<3>
「ねぇ、知ってる?」
アレクサンドリアの町で、一人の少女が友人に話しかけている。
「何?」
「あの人、女王様がずっと待ってらした人」
「ああ、尻尾の人?」
「そう。やっぱり、亡くなっていたらしいわ」
「そうだったの……? じゃぁ、女王様は……」
「ええ、酷くお悲しみで、城仕えの姉が言ってたけど、もう見ていられないくらいらしいわ。臥せってしまわれて」
「お可哀想ね……ずっと待っていらっしゃったのに。神様も酷いことをなさったものだわ」
二人は頭を左右に振り、溜め息をついた。
実際、ガーネットは部屋に籠もったまま、ほとんど誰にも会わずに臥せっていた。
友人たちが訪ねてくれた。
リンドブルムからエーコが来た。ブルメシアからはフライヤも、忙しい合間を縫って訪ねてくれた。
ガーネットが倒れたと聞き、クイナが故郷からアレクサンドリアへ、再び料理長としてやって来てもくれた。
そして、あの戦いの後しばらくアレクサンドリアに留まっていたサラマンダーも、ちょくちょく訪ねてきた。
スタイナーはいつも側に仕えていたし、ベアトリクスも離れなかった。
しかし、ガーネットの心は、瞳は、いつもただ一人を捜していた。
「ごめんなさい……」
彼女はいつもそう言った。
「何を言うのじゃ、ダガー。空元気を出されても、私は困るぞ」
フライヤは言った。エーコも頷く。
「そうよ、ダガー。寂しいときや悲しいときは、思いっきり泣くのがいいんだから」
ガーネットは力なく微笑んだ。
「そうそう、ダガー。ビビの手紙、読んだ?」
「ええ。子供が出来たって言ってたわ。どういうこと?」
「ミコトがね、霧がなくても魔法を使えない黒魔道士なら作れるって言ったら、ビビが、じゃぁ、ボクの子供が欲しいな、って言ったもんだから、ジェノムのみんなや黒魔道士たちが苦労したらしいわ」
「そういうことだったの」
「今度の飛空艇で、子供たちと会いに来てくれるって」
「ほぉ、ビビか。懐かしいのう」
「そうだね、フライヤ。あれ以来……」
そこで、エーコははっと口を噤んだ。
あの時のことを口にしないのが、仲間内の約束だったのだ。
ガーネットの顔は一瞬青ざめたが、すぐに戻った。
「ビビの住む村は外側の大陸だものね」
ガーネットは小さく言った。
フライヤは咄嗟に、話題を変えることにした。
「ときに、サラマンダー。例の、おぬしがお尋ね者となっている話はどうなったのじゃ?」
突然話を振られ、それまでドアの近くに立ったまま凭れていた彼は、少し驚いたように顔を上げた。
「ああ、あれか。あんたらのお陰で無罪放免になった」
アレクサンドリア・リンドブルム・ブルメシア三国の正式な書面により、トレノにサラマンダーの無罪を主張したのは、ついこの間だった。
「良かったじゃない」
「ふん、まぁな」
「ちょっとぉ〜、助けてもらったんだから、お礼くらい言ったらどうなのよ!」
エーコは飛び上がって抗議したが、サラマンダーはちらっと見ただけで、無視。
「まぁまぁ、エーコ。あれでも奴は感謝しておるのじゃ」
「でも〜、思っただけじゃ、気持ちは伝わらないのよ?」
その瞬間、まさに、虚をつかれる思いだった。
思っているだけでは伝わらない……。
その言葉が、重くガーネットに襲いかかった。
ガーネットの表情が一瞬で変化したのを、仲間たちは見逃さなかった。
「ダガー? どうしたの? エーコ、何かいけないこと言った?」
俯いたまま黙りこくったガーネットをのぞき込み、エーコは不安げに尋ねた。
「ごめんなさい……」
「ダガー、嫌だよ、泣かないで!」
エーコは必死にガーネットの腕を揺さぶったが、彼女は結局声もなく泣き始めてしまった。
「どうしよう、エーコが悪いんだわ!」
「エーコ、少し外しておれ」
フライヤはエーコの肩に手を回すと、部屋から半ば追い出した。
「どうしよう、フライヤ!」
「大丈夫じゃ。そうじゃ、おぬしはクイナを手伝うと良い。厨房におるじゃろう」
「……うん」
「俺も外すか?」
サラマンダーはフライヤに尋ねたが、フライヤは首を振った。
