<5>


 たぶん、ジタンの方が彼女のことはよくわかっているはずなのに。
 何でそう思ったんだろう、僕は、彼女はあの教会にいると思ったのだ。
 もう、日が沈んで暗くなり始めているし、たぶん、あの教会には今、誰もいない。
 うんん、きっと、彼女以外、誰もいない!
 エアキャブに乗り、商業区へ。風のように走って教会に向かった。
 泣いていませんように。
 悲しい目をしていませんように!
 そんなことを祈りながら、扉を開けた。
 誰もいない。
 人の気配さえない、教会。
 僕は立ちすくんだまま、目を凝らした。
 どうしよう。
 やっぱりここにはいないのかな。
 でも、でも……。
「……エーコ?」
 小さな声で、呼びかけてみる。
 その時、奥の方の暗闇に、確かに人の気配を感じた。
「そこにいるの?」
 僕は教会の中へと滑り込んだ。ぎぃ、っと扉が閉まり、隙間からわずかに射し込んでいた月の光が消えた。
 それと同時に、今度はステンドグラスから射し込む淡い月灯りのおかげで、目が慣れると中が見渡せるようになる。
 彼女は、奥の方の柱の影に蹲っていた。
 思わず、ほっと息を吐く。
 やっぱりここにいたんだ。無事でよかった。
「あ、あのさ。みんな探してるよ。ジタンたちなんて、外側の大陸まで行っちゃったみたいだし。だから、早く城に……」
「いや!」
 彼女は首を振った。
「帰りたくない」
「え、な、どうして?」
 僕が側まで近づくと、彼女はますますぎゅっと自分の膝を抱いた。
「来ないで!」
 立ち止まる。
 胸が痛くなる。
 ……泣いてるんだ。
「どうしたの? 何かあったのか?」
 できるだけ、小さな声で聞いてみる。彼女は何も言わない。
「いいよ、わかった。じゃぁ、おれ、ここに座って待ってるから」
 少し離れた椅子に腰掛け、黙り込んだ。
 本当は、駆け寄って抱きしめたかったけど。
 そういうわけにはいかないから。

 どれくらいそうしていたのだろう。
 彼女は不意に顔を上げた。
「どうして待ってるの?」
 と、小さな声で尋ねる。
「え? えっと……。だって、ほっといて帰れないだろう?」
「さっき……」
「ん?」
「さっき、あたしの名前、呼んでくれたのだわ」
 いつのことかと僕は少し考え、やがて思い当たって顔を赤くした。
「あ、あの、ごめん」
「どうして謝るの?」
「い、いや、だって……」
「嬉しかったの。初めて呼んでくれて、嬉しかった」
 彼女は立ち上がり、僕の隣まで歩いてきた。
 つられて、僕も立ち上がった。
 彼女は赤い目をしていて。俯いたまま、口を開いた。
「あのね、バンス」
「うん」
「あたしね、怖いの」
「……どうして?」
「弟か妹が、できるの、もうすぐ」
「え?」
「お父さんとお母さん、今度赤ちゃんが産まれるの。お父さんとお母さんに、本当の息子か娘がね、できるの。お父さんたち、あたしのこと愛してるから、これからも変わらないよって言ってくれたけど、あたし、本当? って聞けなかった。怖くて、怖くて、聞けなかったの。だって、あたし、また一人ぼっちになるのかと思ったら、寂しくて、怖くて、だから……―――っ!」
 気がついたときには、僕は彼女を抱きしめていて。
 彼女がほんの少し、驚いたように震えた。
 しまった、と思ったけど、彼女はそのまま静かに泣いていたので、離すわけにもいかなかった。
 離すわけにはいかないと、思った。
「……あたし、一人ぼっちはもういやなの。おじいさんが死んじゃったとき、あたし、一人だって大丈夫なのだわ、って思ったけど、あれ、嘘なの。本当は、寂しくて、寂しくて、死んでしまいそうだったの……」
 彼女の細い肩は小刻みに震えていて、彼女の指は僕の服を掴んでいた。
 僕は、ますます腕に力を込めて彼女を抱きしめた。
「どんどん仲間ができて、嬉しかった。もう寂しくないって思ったの。でも、戦いが終わって村に帰ったら、寂しくてしょうがなくて、泣いてしまったわ。今まで平気だったのに、なんで、って思ったの。そして、わかったのだわ。あたしは、みんなと一緒にいて、楽しかったから、それに慣れてしまったから、こんなに寂しいのだって。だから、お父さんとお母さんが娘にならないかって言ってくれて、とても嬉しかった。あたしにも、家族ができるのだわって、嬉しかった。なのに、なのに……」
 声が震えてる。
「あたし、喜ばなくちゃって、思って、思っ、たけど、うまく、できなく……て……」
「もう、いいよ。わかってる」
 僕はそう言うと、もっと力を込めて、抱きしめた。
 教会の鐘が、時を刻んだ。
 幾つ鳴ったか、僕にはわからなかった。

