巨大な街、リンドブルム。
 飛空艇が行き交い、人々が行き交い、まるで一分たりとも休む暇などなかった。
 飛空艇から降り立った瞬間、ミコトは思わず眩暈を覚えた。
 びっしりと人で埋まった発着所は、あまりに混み合って一歩も進めないほど。
 それに、ざわざわとした人いきれは、ミコトには馴染みのないものだった。
 大柄な男が、急いでいるのか足早に彼女の脇を通り過ぎ、思い切り肩をぶつけていったので、彼女は吹っ飛びそうになった。
 しかし、彼はそんな事は気にも留めず、振り返ることもなく忙しげに去っていった。
「……はぁ」
 ミコトはため息をついた。
 どうして自分がこんな目に合わねばならないのかと、今更ながら腹が立ってくる。
 ここにいる誰一人として自分の存在に気付いていないのではないかと思うと、なぜか底知れぬ恐怖さえ感じた。
 まるで、透明になったようだ。

 ようやく改札口を通り抜けると、街にはひどい風が吹き荒れていた。
 リンドブルムは飛空艇の街であり、高層の方はいつも風が強いのだということを彼女は知らなかった。
 髪が乱れ、目にゴミが入って涙が出た。
 ミコトは口を真一文字に結び、意を決してエアキャブ乗り場へ向かった。
 いや、向かったつもりだった。
 が、いつまで歩いてもそれらしき場所へ出ない。
 ジタンの手紙には「飛空艇を降りたら、階段を降りてエアキャブに乗るように」と書いてあったが、その階段が見つからないのだ。
 ―――見落としたのかしら。
 ミコトは一度来た道を戻ってみたが、それが悪かった。
 次の飛空艇が発着所に到着したらしく、再び人波に飲まれてしまったのだ。

 彼女がエアキャブ乗り場へ辿り着くのに、それから半時を要した。



***



 エアキャブを降り、駅から右手へ出る。
 大きな時計が目印だと、手紙には書いてあった。
 しかし、大きな時計と言われても、見渡す限りそんなものは見えなかった。
 柄の悪そうな二人組が、「ヒュ〜」と口笛を吹いて通り過ぎていった。
 ミコトは体を固くする。
 自分がどこにいるのかわからないこの瞬間、これほど恐ろしいことが世の中にあるとは思いもよらなかった。
「……ジタンがいけないのよ」
 ミコトは声に出して呟いた。
 ジタンがこんなことを頼まなければ、今頃、私は村でビビの子供たちを相手に、本でも読んで聞かせていただろうに。
 急に、ひどく家に帰りたくなった。
 そして、思い切り泣きたくなった。
 が、その時。
「ミコト!」
 誰かが彼女を呼び、ミコトは驚いて顔を上げた。
「あんた、ミコトだろ? こんなところで何やってるんだ?」
 赤い髪、傷だらけの体。
「そんな心細そうな顔して。さては、迷子になったな?」
 ブランクはニヤリと笑った。
 あまりに嫌な笑い方をされたので、ミコトはむっとして顔を背けた。



 ブランクに連れられて、再びエアキャブに乗った。
 自分が降りたのは「工業区」という町だったらしい。
「何でもきっちりしてるって聞いてたけど、意外とドジなんだな」
 と、ブランクは可笑しそうに笑った。
 面白くない。
「似てるよなぁ、やっぱり。どっか抜けてるトコが実に似てるぜ」
 ブランクはくつくつと笑う。
「誰と?」
「ジタンとあんたがさ」
「まさか」
 ミコトはひどく憤慨した。
「あんな人と一緒にしないで」
 ぷいっとそっぽを向くと、ブランクはますます笑い声を上げた。
「そうやってすぐむくれるところもそっくりだ」



 ようやくタンタラスのアジトに辿り着いてみると、ルビィは不在だった。
 代わりにシナが居て、一心に何かの工具を手入れしていた。
「ルビィならアレクサンドリアに行ったずら」
「何ですって?!」
 思わず悲痛な声を上げるミコト。
「たぶんアレクサンドリアの小劇場にいるずら。そっちへ行って欲しいずら」
 ミコトは無駄が嫌いだ。
 リンドブルムへ来たのは全くの無駄だったのだと、思えば思うほどイライラした。
 第一、自分がどれだけ苦労したと思っているのか、あの仕様のない兄は!
 イライラと目線を移ろわすと、ブランクがさも可笑しそうに自分を見ていた。


