<4>



 寝る、とは言ってみたものの。やはり眠気がガーネットを襲うことはなくて。
 いつの間にか風に流されてきた黒い雲が月を隠し、かなり暗い夜になった。
 ―――明日は晴れるかしら。
 もし雨だったら薔薇園は使えないから、教会で式をすることになる。
 そんなことになったら、一生悔やみ続けてしまうかもしれない。
 一生……。
 ガーネットは起き上がった。
「一生、悔やんでしまうかも」
 声に出して言ってみる。
 このまま、ジタンを籠に入れてしまったら、自分は本当に一生悔やんで暮らすことになるかも知れない。
 違う。そんな自分の後悔なんてどうでもいい。
 一時の恋心で永遠に逃れられない鎖につながれたら、あの人はその一生を悔やんで暮らすことになるのではないか?
 無意識のうち、強く頭を振っていた。
「ダメよ、そんなの絶対に……」
 今なら間に合う。
 今なら籠の戸が開いている。
 今なら小鳥を、自由な世界へ返してあげられる。
 ガーネットは寝台から降り、部屋を出た。


 廊下にはほんのり明かりがついている。
 誰にも見つからないで、ジタンが寝起きしている部屋へ向かわなければ。
 騒ぎになっては意味がない。
 ガーネットは慎重に歩く。絨毯から石の階段まで来て、足音が響くことに気付いた彼女は履いていた室内履きを脱いだ。
 階段をごく静かに駆け降り、薄暗い廊下を走る。
 ようやく辿り着いた扉の前で、ガーネットは息を整えた。
 もう眠っているかも知れない。
 どうしよう、迷惑だろうか。
 どちらにしても彼を起こして話をしなければ目的は達されないが、それでも眠っているところを起こすのは忍びない気もするのだ。
 ガーネットは暫く佇んでいた。
 ……やがて。
 ふと、部屋の中から微かに物音が聞こえた気がした。
 ジタンは起きているのだろうか?
 ガーネットはノックもせず、そっと扉を開いた。


 ジタンは寝台の上に座って、ランプの灯りで何かの本を読んでいた。
 突然開いた扉にいくらか驚いたような目をしていたが、やがてにっこり微笑んだ。
「なんだ、ダガーか」
「起きてたのね?」
「さっきもその会話、したような気がするな」
 と、ジタンは笑った。
「やっぱりさ、目が冴えちゃって眠れないんだよなぁ、こういう時って。ダガーの気持ちわかるよ」
 読んでいた本に栞を挟み―――随分前にガーネットがプレゼントしたものだ―――サイドテーブルに放り出すと、彼は腕を伸ばしてガーネットを自分の傍に座らせた。
「どうした?」
 彼女が理由もなく深夜に自分の部屋を訪ねたりしないことを、ジタンはよく知っていた。
 しかも、裸足で。
「―――あの」
 ガーネットは目を伏せた。
 さっきまで永遠にぐるぐると思い淀んでいた悩み事も、いざ本人を前にしたらなかなか口から出ようとはしなかった。
「あのね、ジタン」
「うん?」
「わたし、わからなくなっちゃったのよ」
 ―――わからなくなった?
「あなたと結婚していいのか、わからなくなったの」
 途端に、ジタンはパタン、と後ろに倒れこんでしまった。
「え? ちょ、ちょっとジタン?」
 まさかもまさか。
 結婚前夜のマリッジ・ブルー?
「それって、オレと結婚したくなくなったってこと?」
 倒れこんだまま、ジタンが聞く。
「そ、そんなわけないじゃない!」
 と、ガーネットは赤くなって叫んだ。
「そんなわけないじゃない。わたしはあなたのこと、心から愛しているんだもの」
 その言葉に、ジタンはさらに寝返りを打ち、うつ伏せになった。
 ノック・アウト―――。
 そういうことをさらっと言うあたり、ガーネットは変わっていないと思うのだった。
「じゃ、どういうこと?」
 うつ伏せのままくぐもった声でジタンは尋ねる。
「その―――」
 言い澱むガーネット。
 不意に、泣き出した。
 正確に言えば、もうずっと泣き出しそうだった。零れ出しそうな涙を悟られないように、ずっと堪えていたのだ。
「ダガー?」
 ジタンはぱっと起き上がり、一瞬たじろいだ。
 ―――これは重症だ。
「どうしたんだよ、なんで泣くんだ?」
「違うの……違うの」
 震える声で必死に否定する。
「あなたが……後悔するって……そう思ったら、怖くて……」
「オレが後悔する?」
 ガーネットはこくんと頷いた。
「わたし、あなたの自由を奪いたくないの」
 それで、大体を察した。
 こういうマリッジ・ブルーがあるのかどうかは定かでないが、どうやらこのお姫様は「自分はこの人でいいのか?」という憂いではなく、「この人は自分でいいのか?」という迷宮に入り込んだらしい。
 ―――なんだ。
 と安心して、思わず笑みが零れてしまう。
「な、何で笑うのよ、ジタン!」
 非難がましく胸を叩かれる。
「だって、ダガーがくだらないことで悩んでるからさ」
「く、くだらない!?」
「オレ、盗賊だぜ? ダガーに何か奪われるほどトロくないよ」
「なっ……!」
 ガーネットは赤くなって憤慨した。
「どういう意味? それってわたしが鈍いってこと?」
「ま、そんな感じかな」
「もう!」
 ガーネットはいつかのように、ジタンの胸を何度も叩いた。
 ジタンはひょいっとその両腕を掴むと、顔を覗き込んだ。
「オレは自由だよ、いつまでも。オレは籠の中では飼われない。オレはオレの意思で生きるし、オレの意思で君の傍にいる。だから、後悔なんてしない」
 静かな声。真剣な瞳。
 ガーネットの目に、再び涙が溜まる。
「言ったろ? オレは君を一生愛するって。その気持ちは永遠に変わらない。誓うよ」
 ぽろぽろ零れ落ちる宝石のような滴を、指でそっと拭って抱き締める。
 たぶん、言葉で言っても安心なんてしないだろう、とジタンは思うのだ。
 でも、嘘は言わないから。
 信じて欲しい。伝わって欲しい、この気持ち。







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