット女王も?」
 彼女はお腹を抱えて笑い出した。
「そうよ。あの二人がお互いに惹かれ合っているのはわかっていたもの」
 そして、ふと笑うのをやめた。
「わかっていたもの、だなんて、生意気だわ。―――ジタンたちは初めて会った外の人だったの。エイヴォン卿のご本をたくさん読んでいたから、憧れていたのよね、恋に。人を好きになる、ってことも、本当はよくわかっていなかったのだと思うわ」
 小さく溜め息をつくと、彼女は再び空の方を向いた。
「今日ね、嬉しかったわ。ジタンとダガーが幸せそうで。とても、とても、嬉しかったの。もしあたしがジタンのこと好きだったら、こんな風に嬉しくなんてないと思ったわ。そしたら、やっぱりあの恋は嘘だったのだわって思ったの。なんだか悲しかった。ただ恋に憧れているだけの、ませた子供だったのだって思って」
 そして、彼女は空を見たまま微笑んだ。
「あたしは結局、家族が欲しかっただけなのかなって。お父さんとお母さんに愛されて、幸せな娘になりたかっただけなのよね。あたし、みんな大好きなの。みんな同じくらい好きで、みんなが幸せだとあたしも嬉しくて。先生が言ってたわ。恋をするとね、ワクワクしたりドキドキしたり、ウキウキしたりだけじゃないんだって。時には苦しかったり、悲しかったり、切ないものなんだって。あたしには、まだそれよくわからないわ」
 風が吹いた。
 彼女はふわりと振り向いた。
 その瞬間、胸の奥の方が、ズキッと痛んだ気がした。
 彼女の笑顔は、なぜかとても寂しげで、儚げで。
 抱き留めておかなければそのまま風に流され、消えてしまいそうで。
 でも、そんなこと出来るはずもなくて。
 夕日が最後の光を一滴、地平線に放って沈もうとしているのが見えた。

「エーコ、ここにおったのか」
 ネズミ族の竜騎士、フライヤが顔を出した。
「おぬしの姿が見えんので、ダガーが心配しておったぞ」
「本当? エーコ、ちょっと風に当たりに来たのだわ。誰かに言ってから来ればよかったわね」
 彼女は子供っぽく微笑んだ。
「じゃぁ、そろそろ帰ろうかしら」
「うむ。この季節、もう直冷えてこようからの」
 彼女はにっこり頷くと、僕の側を通り過ぎ、フライヤの方へ歩き出した。
 でも、すれ違った、その瞬間。
「話、聞いてくれてありがとう」
 彼女はそう、囁いた。
 確かにそう囁いたのだ。
 一瞬で風にさらわれていったその言葉は、蝋燭の炎のように揺らめいて消えてしまったけれど。
 驚いて振り向くと、彼女が子供のようにはしゃぎながら、フライヤの後を追って階段を駆け下りていくのが見えた。
 長い髪をたなびかせ、その後ろ姿はまるで妖精か天使のようだった……。




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