<3>


 ジタンがガーネット女王と結婚するのにどれだけの苦労を強いられたか、側で見てきた。それが相思相愛であっても、「身分の差」って壁は、高いものなんだ。
 ましてや、たった一度会っただけというこの状況では。
 叶う恋の道ではない。
 かと言って、すっぱり諦められもしない。
 情けなくても、馬鹿だと言われても、あっさりなんて忘れられない。
 どうすれば……。

「ええ加減になぁ、バンス。何とか、ご飯くらいちゃんと食べてや、な?」
 いつになく優しい口調で、ルビィが言う。
 でも、胸につかえて物が通らない。何も食べたくない。
「ほっとけ、ルビィ。そのうち熱も冷めるさ」
 と、ブランク。
 とてもそうは思えなくて、ブランクが言うことが本当だったらもっと楽かもしれないと密かに思った。
「でもなぁ。このまんまじゃ、あんまり……」
 途中まで言って、諦めたのかルビィはため息をついた。
 その瞬間、バタン、とドアが開く音がする。
「ブランクいるでよ〜? ジタンから手紙が来てるでよ〜!」
 ゼネロたちが帰ってきたのだ。
「ん? 手紙?」
 おお! と何かに思い当たったのか、納得したブランクは手紙を受け取り、中身を確認する。
「珍しいやない、ジタンが手紙なんて」
「なんて書いてあるっスか?」
「どれどれ……」
「……」
「……」
 アジトの中を急に沈黙が渦巻く。
 ジタンのことだから、単刀直入に話題を切り出すんだろうな、なんてぼんやり考える。
 数分の静寂。
「何やてぇぇ!?」
 と、最初に口を開いたのはルビィだ。
 いきなりざわつき始めるアジト。
 何が書いてあったのだろう。何だか嫌な予感がする……。
「こりゃぁ……」
「ちょ、待つずら、ブランク! まだ最後まで読んでないずら」
「大変っスよ、これは! どうするっスか?」
「どうするって言ってもよぉ……」
 ブランクが近づいてくる。
「おい、バンス。お前、アレクサンドリアでエーコ嬢に会ったのか?」
 びくっ。
「やっぱりやぁ。あんたの想い人って、あのお嬢さんなんか?」
 うつろな目を上げ、何とも言えない僕を、みんなが見てる。
 どうしよう。
 みんなの顔をうろうろと見渡した。
 その瞬間。
「おめぇらぁ! まぁた油売りやがって! ブランク、ルビィ、マーカス、シナ! 稽古はどうした稽古はぁ!!」
 場の雰囲気を切り裂くような声がやってきた。
「今それどころやないの! ボスは黙っといて!」
「何だとぉ! おめぇは誰のおかげでここまで……」
「ボス、黙っといてくださいっス」
「本当に、それどころじゃないずらよ!」
「……? おう、何があった?」
 ボスがぐるりと全員を見渡して、それに合わせてみんな俯く。
「俺には言えねぇようなことか」
 沈黙。
 ボスはシド大公とつながっていて、もし言ってしまえば、あとで何が起こるか予測できない、から。みんな優しいんだ。
「ふん、ならまぁ、おめぇらだけで何とかしやがれ」
 ボスは出て行ってしまった。
「い、いいの?」
 ルシェラが小さな声で隣に立っているルビィに尋ねる。
 彼女は肩をすくめた。

