アレクサンドリアの小劇場を探すのにはかなり骨が折れ、途中何度も道を間違え、やっと辿り着いた頃には夕暮れが迫っていた。
 頼まれていたものを渡すと、ルビィは「こんなものいつでもよかったのに」と言った。
「次の公演で使う小道具やねんけど、本番はまだまだ先のことやし」
 幾分疲れ果てたミコトは、ぼんやりとアレクサンドリアの街を歩いた。
 湖から吹き込む風が冷たく、ここが自分の村よりずっと寒い地方なのだと思い当たった。


 ぼんやりしていたミコトは、通りで誰かとぶつかった。
 そのことに気付いたミコトがふと目を上げると、いつの間にか三人の男に囲まれていた。


「随分ぼんやり歩いてるじゃねぇか」
 ミコトの通り道を塞いでいた真ん中の男が、そう言った。ぶつかったのはこの男らしい。
「あ、あの……ごめんなさい」
「あんた、この辺じゃ見ない顔だな」
「ええ、隣の大陸から来たの。兄を訪ねて」
 ミコトは説明した。
「ふ〜ん」
 もう一人が気のない相槌を打った。
「で、お兄ちゃんには会えたわけ?」
「まだよ」
「なら、俺たちが案内してやるよ」
 最後の一人がミコトの腕を取った。
 ミコトはぎょっとして手を引っ込めようとしたが、力が足りなかった。
「離して」
「だってさ、隣の大陸から来たばかりじゃ、この辺には不案内だろうからさ」
「そうそう、他人には親切にしろって学校でも習うじゃねぇか」
「そんな怖い顔しなくてもさぁ」
 三人は口々に言い募ったが、ミコトは怖くなって腕を離そうともがいた。
「ほらほら、暴れないで」
「怖いことないから大丈夫だって」
「ちゃんと兄貴のところに連れてってやるからさ」
「い、嫌よ、離して!」
 アレクサンドリアの治安は悪くないと聞いている。
 街の治安を改善するために色々と手を尽くしていると、義姉の手紙には書いてあった。
 だから、本当は本当に親切な人なのかもしれなかった。
 それでも、恐怖が募ってミコトは泣き出しそうになった。


 「一本間違えるとゴロツキの多い通りがあるから、気をつけるように」という兄の手紙を、ミコトはちゃんと読んでいなかったのだ。


 無理矢理引っ張って連れ去られそうになった時、屋根の上から人間が一人降ってきた。
「おい、ちょっと待て」
 ミコトは涙で霞んだ目を、必死にそちらへ向けた。
 ―――見覚えのあるシルエットだった。
「オレの妹に何の用だ?」
「妹?」
 三人のうちの一人が、奇妙に裏返った声で言った。
「それじゃあんたが……?」
 次の瞬間、ぱっと三人の手は離された。
「お前ら、こういうこと初めてじゃないだろう」
 ジタンは相変わらず脅迫めいた声で尋ねた。
「ま、まさか!」
「警備隊に通告して欲しいか?」
「いいえ!」
「なら、もう二度とするな」
 ジタンが強い調子で念を押し、三人は頷いた。


 三人組が去ってしまうと、ジタンはふぅ、と息を吐いた。
「まったく、汚い手で人の妹に触りやがって」
 ジタンはミコトの顔を覗き込んだ。
「大丈夫か?」
 大丈夫なもんですか! ミコトは心の中で叫んだが、声を出すことはできなかった。
 代わりに、翡翠色の瞳から涙が滲み出た。
「ミ、ミコト?」
 心配そうなジタンの顔。
 そんな風に心配してもらえるのかと思ったら、ミコトは酷く切なくなって、本当に泣き出した。



***



「酷い人ね、ジタン」
 ガーネットは責めた口調でそう言った。
 わんわん泣き止まぬ妹を持て余し、そのまま連れて帰ってきた夫に、彼女は容赦しなかった。
 腫れてしまったミコトの目元に、冷たいタオルを当ててやる。
 ミコトは泣きすぎて嗄れてしまった声で「ありがとう」と礼を言った。
「たった一人でアレクサンドリアまでなんて、いくらなんでも酷過ぎるわ」
「……ごめん」
 ジタンは困ったように後ろ頭を掻いた。
「社会勉強って思ったんだけど……無茶だったよな」
 ごめんな、とジタンはミコトの頭をぽんぽんと軽く叩き、困った顔のまま席を外してしまった。
「もう、都合が悪くなるとすぐ逃げちゃうんだから」
「いいの、もう大丈夫」
「良くないわ」
 長旅で縺れた金髪を撫で付けながら、ガーネットは怒ったように言う。
「前から言ってたのよ。ミコトはたった一人の妹なんだから、もっと交流を持たなきゃダメよって。でもジタンはあんな風だから、面倒臭いとか照れ臭いとか、理由を付けて逃げちゃうでしょ? 本当に仕方ないんだから、あの人ったら」
 怒ったような口調の中に二人の絆の強さを垣間見たような気がして、ミコトは身じろいだ。
「ごめんなさい、冷たすぎる?」
「あ……いいえ」
 ミコトは腫れぼったい瞼を伏せた。
 なんだか、義姉は優しくて、とても恨むことのできるような相手ではなかった。
 恨むことができないからこそ、それは更に彼女を辛くさせた。
「もう大丈夫、ありがとう」
「そう? もう少し冷やした方がいいわ。明日腫れるから」
「そうなの?」
「そうよ。一晩泣き明かしたら、次の日は目なんて開かないわ」
 ガーネットは慈しみ深く微笑んだ。

