五月の花嫁



<1>



「これ、エーコ! まだサッシュを結んでおらぬぞ。ここに座ってじっとしておらぬか」
「だって、ダガーの準備ができたみたいなんだもん! 早く行きたいのだわ〜!」
 フライヤは走り出したエーコの後ろを追いつつ腰帯を結ぼうとしたが、さすがに無理だと察して諦めた。
 客室のうち一室の扉を勢いよく開けると、真っ白なドレスに身を包んだガーネットと、それを満足げに眺めるジタンがいた。
「ダガー、綺麗〜!」
「さすがじゃな。まるで一輪花が咲いたようじゃ」
「違う違う、フライヤ。そこいらの花とダガーを一緒にしないでくれよ」
 ジタンの言葉に、フライヤは呆れたような苦笑を浮かべ、ガーネットに見惚れてようやくじっとしているエーコのサッシュを今のうちに結んでおくことにした。


 そう、今日はアレクサンドリア女王の婚礼の儀。
 この世のすべての人が浮かれているのではないかと思うほど、城はかつてない喧騒に包まれていた。
 いや、正確には三十年前にもこのような騒ぎが起きたのだが、その頃のことを知る者も、もう少なくなっていた。
 女王の傍に仕える侍女たちは、揃って頬を紅潮させ瞳を輝かせて、早朝から城内を走り回って準備に勤しんでいた。官職たちも、こちらは婚礼の後の即位戴冠式・披露宴を取り仕切っていたので、これまた城内を走り回る忙しさだった。
 騒ぎの中心にあるはずの二人は城の隅の方の客室で静かに準備を進めており、その周りを彼らの友人たちがやはり忙しげに走り回っているのだった。


「アレクサンドリアでは五月が結婚シーズンなのじゃな」
 とフライヤ。
「ええ。ブルメシアは十月だったかしら?」
「一番雨の少ない季節じゃからな。この大陸では、太陽の光を浴びぬ花嫁は幸せになれぬと言い伝えられておるしのう」
 と言う彼女の結婚式は霧雨の中だったが、すこぶる幸福そうに微笑んだ。
「リンドブルムは六月だったわよね?」
「そうそう、ジューン・ブライドって言ってさ」
 エーコが尋ね、ジタンは頷いた。
「六月とは、最も雨の多い季節じゃが」
「それはブルメシアだけだって」
 ジタンが悪戯そうに笑いながら突っ込みを入れる。その顔を見て、フライヤは眉を顰めた。
「おぬし、その笑い方はやめた方がよいかも知れぬぞ。どうも悪餓鬼が婚礼衣装を着ているようにしか見えぬ」
「ホント〜!」
 エーコが笑い出し、ジタンは膨れっ面になった。
「ひでぇ〜」
「良いのか、ダガー。結婚相手が悪餓鬼ではのう」
「そうねぇ、考え直そうかしら」
「……おいおい」 
 思い切り不機嫌そうな声のジタンだったが。
 しかし、彼はガーネットと目を合わせ、にっこりと微笑み合った。
 それを見たエーコは「やってられないわ」と肩を竦め、フライヤは思わず笑みを零した。


 城の薔薇園に集まってきたのは、主役の二人と深い親交のある人々ばかり。
 あの大戦で共に戦った仲間だとか、昔からの知り合いだとか、兄弟同然の人間だとか。
 花婿立会人に無条件で推挙されてしまったブランクは「面倒くせぇ」を連発しており、同じく付添い人を引き受けたマーカスが宥めていたりする。
 スタイナーとベアトリクスは参列者たちを出迎え、その間にも神父に椅子を勧めたりと忙しく立ち回っていた。
 ガーネットは、どうしてもこの薔薇園で小さな式を挙げたがったのだ。
 望みが叶ったのは奇跡に近く、普通なら大聖堂で行われるはずの婚礼に貴族たちが全員参列を辞退したのもまた、奇跡だった。
 「これは、私たちから陛下へのご結婚祝いです」
 と、内務大臣が内々に知らせてくれていた。