「ええか、バンス。うちかてこんなこと言いたくないけどな。エーコ嬢には、イイナズケっちゅうもんがおるねんで。あんたも知っとるやろ?」
「うん……」
「それやったら、諦めぇや、な? だいたい、あんた盗賊やし。無理やと思うで」
「じゃぁ、ジタンは? みんな言ってたじゃない。ジタンとガーネット様が結婚したら、この国からもこの世界からも身分の差なんてものはなくなるんだ、って!」
「あいつらは特別なんだよ」
 必死に主張するルシェラの頭に手を置いて、ブランクが言った。
「ジタンは、姫さんのこと、命掛けで守ったんだ。あの戦いのときに」
「だから、アレクサンドリアの国民たちからも認められてたっていうか、まぁ、そんな感じなんっスよ」
 マーカスが後を継ぐ。
「そんなの! バンスだってもしもの時には命くらいかけるよ! ね、バンス?」
「でも、今の時代、もしもの時なんてないずらよ……」
「そんなのおかしいじゃない!」
 ルシェラは拳を握り締め、顔を上気させて叫んだ。
「ルシェラ、あんた、何、熱ぅなっとんねん。ちょっと落ち着き」
 ルビィが肩に手をかけても、ルシェラは首を振って更に言う。
「平和だと身分の差を越えられないの? 平和だから越えられるんじゃないの? わたし嫌だよ! まだチャレンジしてないのに、最初っから諦めちゃうなんて!」
「とにかく!」
 ブランクがその場を沈めるべく立ち上がった。
「ここでこんな話しててもしょうがないだろ。エーコ嬢の気持ち、聞かなけりゃ」
「それは!」
 僕は顔を上げた。
「聞かなくても……わかってるよ」
「ん?」
「……おれのことなんて、好きなわけないじゃん」
 小さな声で呟く。そう、そんなわけがないんだ。
 きっと迷惑だ。
 巻き込みたくない。
「じゃぁ、どうしたいんだ、お前?」
 どうしたい?
 どうしたいかって……。
 言われても、わからない。
 僕は首を振る。
「ん〜、まぁ、なんや、言い方悪いかも知れんけど、まだ引き返せると思うで。一回しか会うたことないんやし。な、バンス?」
 そうかな……。
 なら、いいけど……。
「な? 女は星の数ほどおるんやし。意外と近場にもおるかも知れんで?」
「何言ってんだよ、お前……」
 ブランクが馬鹿にしたような目で言う。と。
「なんやのブランク! うちは一生懸命慰めとんねん、これでも!」
「あのなぁ……。どういう慰め方だよ。だいたい、お前、ジタンときは『あんたなら空を飛べるで〜』とか言って、煽ってたじゃねぇか」
「あ、あれはあれ、これはこれや! あん時は、ジタンとお姫さんええ感じやったし。そんな身分違いやから、なんて理由で諦めて欲しなかったんやもん!」
「じゃぁ、バンスは諦めていいのかよ」
「そ、そういう意味やのぉて! も〜、ブランク、ホンマ、ムカつくわ〜〜!」
 今にも噛み付きそうなルビィ。
「なんだよ、ジタンには頑張って欲しい理由でもあったんじゃねぇの?」
「はぁ? なんや、それ。うちはバンスにかて頑張って欲しいわ、ボケ!」
「ど〜だか」
「もういいよ!」
 僕は大声を上げて立ち上がった。
「もういいよ。おれとジタンじゃ全然違うんだから。もう、いいんだ!」
 それだけ言うと、走って出てきてしまった。
「バンス!」
 ルシェラの呼ぶ声が背中で聞こえた。


 何にも考えないで走ったせいで、気づいた時には一瞬、そこがどこだかわからなかったほどだった。
 キョロキョロと見渡し、商業区の教会の前だということに気づく。
 もうすぐ日が沈む。
 夕焼けの中の白い教会は綺麗だった。吸い寄せられるように扉の前に立つ。
 中から子供の声が聞こえる。そういえば、シド大公が教会に学校を作ったんだっけ……。
 そう思い当たった瞬間、扉が開き、子供たちがわっと走り出てきた。
 びっくりして脇に避ける。
「こらぁ! いきなりドアを開けちゃダメでしょ! ごめんなさい、びっくりし……あら?」
 飛び出してきた子供達をいさめながら姿を現した少女。
「あなた、バンスじゃない?」
 まさか、まさか、どうしよう!
「ねぇ、あたし、覚えてる? エーコ。また会えて嬉しいわ」
 彼女はにっこりと笑った。