 送ってやろうかというブランクの申し出を断り、ミコトは再び飛空艇に乗り込んでいた。
 アレクサンドリア行きの飛空艇は混み合っていて、ミコトは居心地が悪くてたまらなかった。
 舞い上がる飛空艇。窓から見える街並みは、あっという間に模型のように小さくなっていく。
 ふと、ミコトはあることを思った。
 それから、自分の故郷であるブラン・バルの風景を思い描いた。
 

 そうなのだ。
 この街は、ジタンが育った街なのだ。
 ジタンは、この街に育てられた。
 だから、彼は―――


 ガタン。
 急に飛空艇が斜めに傾ぎ、何人かが悲鳴を上げた。
 ミコトも、何事かと街から目を上げた。もっとも、リンドブルムの街はますます小さく遠ざかってはいたのだが。
 飛空艇の乗務員らしき人が慌てた様子で客室に駆け込んできた。
「皆さん、落ち着いて下さい。エンジンが一機故障しました。これから、リンドブルムまで戻ります」
「なんですって?!」
 と、何人かの乗客と同時に、ミコトも叫んだ。
 瞬間、飛空艇内は大パニックになった。
「墜落することはないのか?」
 誰かが尋ねた。
「当機はエンジンを四機積んでいます。残り三機で十分飛行は可能ですが、エンジンがもう一つ故障すれば、アレクサンドリアまで飛べる保障はありません」
「死にたくないよぉ!」
 泣き声が上がる。
「ですから、リンドブルムへ引き返します。リンドブルムで替えの飛空艇に乗り換えてください」
「ああ、神様! 急ぎの用事なのに」
 誰かが悲痛な声で訴えたが、どうしようもなかった。


 ミコトは、腰が抜けたようにストンとシートに座った。
 とりあえず安全ではあるようだ。今にも死に至るという状況ではないらしい。
 自分の用事は急ぐほどのものではないし、少しくらい到着が遅れたと言ってどうということはない。
 しかし、急ぎの用事だというあのご婦人はどうするのだろう?
 孫が生まれるとか、家族に病気が出たとか―――もしかしたら、親しい人の死に目に会えないのではないか?


 ミコトは、自分が混乱して、取りとめのないことを考えているらしいことに気付いた。
 白髪交じりのご婦人が落胆して座っている隣のシートは空いており、ミコトはそちらへ移ってみた。
「びっくりしましたね」
 彼女は気遣わしげな声で話しかけた。そんなことをしたのは初めてだ。
「ええ―――ええ、本当に」
 ご婦人は少し頷いて見せたが、他の事に思考を捕らわれている様子だった。
「お急ぎの用事があるんですか、アレクサンドリアに?」
 ミコトは訊いた。
「ええ、そうなの」
 たった一人の大事な息子が、今日結婚するのよ、と、彼女はそう言った。
「女手一つで育てた息子なの。今まで苦労をかけたからって、式に招いてくれてね。あと三時間で式は始まってしまうのよ」
 ミコトは柱に括り付けられた時計を見た。
 今からリンドブルムへ戻ったとして、アレクサンドリアまでの道のりを考えると、たぶん式の開始には間に合わないだろうと思った。
「でも、きっと大丈夫です」
 ハンカチで涙を拭っているご婦人に、ミコトはそう言った。
「待っていてくれるのではないかしら。大切なお母さんが到着するまでは、きっと」
 ご婦人は顔を上げた。
「そうかしら……?」
「ええ、きっと待っていてくれると思います」


 リンドブルムで飛空艇を乗り換え、改めてアレクサンドリアへ向けて飛び立った時、ミコトはもう一度、窓からリンドブルムの街を眺めた。


 ジタンは、この街で育ったから。
 だから、彼は強いのだ。
 どんな嵐にも負けないほどに、強く成長できたのだ。


 そう思うと、今まで見も知らなかったその街が、何か特別な、大切なものに感じられた。









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