 しんとしてる。
 すごく静かだ。
 教会なんて、縁のない所だって思ってたけど。
 不思議な所だな。
 誰も見ていないのに、包まれている感じがする。
 神様、なのかな。
 ……だったら、神様、お願いします。
 この子を幸せにしてあげてください。
 たった一人で生きてきたこの女の子を、誰よりも幸せに……。
 二度と寂しいなんて、思わないように。
 彼女は、僕の腕の中で身じろぎもしなかった。
 すすり泣く声だけが壁にこだまして、やがてそれも消えていった。

「ありがとう」
 しばらくして、彼女は僕から離れた。
「もう、大丈夫」
 そう言って、泣きはらした目でにっこり笑った。
「本当に、大丈夫?」
 僕は、彼女を覗き込んで言った。
 すると、彼女の目からまた涙が零れそうになり、僕は慌てた。
「あ、あの、ごめん!」
 僕が必死に謝った瞬間、突然彼女はクスクスと笑い出した。
 反動で、目から涙が零れる。
「え、えっと……」
 僕は困って右往左往した。
 彼女はひとしきり笑うと、また僕を見た。
「どうして、あなたが謝るの?」
「だ、だって……」
「あたし、泣いたりして恥ずかしかったのに。あなたの前だとなんでか平気なのだわ」
 僕は目を見開いて彼女を見た。
「あなたには、どうしてか素直に何でも話せるのだわ。誰にも言えないようなことも。どうしてかしらね」
「え、どうして、かな……」
 僕はどもりがちに言う。
 なんだか、心臓がうるさい。
「あのね、きっと」
 彼女は、悪戯っ子のような目で僕を見た。
 そして、
「あたし、あなたが好きなのだわ」
 はっきりと、そう言った。
「え……?」
 ……途端に、僕は混乱して、状況が全然つかめなくなった。
 ただ、ひどくうろたえているだけの僕。
 彼女はふと、目を曇らせた。
「もしかして、迷惑かしら? そうよね、だって、あなたは盗賊で、あたしは大公の娘で。あたしって、小うるさくてワガママだから、きっととっても迷惑なのだわ。ごめんなさい」
 彼女はぺこりとお辞儀した。
 最後まで言わせてしまったのは、僕がひどく混乱していたせいだ。
「まさか! 迷惑なわけないよ!」
 そんなわけで、思いっきり力強く否定して、彼女をびっくりさせてしまった。
「だって、おれ、ずっと君のこと考えて、いろいろ、ホントにいろいろ考えて、すごく悩んでた。こんな、身分の低いおれなんて……って」
 しどろもどろになりながら、必死に言う僕に、彼女は目を瞬かせた。
「本当?」
「え?……う、うん。本当にそう思ったんだ。だから……」
 心臓がうるさい。
 静まれ! って思ったところで、静まるわけもない。
 でも、言わなければ。
 すぅっと息を吸い込んだ。じっと彼女の目を見て……。
 僕は、意を決して言った。言ってしまった。
「おれも、エーコが好きだ」
 彼女の目が、潤む。見る間に涙が溜まって、零れだした。
「え?」
 慌てる僕。
「え、えっと、その……」
 あわあわと困っている僕を見て、彼女はまた笑い出した。
「もう! こういう時はもっとロマンチックにして欲しいのだわ! ……でも、いいわ。とっても嬉しいから!」
 彼女はぴょんっと飛び上がり、僕に抱きつくと。
 僕の頬に唇を寄せた。
 茫然自失な僕をよそに、彼女はまたくるりと振り向き、祭壇のほうに向かって歩いていった。
「あたしね、『運命の人』っていうの、信じていたの。いつか、運命的に出会うのだって。でも、ダガーに言われたわ。そういうのって自分ではわからないものだって。ただ、『信じられる』って思うのが、運命かもしれないって。すごいね。あたし、そんなこと思いもしなかったのだわ。ダガーはちゃんと、運命見つけてたのね」
 彼女は、月の光の中で振り向いた。
 幻想的なその姿に、思わず見とれてしまう。
「それからね、思ったの。あたしが信じられるのって、誰かなって。あなたの顔が真っ先に浮かんだの。ちょっとびっくりしちゃったのだわ。たった二度しか会ってない、あなたの顔だったのだもの。でも、同時に寂しかった。なんだかね、あり得ないって思えたの。でも、でも……」
 彼女は微笑んだ。
 とても綺麗に微笑んだ。
 そして、何か言おうとして。
 でも、結局何も言わなかった。ただ、微笑んでいるだけだった。