 子供たちが帰った教会で、ついに二人っきりになってしまった。
 どうしよう……胸の鼓動が早い。
 まさかこんな所で会ってしまうなんて、神様のいたずらとしか思えない……。
 どうしよう、どうしよう、どうし……
「ねぇ、どうして教会に? 一度も会ったことないわよね、ここで」
 彼女はステンドグラスから射す夕日の光の中で、振り向いて微笑んだ。
「もしかして、何かご用事? 引き止めたりして悪かったかしら?」
「そ、そんなこと、全然……」
 思わず焦って言うと、彼女はニッコリ笑った。
「そう、ならよかった。あたしね、八歳からこの教会でお勉強しているの。前はオルベルタ大臣があたしの先生だったんだけど、大公の娘でも、一般の人と一緒にお勉強した方がいいだろうって、父が。あたし、嬉しかったわ。だって、一人でお勉強しててもつまらないんだもの。それに、この教会は大好き。毎日、たくさんの人がお祈りに来るのよ。気分を静めたいときとか、悲しいことがあったりしたら、こうやってお祈りすると暖かい気持ちになれるんだ、って。本当に、ここに来たらなんだか幸せな気分になれるのだわ」
 彼女はニコニコと話してくれた。
「バンスは、学校は?」
「おれは、行ってないよ」
「タンタラスなら先生がたくさんいるものね」
「うん、まぁ……」
 彼女は軽やかな、羽根の生えたような足取りで歩いてくると、僕の隣に腰掛けた。
「ねぇ、やっぱりお芝居の練習はするの?」
「え? あ、うん。一応ね。ジタンが抜けちゃったし……」
 そこで、はっとして口を噤んだ。
 彼女は不思議そうに首を傾げ、何かに思い当たる。
「あ、もしかして。この間言ったこと気にしてる? あれはもういいのよ、ちょっと言ってみただけなの。あたし、ジタンのことは好きだけど、そういうんじゃないから。ごめんね、初めて会った人にあんな話したら、誤解しても不思議じゃないわよね。本当にごめんなさい」
 彼女はすまなそうにぺこりとお辞儀する。
「え、い、いや、そんな……」
 僕は必死になって、首を横にぶんぶん振りながら顔の前で両手を振った。
「あたしね、今になって思うことがあるんだ」
 彼女は小さく笑うと、そう切り出した。
「え?」
「ねぇ、またお話聞いてくれる?」
 彼女は、緑色の瞳を輝かせ、一心に尋ねる。
「もちろん、聞くよ」
 僕が肯くと、彼女はにっこり笑った。
「嬉しいな。この話ね、聞いてもらえる人が本当に少なくて。ビビって男の子の話なの」
 ビビ……。
 それは、ジタンたちがあの戦いで運命を共にした黒魔道士の少年だ。
 名前だけなら聞いたことがあるって程度だけど。
「あたしね、最初あの子に会ったとき、本当に鈍くてトロくて、しょうがないなぁ、って思ったの。こんなんで、戦えるの? って。でもね、すごく強かったんだ、本当は。誰よりも、ね」
 彼女は足を組んでブラブラさせながら、自分のつま先を、目を細めるようにして見つめていた。
「信じられる? ホントにすっごく子供で、何にも知らなくて。でも、誰よりも強かったの。あたしね、嬉しいとか悲しいとか素直に言えない子だったんだけど、ビビはそういうところ、とても素直だった。それだけでも強いと思うわ。でも、自分がガイアを滅ぼすために生まれたこと、仲間たちが罪もない人たちを殺していること、自分が作られた存在で、もうすぐ死んでしまうってこと、知っても、全部受け入れて、いい方へいい方へ何とか動かそうとして、戦うの。大きな闇に向かって立って、あんなに臆病なのに、必死に戦うのよ。そして、あの戦いが終わって。あの子、一人ぼっちで死んじゃった」
 僕は思わず、え、と呟いた。
「たった一人でよ。誰にも言わずに死んでいっちゃったの。あたし、側にいてあげたかったな。きっと怖かったと思うのよ、一人ぼっちで死ぬなんて。でもね、側にいる人はもっと悲しむだろうからって、誰にも言わなかったの。優しかったから、ビビ。誰よりも優しかったから。……そして、あの子は空に還っていったわ。ボクの記憶を空に預けにいくよ、って……」
 その時、彼女の碧色の瞳から、まるで透明な宝石の欠片のような涙が一つ、ぽつっと零れて、窓から射す夕日できらりと光った。
 僕の心臓は飛び上がり、再び早鐘のように鳴った。
 どうしよう、泣いてる。
 泣いてる、泣いてる……。
 でも、やっぱり抱きしめるわけにはいかなくて。
 僕はただオロオロしてるだけだった。
 彼女は指で涙を拭うと、えへへ、と笑った。
「やっぱり泣いちゃった。ビビのことを考えると哀しくなっちゃうの。でも、他のみんなもビビのこと考えると悲しいでしょ? だから、あんまりビビのこと、お話できないの」
 彼女はにっこり笑いながら、僕の目を覗き込んだ。
「聞いてもらえてよかった。ありがとう、バンス」
 胸が苦しくなって、思わず目線をそらす。
 彼女が首をかしげ、肩に掛かっていた髪の毛がさらさらと動く音がした。
「その、さ。その子のこと、好きだったの?」
 勇気を振り絞るように、聞いてみる。
「うん、大好きだった!」
 彼女は跳ねるように椅子から飛び上がり、夕日の残り陽の中で振り向いた。
 眩しいくらいの笑顔で、思わず目を細める。
 でも、どこか寂しげで、儚い笑顔。
 守ってあげたくなるような……。
「やっぱり、ジタンと同じで恋とは違うと思うけどね。だってビビには、ドキドキとか、ワクワクとか、しなかったもの。あ〜ぁ、あたしの王子様って、どこにいるのかしら〜!」
 彼女は腕を伸ばしてう〜ん、と伸びをすると、はっとした。
「いけない! もうこんな時間だわ。早くお城へ帰らなくちゃ」
「あ、ご、ごめん」
 僕は慌てて立ち上がった。
「どうしてあなたが謝るの? あたしがお話聞いてもらってたのだわ」
 彼女は真面目な顔でそう言う。
「え? あ、そ、そうか……。でも、さ」
 僕は頭を掻いて弁明するように呟く。
 彼女はクスクス笑った。
「あなた、おもしろい人ね」
 そして、あの綺麗な瞳で僕を見上げる。
「今度は、あなたのお話聞かせてね」
「聞かせるほどのことないけど……」
「あら、いいのよ、な〜んでも。あなたが今までどんな風に暮らしてきたか、とか、聞いてみたいのだわ」
 彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべ、ぴょんと走り出した。
「それじゃ、またね」
「あ、ね、ねぇ! もう遅いし、送っていこうか?」
 扉のところで振り向き、彼女はにっこり微笑んだ。
「大丈夫よ、まだ明るいもの。それから……」
 彼女はいきなり腰に手を当て、大きな声で言った。
「あたしの名前はエーコ! いい加減覚えてよね!」
 そして、笑いながら扉を開け、飛び出していった。
「覚えてるよ……」
 僕はごく小さく、呟いた。




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