パックは、アレクサンドリアで二つの噂を耳にした。
 一つは、アレクサンドリアが近々ブルメシアを侵攻するらしいということ。
 そして、もう一つは……


 ―――フラットレイが生きているらしいという噂、だった。







<1>


 事件は芝居の最中に起きた。
 逃走しようとした劇場艇に城の大砲が発射、劇場艇は魔の森へと墜落した。
 ……それも、あろうことかガーネット姫を乗せたまま。
 アレクサンドリアは大騒ぎになり、情報の収集どころではなくなった。

 パックは騒ぎを背に、トレノへ向かって旅立った。


「せっかくいいところだったのになぁ、芝居」
 パックは独りごちた。
「城の兵隊なんかが追いかけてくるから……いや、あのビビが舞台の方に逃げ込んだりするから。ホント、どんくさい奴だったよなぁ」
 ふと、口元に笑みが浮かぶ。
「久々に面白い奴に会ったな。あいつ、劇場艇に乗ったままだったみたいだけど、無事だろうか」
 魔の森に堕ちて、無事で済むはずがない。
 ガーネット姫や劇団の面々はどうしただろうか?
「―――ブラネ。なんで娘の乗った艇に大砲なんか……」
 ゾクリ、と背筋が凍る。
 ブラネ女王は、ブルメシアを攻めるつもりだ。
 今のアレクサンドリアに、ブルメシアの正攻法は通じないだろう。
「だから、最新の戦術法を勉強しろってあれほど言ったのに、オヤジの奴―――」
 ぎゅっと唇を噛み締めた。
 被害を最小限に抑えるには、自分が帰って危険を知らせる以外ない。
 しかし、最短経路である北ゲートは閉じたまま。
 ギザマルークの洞窟を通れば騒ぎになるだろうが、この際致し方ない。
 南ゲートからリンドブルム領に出るとして、鉄馬車を使うのが一番早いだろう。
 ―――フラットレイはトレノ付近で目撃された、と言うし……。
 アレクサンドリアが攻めてくる前に、ブルメシアに辿り着けるかどうか。
 パックは空を睨んだ。
「世界に何かが起こる―――そうなんだろ、オフクロ」
 あんたが逝ってから、この世界は変なことばっかりだ。



***



 今の時代、広い荒野を旅する人間はそう多くない。
 飛空艇技術の発達した昨今、歩いて国々を渡る人間は稀有な存在になったからだ。
 ただでさえ広大な霧の大陸。
 彼よりひと月早く故国を飛び出し、この大陸を旅しているはずのフライヤと顔を合わせたこともなかった。
 ―――鉄の尾と呼ばれた、あの竜騎士にも。
 フライヤはもう会えたのだろうか。
 いや、再会出来たのなら、あの義理堅い生真面目なフライヤがいつまでも何も言ってこないわけがない。
 ブルメシアに、彼女の姿はおろか手紙が来たという情報もなかった。




『山を越えたあたり、トレノの近くの森に、ブルメシア人らしき男が住みついてるって噂だ』
 裏事情に詳しい男から、こっそりその話を聞いたのは劇場艇が到着する数刻前だった。
 そいつがなぜその話を知っていたのか、誰から聞いたのかは尋ねなかった。
 ―――それが、決まり。
 ごく幼いうちから旅の人となったパックは、自然とそんな慣わしに通じるようになっていた。
『槍使いか?』
『そこまでは俺にもわからんさ』
『でも、ネズミ族なんだな?』
 情報屋は肯いた。
『かなり深い森だぜ、兄ちゃんよ。魔物だって巣くってやがる。運良くそいつに出会えるかどうか、ってとこだぜ?』
『なんだってそんな所に……』
『大方、ヤバいことに足突っ込んで普通の街に居られなくなった、ってあたりだろ』
 フラットレイが?
 あの、正義と真情の塊のような竜騎士が、“ヤバいこと”を……?
『百人斬りのベアトリクスに怪我を負わせた輩がいたって話じゃねぇか』
 情報屋は、煙草を燻らせてそう呟いた。
『あんたが捜してる男ってのは、極上の戦士なんだろう?』
『ああ……』
 大した腕前なんだろうな、と、男は哂った。
『ま、無事を祈ってるぜ。あんたは上客だからな』




 フライヤではこんな情報を手にすることは出来ないだろう、と、パックは思った。
 彼女は、どこまでも陽の当たるところを歩きたがるに違いない。
 だから、日陰は自分が請け負ってやろうと思ったのも国を出た理由の一つではあった。
 実際、慣れてしまえば渡り歩くのも大して苦労しない。
 しかし、知りたくないことを知らねばならないのも、また事実だった。
 ―――闇夜に蠢く日陰の人間たち。
 フラットレイも、そんな人間の一人になってしまったのか?
 パックは首を横に、何度も振った。
 あの男に限って、そんなことはない、絶対に。
 とにかく、会って話を聞いてみよう。
 何があったのか……この五年の間に。






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