Slategrayの瞳 ゆっくりと開いた瞳は、穢れを知らぬ美しい鈍色。 所在なく、辺りを見渡す。 見覚えのない天井、ベッド、天蓋に掛けられた薄い繻子。 小さな少女ははっとして起き上がった。 黒い長い、絹のように滑らかな髪が一房、はらりと肩から落ちた。 「ここは、どこ?」 少女は煙るような眉を顰め、ベッドの傍らにいた人間に尋ねる。 想像と違わぬ、小鳥のさえずるような透き通った声。 僅かにずれた眼鏡を指で直しながら、彼は少女の運命を哀れんだ。 「ここはアレクサンドリア城、王女の間です」 「お母さんは?」 「もうすぐ来られます―――でも、お会いになる前に」 トットは、少女の額から生えた小さな角に手を伸ばした。 びくっと、体を引く少女。 「何?」 「お母さまのご命令です。角をお取りしますよ」 「―――っ! 嫌よ!」 「あなたはガーネット姫。角など生えてはいないはずなのです」 トットは言い含めるように、静かに語りかける。 少女は必死に首を横に振った。 「あたしは……あたしの名前はセーラよ!」 「いいえ、あなたはガーネット様です」 キッパリした口調で諭され、少女は口を噤んだ。 「よろしいですね? 角をお切りしますよ」 小さな両手が、角を庇うように額を覆う。 黒い瞳には今にも零れ落ちそうなほどに涙が溜まっていた。 「手をお離しください、ガーネット様」 「嫌っ!」 「お母さまが角を切るようにとおっしゃったのです。お従いにならなくてはなりませんよ」 「嫌!」 トットは、溜め息をついた。 数日前、儚く散った小さな命、ガーネット姫。 そして、港に打ち上げられた小舟に乗っていた母娘。 母親の方は、既に息絶えていたが。 ガーネット姫に瓜二つの幼い娘には、まだ息があった。 この少女の生まれ持った運命が、彼女をこの地に誘(いざな)ったのだろうか。 いや、亡くなったガーネット姫が自分の身代わりにと、この少女を遣わしたのかも知れない。気立ての優しい姫君だった。残した母を気遣ったとしても不思議はなかった。 どちらにせよ、この少女をガーネット姫として城へ上げることこそが、天の決めた運命としか思えなかった。 トットは目を閉じた。 こんなにも嫌がるこの少女に、様々な運命や重荷を背負わせるのは忍びない。 彼女のことを思えば、このまま城から逃がしてやるのが人の情けではないだろうか? いや、しかし―――と、彼は呟いた。 この城を追い出したところで、彼女は一体どこへ向かうというのだ? 彼女の本当の母親は息絶えている。 舟で漂流してきたとなれば、たった一人で故郷へ帰り着けるかどうか、甚だ疑問だ。 第一、彼女に帰る場所はあるのか? みすみす、行き倒れさせてしまうだけではないか? トットが考えを巡らせている間、少女は静かにその顔を見つめていた。 自分に下される運命の言葉を、ひたすら息を詰めて待っていた。 賢そうな目をしている、と、トットは思う。 この子には、何もかもを受け止める力があるかも知れない。 「よろしいですかな、お嬢さん」 トットは決心して、ガーネット姫ではなく少女自身に語りかけた。 少女は透き通ったひたむきな瞳で、じっとトットを見た。 「あなたの本当のお母さまは亡くなられました。嵐の中、あなたを庇って海を渡ってこられたのでしょうな。あなたが助かったことは奇跡でした」 真っ直ぐだった瞳が、微かに涙で揺らいだ。 しかし、彼女は泣き出さずに続きの言葉を待った。 「あなたを一目ご覧になったこの国の国王陛下と女王陛下は、ご自分の亡くなられたご息女にあなたがあまりにも似ておいでだったので、これは運命だとおっしゃった。あなたをご自分の娘として育てたいと」 「……それで、あたしはここにいるの?」 「そうです」 「それで、あたしの角はいらないの?」 「そうです」 「角があってはいけないの?」 「亡くなった姫君に角はなかったのですよ、先ほども申し上げたように」 少女は、涙に濡れた瞳を伏せ、じっと考えていた。 「その人は……あたしのお母さんになる人は、お姫さまが死んじゃって悲しんでいるのね?」 「はい」 「あたし……あたしも……お母さんが死んでしまったことがとても悲しい……」 白い頬を一筋、涙が零れ落ちていく。 小さな胸に抱くには、あまりにも残酷な悲しみだった―――。 しばらくすると。 「あたし、その人の側にいてもいいわ」 小さな小さな声で、少女は言った。 「本当ですかな?」 「おじさんが、一緒にここにいてくれるなら」 「私が……ですか?」 少女は悲しげに肯いた。 「だって、怖いもの。あたし、よくわからないけど怖い」 トットは気付かれないように溜め息をついた。 怖い。当たり前だ。 こんな小さな少女でも、人は人、今までの自分を全て捨て、誰かの人生を生きることに恐怖を感じないわけがない。 それでも。 この少女の人生と、あの小さなガーネット姫の人生が、今ここで交わって一つになるのだとしたら。 ガーネット姫の人生だろうと、彼女自身の人生だろうと、彼女がこれから生きる時間に偽りなど一つもないはずだ。 いつか、どちらの人生も彼女自身であったのだと思える日が来る。 トットは、そう信じた。 *** 黒い目一杯に溜まった涙が力ない抵抗を示していた。 彼女は失った。 彼女の角を―――つまりは、今までの彼女の人生全てを。 海から舞い降りたこの小さな麗しき天使がずっと幸福で在るようにと、トットは祈らずにはいられなかった。 そして。 いつか、彼女が自分の本当の故郷を求める日が来たら。 自分は、全てを懸けても彼女を助けようと固く心に誓ったのだった。 それは、1790年。 世界が闇に呑まれる前兆だったことを、まだ誰も知らなかった。 -Fin- 暗い・・・。 リュートさん主催の姫の誕生日祭り、「姫祭」に投稿した小説ですが、 う〜ん、暗すぎ?(コラ) 言いたいこともよくわからない文章に成り果ててますが、姫への愛はホンモノ・・・なハズ(^^;) Slategrayは、日本語で言うと鈍色、つまり青緑の混ざった灰色に最も近い色です、たぶん(ぇ) ということで、一番最初の作品「Skyblueの瞳」の対の話です。 時間的にはこちらの方が後かな。 微妙に設定とずれた「Skyblue」から1年以上経ってる感じですが(^^;) でも、マダイン・サリからアレクサンドリアまで漂流したら、 かなり時間がかかると思うんですけど・・・。 同じ嵐の日に到着したとなると、せいぜい1週間ですよねぇ。 私の中ではマダイン・サリ崩壊時、ジタンもインビンシブルに乗っているので、 ・・・ありえません(キッパリ) いや、お前がありえん(−−;) 2003.1.16
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