 なぜそんなことを知っているのだろう。
 この優しくて幸せな義姉が、一晩泣き明かすなんてことがあるのだろうか?


 ……ああ、そうだ、あったのだ。
 幸せなはずの姫君が泣き続けた、あの月日―――。


「ダガー」
 ミコトはタオルを受け取り、自分の目元を冷やしながらそっと呼び掛けた。
「なぁに?」
「どうして、ずっとジタンを待つことができたの?」
 それは、かつての自分がどうしても理解できなかったこと。
 今は―――たぶん大意としては理解できているはずの感情。
 それでも、一度聞いてみたいと思っていたのだ。
 彼女が、ずっとずっとジタンを待ち続けることができたのは、何故かと。
 ガーネットはびっくりしたように目を見開き、少し小首を傾げてミコトを見つめた。
 しかし、すぐに合点し、にっこりと微笑んだ。
「それはね、彼のことが好きだったからよ」
「それだけ?」
「ええ。彼をとても好きだったから、だからいつまでも待つことができたの」
 好きだったから。
 それは、どれほどの「好き」なのだろう。もしジタンが帰らなくても、彼女は一生待ち続けたに違いない。
 それほどの、「好き」―――。
「私なら、待てないと思うわ」
「そうかしら? 本当に好きな人ができたら、きっといつまでも待てると思うわ、あなたも」

 本当に好きな人……。

 ジタンが再び部屋に戻り、屈みこんでガーネットの耳元へ何かを囁いた。
「まぁ、自分で言えばいいのに!」
 へへ、とジタンは照れ臭そうに笑い、そのまま窓辺まで行ってその桟に座った。
「ねぇ、ミコト。その包み、開けてみてくれる?」
 不意にガーネットが指差したのは、ミコトが大事に抱えていた荷物の中の小さな箱。ジタンに頼まれて黒魔道士の村から運んできたものだった。
「いいの?」
「ええ、開けてみて」
 ミコトは器用な指で包みを開いた。
 小さな、銀のペンダント。
「これ……」
「あなたに、お誕生日のプレゼントですって」
 ミコトは小さな銀色を摘み上げ、兄を見た。
 彼は笑いながら、こちらを見ていた。愛しい者を見る目で。
 彼の「愛しいもの」の中に、自分も含まれていることをミコトは感じた。
「お誕生日おめでとう、ミコト」
「おめでとう。少し遅くなったけどな」
 ジタンが窓際で足をぶらつかせながら、そう言った。
 その瞬間、ミコトの瞳からは新しい涙が零れ落ちた。



***



「やぁ、ミコト、お帰り。アレクサンドリアはどうだった?」
 192-2号が彼女に気付いて、声をかけた。
「散々だったわ。もう懲り懲り」
「あはは、そんなことを言ったらジタン君ががっかりするよ」
 192-2号は愉快そうに笑った。
「……でも、行ってよかったわ」
 ミコトはごく小さく付け加えた。
「ん? 何だって?」
「……何でもないわ。赤ちゃんが可愛かったから、行ってよかったって言ったの」
 ミコトはつんと鼻を上に向け、自分の部屋へ戻っていった。
 それを見送りながら、192-2号は微笑んだ。
「よかった、ペンダントよく似合ってるね」



-Fin-









3月中に間に合わなかったけど、時期的には5月くらいだと思うので、まぁ順当かなと(^^;)
実際には、何年も前から3月に上げようと書き続けていたモノだったりします・・・。
うちのミコトは、ガイアに来てからあまり成長が進まなくて、この段階でも16、7歳くらいの見た目です。
ちなみに関係ないですが、3世で出てくるミコトも、見た目はエーコと同じくらいの感じです(笑)

そういえば、これ時期的にいつにするか、かなりいろいろ悩みました・・・。
エミーが既に生まれていて、ルビィが元気にアレクサンドリアに来られるくらいの時期ということで
(そのことに関してブランクも心配してないし・・・身重だったら付いて行きそうだ:笑)
まぁ、エミー生誕から1年後くらいが妥当かと判断しました。
そういえば、うちのミコトって結婚するのかな・・・あんまりそのへんが決まってない(^^;)
するとしたら相手はどうするんだ・・・(悩)

2006.4.3  せい





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