「いや。おぬしは思うところあってアレクサンドリアに滞在しておるのであろう、サラマンダー」
「……」
「そうなの、サラマンダー?」
「もう良いから、エーコは厨房へ参るのじゃ」
小さな少女は頬を膨らませたが、すすり泣いているダガーを振り返ると、潔く頷いて廊下を走っていった。
それを確認し、フライヤは再びガーネットの所へ戻った。
戻りしな、彼女はサラマンダーに呟いた。
「間違っていると思ったら、止めて欲しい」
と。
そして、ガーネットの側まで来ると、意を決したように言った。
「ダガー。実はの、シド大公から手紙を預かっておる」
ガーネットは泣き濡れた瞳でフライヤを見上げた。
「大公殿がこれをエーコに持たせなかったのには、訳があるのじゃ。読めばわかるが、ジタンの葬儀のことについて、書いてある」
ガーネットは息を詰めた。
部屋に沈黙が降る。
「国を守るために命を落とした者は、この国でも我が国でもそうじゃが、国葬の栄誉と、名誉ある位を与えられる。シド大公はジタンにも、それを適用したいと言っておられた」
ガーネットは震える指で、フライヤの差し出した手紙を受け取ると、必死に読み始めた。
シド大公は、ガーネットの身を酷く案じていた。
手紙にはまずそのことが書かれており、そして、早く元気になって欲しいことや、その折りには遊びに来て欲しい由のことも書かれていた。
そして、最後の数行に、フライヤの言ったことが書かれてあった。
「ジタンは世界を救うために戦った勇者であり、リンドブルムとしては国葬にて弔い、戦役墓地へ埋葬する所存にある。また、功績を称えて官位を与えたいとも思っておる。もし、ガーネット姫に依存がなければ、こちらから正式な書簡にて……」
様々な思いがガーネットの胸を掠めた。
現実を正視したくない。いつまでも彼が生きて帰ってくることを夢見ていたかった。
でも、もう、そんな夢を見ることさえ叶わない。
祈ることさえも叶わないのだ!
ガーネットの黒い瞳から、再び涙が溢れ出した。
フライヤはサラマンダーを振り返ったが、彼は無表情のまま、壁に凭れているだけ。
「やはり、おぬしに話す内容ではなかったやも知れんのう、ダガー。大公殿もずっと悩んでおられたのじゃ」
「ごめんなさい……」
ガーネットは小声で言うと、目を閉じた。
「私、もうどうしたらいいか……」
「どうもしなくていいんじゃないか」
サラマンダーが、突然口を開いた。
「心のままに生きればいいじゃないか。あんたはあいつを忘れない。逆立ちしたって心を殺したって忘れられない。なら、それでいい」
「サラマンダー……」
「私も、そう思うぞ」
フライヤはにっこりと笑った。
「無理はせぬことじゃ。大公殿には私からそのように伝えておくゆえ、ダガーは何も心配せんでよいのじゃぞ」
ガーネットは素直に頷いたが、その表情には複雑な思いが影を潜めていた。
スタイナーは仕事の一切を部下に任せっきりで、ガーネットの側に仕えていた。
と言っても、不躾に部屋の中にいるわけにもゆかず、いつも廊下で見張りをしているだけ。
彼女が嘆き悲しみ苦悩する様を、ただ見ているしかできないことに、彼は苛立っていた。
せめて、かの地に赴いて状況をこの目で確認することだけでも……。
しかし、そんなことをして何になる?
「あやつめ、このように姫様を悲しませおって! ただでは置かないのである!」
と、心の内で憤慨しても、何も始まらなかった。
そして、スタイナー自身も、大事な仲間を失ったことに心を塞いでいたのだ。
ベアトリクスはベアトリクスで、女王のすぐ側に常に仕えており、それでいてやはり何もできないもどかしさを感じていた。
更に、彼女は自分があの忌まわしい戦争の一端を担っていたことに、心を痛めていた。
特に、フライヤやビビなどには、顔を合わすことも辛かった。
彼らはおおらかにも許すと言ってはくれたが。
今だ、あの戦争に巻き込まれた人々の心の傷は、癒されず残ったままだった。
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