ほんの幼い頃から、悲しい恋の物語が大好きだった。
切なくて、胸が痛くて、でも、どこか暖かで。
何度も何度も、すり切れるほど読んだ恋の物語。
悲しい、身分違いの恋たち。
―――そして、時には身分を越えて叶う恋たち。
今、そんな恋の物語は本を飛び出し、わたしの上に舞い降りていた。
好き
<1>
ガーネット十八歳の誕生日の日。
彼女が何よりも求めてやまなかった存在が、長い旅路の末、彼女の元に帰ってきた。
嬉しくて嬉しくて、止め処なく涙が零れて。
嬉しい時にも涙が出るものなのだと、初めて知った。
―――それから、一週間。
「おのれ、ジタン――――っ!!」
「うわぁ!」
……今日も元気なプルート隊隊長と某盗賊。
ガーネットは読んでいた本からふと顔を上げた。
「もう。またスタイナーを怒らせたの、ジタン?」
彼女は笑いながら、戸口に立った恋人に言う。
スタイナーからは「ジタンを甘やかすな」と散々苦言を呈されていたけれど。
その姿を一目見てしまうとつい顔が綻んでしまうことに、ガーネットはいくらか困惑していた。
「おっさんが勝手に怒るんだって。オレは怒らせてないよ」
ジタンは悪戯そうにニッと笑うと、ソファーに近寄ってガーネットの手元を覗き込んだ。
「何読んでんの?」
「これ? エイヴォン卿のお話よ」
「また、『君の小鳥になりたい』か?」
「いいえ、違うお話」
ふぅん、とジタン。
「面白い?」
「面白いって言うか―――感動するわ」
「感動ねぇ……」
ジタンはさして興味もないらしく、暇そうに後ろ頭で手を組み、窓の外を見た。
「このお話はね、王女様と騎士のお話なの。身分違いの恋を反対されて、二人は城から逃げるのよ」
「―――君の小鳥になりたいと、どう違うんだ?」
「あら、全然違うわよ? 騎士がね、すごく素敵なの。王女様にこう言うのよ。『いつもあなたの声を聞いていたい、いつもあなたの瞳を見つめていたい、いつもあなたの肌に触れていたい……』」
「―――ぶっ」
ジタンが噴き出した。
「なんだ、そりゃ」
「あら、素敵なのに」
「……んなこと、言われたいのか?」
ガーネットは瞳をキラキラさせて肯いた。
―――ゴクリ。
思わず、唾を呑み込む。
つまりは―――言ってくれ、と?
……期待に満ち満ちた黒い瞳に勝てるわけもなく。
ぎゅっと拳を握り締めて、いよいよ決意を固めようかと思ったとき。
「ジタン、貴様ぁぁぁ!」
「うわ!」
―――ブリキのおもちゃが乱入してきた。
ブンブン剣を振り回している。
「おい、危ねーだろ、おっさん!」
「貴様の方がよほど危ないのである!」
「ひっでぇ〜」
窓から外へ飛び出していくジタンを追えるわけもなく、スタイナーはようやく剣を下ろして息をついた。
「まったく、油断も隙もない奴なのである。姫さまに不逞を働かぬよう、しっかり見張りますのでご安心を!」
と敬礼するあまりに忠実すぎる騎士に溜め息をつき、ガーネットは窓の外に目をやった。
『ダガーってば! まだ好きだって言ってないの!?』
『だ、だって……』
赤くなるガーネットに、エーコはわざとらしいほど呆れた溜め息をつく。
『だって、じゃなくて! もちろん、ジタンはもう言ってくれたんでしょ?』
『―――え? ……まだよ』
『な、何ですってぇぇ〜?』
ガーネットは、昨日のエーコとの会話を思い起こして眉根を寄せた。
純愛ごっこかと、散々からかわれてしまったのだ。
―――別に、そういうつもりはないんだけど……。
エイヴォン卿の本に目を落す。
こんな風に、胸が締め付けられるような大人の恋、って、わたしたちには無理かも知れないわ。
「姫さま!」
気付けば、スタイナーが大声で自分を呼んでいた。
「―――え、え? 何?」
慌てて返事をすると。
「その―――あまり思い詰めにならないようにと、ベアトリクスが……」
と、言い淀む。
ガーネットは首を傾げた。
「何のこと?」
そう。ベアトリクスは最近ガーネットが悲恋の戯曲ばかり読んでいるのを気にしていたのだ。
スタイナーには……その意味が理解できているかどうか、と思ったが。
いや、むしろ理解できていないスタイナーに言われた方が楽だろうと、ベアトリクスは言伝を頼んだのだった。
「自分にもよくわからないのでありますが……とにかくそうお伝えするようにと」
「―――? そう、わかったわ」
と、ガーネットは首を傾げたまま答えた。
ガーネットは、自分は何か思い詰めていただろうかとその日の午後まで考えあぐねていたのだった。
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