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 ようやく出来上がった法案に丁寧に署名し終わると、ガーネットは小さくため息をついた。
「お疲れになりましたか」
 ジェダ卿が労わるように尋ねた。
「いいえ、大丈夫です」
 ガーネットは、にっこりと微笑んだ。
「あなたのおかげでここまで滞りなく運ぶことができましたわ。ありがとうございました」
「いえ、少しでもお力になれたのなら本望です」
「とても心強かったですわ。感謝します」
 アレクサンドリア始まって以来の美姫と謳われたその微笑は、どんな宝石よりも美しく輝いており。
 ……どんな人間でも、なびかぬものはないだろうと思われた。
 不意に。
「ガーネット女王」
 ジェダ卿は厳かにその名を呼んだ。
「はい」
 ガーネットは幾分首を傾げ、答えた。
「もし貴女さえご承諾くださるなら」
 彼は一度言葉を切り、女王の訝しがる表情を見つめ。
「私は、これからも一番お傍で貴女をお支えしたいと思っております」
 ―――ガーネットは、一瞬何を言われたのかと戸惑った。



***



 こういう話は尾ひれをつけて廻ってしまうもので。
 アレクサンドリアの街は瞬くうちに、この話題で持ちきりになってしまった。
 それも「今年中にはご成婚か?」というところまで話が大きくなっており、それを聞いたリンドブルムの記者が書き立てたので、波紋はリンドブルムにまで広がっていた。
 街の通りで噂話に花を咲かせる少女たちの口から出た言葉にぎょっとしたのは、もちろんあの盗賊である。
「ねぇ、女王様の結婚式なんて、さぞかし素敵なんでしょうね〜」
「お相手の方って、貴族の人でしょう?」
「そうそう。確かアレクサンドリアでも有名な良家の出身で、うちのお父さんが言うには政治の難しい討論会なんかにもよく顔を出すような人なんですって」
「有名な家庭教師の先生が教えてたって話よね」
「そうなんだ〜。それじゃぁ、女王様も安心ね」
「でも、女王様って誰か想い人がいなかった?」
「あ、ねぇねぇ知ってた? アレクサンドリアではこんなに裾の長いウェディングドレスを着るんですって!」
 彼にとって最も重要な一言は、結局ドレスやらブーケやらの話で流れてしまった。
 しばらくまともな思考を失ったまま、ジタンはアジトへかろうじて辿り着いた。


「お帰り〜、ジタン……どないしたん?」
 ルビィは思わずその顔を覗き込んだ。
「何かあったん? お〜い、ジタン〜?」
 顔の前で手を振ってみたが、反応なし。
「ちょぉ、ブランク〜。ジタン、変なんやけど」
「ん〜?」
 かったるそうに返事し、ブランクも戸口へやって来た。
「何だ、どうかしたのか?」
「わからんけど、無反応」
「たぶん試験の点数が悪くて落第したんだろ」
「うわぁ、それはショックやねぇ」
「まずいっス、卒業するのに余計時間がかかるっスよ」
 マーカスが参戦。
「やっぱり、こいつが大学でご学友とお勉強なんて向いてねぇんだって。やめりゃいいのに」
「そう言うたって、お姫さんと結婚するのにそうするしかないんやからしょうがあらへんやん」
 ぴくり、とシッポが反応したが、メンツは無視して話を続ける。
「まぁでも、大学卒業するだけで姫さんと結婚できるなら安いもんだよな」
「そうっスそうっス、ジタンさんなら朝飯前っスよ、きっと」
「そういえば、姫さま貴族と噂になってるずら」
 と、工具の手入れをしていたシナが、突然口を挟んだ。
 シーンと部屋が静まり返る。
「……そ、それはほら、人の口に戸は立てられぬって言うやんか」
「違う違う、人の噂も四十九日だろ?」
「兄キ、それを言うなら七十九日っスよ。しかも意味通ってないっス……」
「まぁ、何でもいいんだよ、とにかく噂なんてもんは嘘が多いんだって。なぁ?」
「そうそう、噂なんて信じるもんやないって」
「そうっスよね、俺もそう思うっス」
 じー、っとそれぞれを恨みがましい目で見つめると、ジタンは無言で部屋へ上がっていってしまった。
「だ〜〜ぁ、もう! シナ、余計なこと言わんといてよ! なんでそうタイミング悪いねん、あんたは!」
「そう言われてもずら〜」
「これじゃ、逆に落ち込ませたかも知れないっス……」
「マズイ、予定変更や。今日の夕飯はジタンの好物ばっかり作るで」
「ジタンは食べ物に弱いずら。きっと元気出るずら」
「ルビィ、買出し手伝うっスよ!」
 次の計画を遂行すべく、三人は散っていったが。
 ブランクは腕を組んで、首を傾げた。
「……大丈夫か、あいつ?」



***



 案の定、ジタンは布団に潜り込んで丸まっていた。
 思い起こせば少年時代から、女の子にフラれたと言ってはこうしてふて寝するのである。
「お前も変わんねぇな」
 ブランクは大げさにため息をつくと、ひょいっとベッドの上段に腰掛けた。
「んな噂、ご丁寧に信じるなよ」
「信じてない」
 布団の中から、くぐもった声で返答あり。
「なら、それでいいじゃねぇか。何ふて腐れてんだよ」
「……だって」
 ジタンは顔を半分だけ出し、眉をしかめた。
「相手って、貴族なんだろ?」
「さぁ。俺は詳しく聞いてねぇけど」
「すげぇ、出来るヤツなんだってさ」
「へ〜」
「たぶん、結婚したらダガーの役に立つようなヤツなんだ……オレなんかより、ずっと」
「お前だって、姫さんの役に立ってたんだろ? あの旅じゃ」
「それは、旅だからさ。城へ戻ったら、ダガーはただの女の子じゃないんだよ。女王なんだ」
 ジタンは寝返りを打つと、小さく呟いた。
「オレじゃ、何の役にも立たないんだ……政治学苦手だし」
 ブランクは思わずぷっと噴き出した。
「政治学とダガーと、何の関係があるんだよ」
「ダガーの仕事は政治だろ」
「それじゃ、勉強できるヤツがいい君主だと思うのか、お前」
「……思うかも」
「お前、ホントに落第でもしたか?」
「……してない」
「ボスにヤキ入れられるぜ。タンタラスの掟を忘れたのかって」
「……忘れたい」
「あのなぁ」
 幾分苛々した口調で、ブランクは窘める。
 ジタンは唇を尖らせた。
「それじゃ、なんで手紙の返事来ないんだよ……今まで一度もそんなことないのに」
「来てないのか、返事」
「その噂が流れてから一度も来てない」
「流れてからって……いつから来てないんだよ」
「……三日前」
「あのなぁ、三日返事がないくらい当たり前だろうが。姫さんだって忙しいんだから」
 ブランクはため息をつくと、ベッドの端から跳び降りた。
「まぁ、ゆっくり頭冷やして考えろよ。馬鹿らしいこと悩んでたってすぐにわかるぜ、きっと」
 ブランクが部屋を出て居間に戻ると、ルビィがどうしたものかと目で窺ってきた。
「ありゃ、再起不能だな」
「ウソや〜ん……氷枕用意しとこ」






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