「さ、もう帰ろう。みんな本当に心配してると思うよ」
 僕は彼女の肩に手を置き顔をのぞき込んで、諭すように言った。
 彼女は、少しだけ躊躇うような顔をした。
「大丈夫だよ。お父さんたち、言ったんだろ? 変わらないって。だったら、信じなくちゃ。大事な人の言うことは、信じよう」
 彼女は俯き、黙ったまま小さく頷いた。
 僕はあることを思いついて、一歩後ろへ下がった。
「でも!」
 彼女は顔を上げて、不思議そうに僕を見つめる。
「もし、大公が君に寂しい思いをさせるんだったら、さ」
 僕は跪き、手を差し伸べた。
「その時は、王女様。私があなたをさらいに行きます」
 彼女は、ものすごくびっくりした顔をして、やがて、相好を崩して笑った。
「ええ、待っていますわ」
 彼女は笑いながら、そう囁いた。

***

 その後、エーコはバンスに連れられて無事城へ戻り、ちょうど外側の大陸から帰りついたシド大公と、待ちわびていたヒルダ妃に迎えられた。
「あ、エーコ嬢っス!」
「なんだ、こっちにいたのかよ……」
 タンタラスのメンツもやってきて、実に力の抜けた感じであった。
「誰ずら? 外側の大陸だ、なんて言ったのは」
「あ、オレ」
「だから、確証のないことを言うなってんだよ……」
 ブランクがうんざりした顔で言う。
「へへ。でもさ、よかったじゃん」
 ジタンは機嫌よく言うと、バンスの背中をバシッと叩いた。
 驚いて飛び上がるバンス君。
「これ、タンタラス流の祝福ね。お前も覚えとけよ。近々また使う時が来るぜ」
「そ、そうなんっスか!? じゃ、じゃぁ、ついに兄キも……」
「そうそう。そろそろ年貢の納め時、ってやつ?」
「お、お前なぁ!」
「よかったずらね〜、オイラ、ずいぶんとハラハラしたずら」
「おれも。よかったね、ブランク」
「あのなぁ!!」
 というわけで。言いだしっぺのジタン閣下をブランクが追い回し始め、夜更けのリンドブルム城は喧騒の中に包まれていったのであった。


「もう、ジタンったら! どうしてこうなっちゃうのかしら」
 腰に手を当て、ガーネットはちょっと怒って彼を迎えた。
 どうにも、騒ぎすぎてリンドブルム城を追い出されて帰ってきたのだ……。
「ご、ごめん、ダガー……」
 いつになく怖い顔の細君に、ジタンは恐れをなしている様子。
「それで? エーコは無事だったのね」
「うん。バンスがさ、ちゃんと見つけて城まで連れて行ったらしくて。シドのおっさんも安心してた」
「そう、よかった」
「でさ、あいつら……」
 ジタンはガーネットの耳元に顔を寄せると、何事かを囁いた。
「え? それは本当?」
「うん、間違いないぜ!」
 ジタンはにっこり笑う。
「そう、よかったわね」
「まぁ、よかったかどうかはこれからだよなぁ。オレたちみたいに、苦労しなきゃいいけど」
「シドおじさまなら、きっと大丈夫よ」
「う〜ん、おっさんだからこそ、別の苦労がつきまとうかも……」
 ジタンが難しい顔でふざけたことを言うので、ガーネットは笑い出した。
「あ、あとさ」
「なぁに?」
「シドのおっさんとこ、子供が産まれるらしいぜ!」
「え?!」
 ガーネットは座っていたベッドから勢い立ち上がり、反動でジタンはずり落ちた。
「ほ、本当?」
「いてて……。ああ、本当だって。それで、エーコは心配になって、最近様子がおかしかったみたいだな」
「そうだったのね……。わたし、何にも気づかなくて。エーコに可哀想なことしちゃったわ」
 ガーネットは遠くを見るような目で呟いた。
「ま、さ。言われなきゃ気づかなくてもしょうがないって。エーコならもう大丈夫そうだったし」
 と、立ち上がり、ガーネットの肩に手を伸ばすジタン。
 が、それを跳ね除けて。
「そうはいかないわ!」
 頑としてガーネットは、せっせと手紙を書き始めた。
 目下、新婚の二人。今日も進展なし(オイ)。


 そして、それから十年余りの歳月が過ぎたころ。
 再び身分の差を越え、世界に新しい歴史が刻まれることとなる。


-Fin-


え〜、ビビエーの方、すみません。最初に謝っちゃいます(^^;)
バンスとルシェラはですね、一応本編に出てくるキャラです。アジトにいた少年少女です。
でもって、勝手にバンスとエーコがいい仲(笑)になっちゃいました。年齢的に(それかい)
何となく、歴史が繰り返す感じにしたかったので。この後も2世で繰り返していきます(^^;)
微妙にジタガネ風な部分もありますが、ホントに、ラヴシーンは勘弁して(T_T)
2002.9.6



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