 花嫁付添い人のエーコが、華やかなドレス姿で飛び出してくる。
「主役の準備はもう万全なのだわ!」
「こちらも、いつでも始められるのである」
 スタイナーが力強く頷いた。
「あら? お父さんは?」
 ガーネットの父親代理を務めるはずであるシド大公が見当たらない。エーコはキョロキョロ辺りを見回した。
「さっきまでここにいたのだけれど……」
 と、ヒルダ妃。
「もう! お父さんてば緊張しすぎ!」
 エーコは腰に手を当てて頬を膨らませ、その場にいた人間たちの笑いを呼んだ。


***


 馴染みの楽団、ラヴ・レイダースがウェディングテーマを奏でる。彼らは式のために、わざわざリンドブルムから出向いてくれたのだ。
 それを合図としたように、参列者たちはそれぞれ席に着き始めた。
 俄かに会場が沸き、どうやら新郎が登場らしい。
 静粛に、などという声は掛からない。
 これは、気の置けない仲間たちが祝う、形式張らないセレモニーなのだから。
 ぴょんぴょんと、飛び跳ねながらエーコはバージンロードの奥に引っ込もうとして。
 その前に、ブランクに指輪を二つ渡す。
「これ、式の最後で使うから!」
「俺が持ってるのか?」
「そうよぉ! 何も知らないのね」
 その会話を傍で聞いていたルビィが、ケタケタと笑い出した。
 最も年齢の近い未婚女性ということで、なぜかルビィも新婦側の立会人に。
 エーコとお揃いのドレスなのだが、印象がまったく違う。
「そりゃぁ、リンドブルムじゃ結婚式なんて適当やからねぇ。だいたい、ブランク、結婚式なんて呼ばれたことあったっけ?」
「―――ない」
「えぇぇぇっ?」
 スタイナーとベアトリクス、フラットレイとフライヤの結婚式に出席したエーコは、既に三度目になる。途端、先輩顔になった。
「大丈夫なの、この人?」
 と、ルビィを振り向くエーコ。
「まぁ、何とかやるやろ。ハッタリは上手いから大丈夫やで」
 ……人の結婚式をハッタリで済ます気か、タンタラスよ。
「いいよ、適当で」
 と、まるで他人ごとのジタンが一言添え、「ジタンが良くてもダガーが嫌がるかもしれないじゃない!」と、エーコが注意するのだった。


 ―――話題の花嫁は、バージンロードの奥に待機中。
 と言っても、扉のある室内というわけではないので、蔓薔薇の向こうから会場内のざわめきが伝わってくる。
 ガーネットは肩の力を抜こうと小さく息を吐き、隣に立っている父親役のシド大公を振り返った。
 彼は、ガーネットよりもさらに硬くなっている。
「おじさま、ご迷惑だったかしら……こんな役をお願いして」
「まさか! ガーネット姫が嫁に行く時は、ワシが必ずと思っておったのじゃ」
「おじさま……」
 微笑みながら頷くシド大公。
「本当なら、あいつがここに立ちたかったのであろうが……ワシが代わりならあいつも満足じゃろう」
 ガーネットは、彼女が幼い頃に亡くなった父の顔を思い浮かべた。
 微笑んでいる顔。
 いつも、優しく笑っていた。
「おじさま。わたし、幸せになります」
「そうじゃな。姫を幸せに出来ぬようでは、ジタンも高が知れた男というものじゃ」
「まぁ!」
 ガーネットは目を丸くした後、クスクスと笑う。
「本当のお父さまみたいね、おじさまったら」
「うむ。どうもエーコが嫁に行くことを考えてしまってな」
 シド大公は困ったように笑った。
「そうね。エーコもいつかは……」
「待て待て。今はその話はなしじゃ」
 眉を顰めるシド大公。
「ふふふ。はい、おじさま」
 ガーネットが笑いながら頷いたとき、ちょうどエーコが二人に駆け寄ってきた。
「準備はいい、ダガー?」
「ええ、もちろん」
「それじゃ、うちらは先に行くよってな、姫さん。あんじょう気張りぃや!」
 ルビィが、拳を一つ振り上げてウィンクする。
「ありがとう」
 ガーネットはにっこり微笑んだ。
 形式張ったどんな祝福の言葉より、多少の乱暴さを備えた、心のこもったこんな言葉が嬉しかった。







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