<3>



 それでも次の日、ジタンはむっくり起き出してくると、とりあえず授業に出席した。
 恐るべき義務感である。
 ―――しかして、授業中終始上の空であり。
「ではこの問題を……ジタン、解いてください」
 と、統計学の先生に指されたことにも気づかず、頬杖をついたままぼ〜っと窓の外を見ている。
「ジタン、聞こえなかったのですか? ……ジタン・トライバル!」
 幾分ヒステリックな声で呼ばれ、初めてジタンは我を取り戻した。
 慌ててガタンと立ち上がる。
「は、はい」
「問題を解いてください」
「……? え、えっと……」
 困惑して教科書に目線を落としたとき。
「ジタン様」
 隣の席のクラスメイトが小声で囁いた。
「163ページの問15ですわ」


 一日中こんな様子のジタンに、さすがのクラスメイトたちも異変を察知した。
 ―――しかし、彼らはアレクサンドリア女王とこのシッポ男が恋仲とは知らない。
 何が彼の心を惑わしているのかと、小一時間ほど話し合っても答えが出なかったという……。


 図書室で宿題をしようにも気が散って手につかないジタンは、やはりぼ〜っと窓の外の景色を眺めていた。
 あれ以来、世界が遠くに見えるようになった気がする。
 しかも、時間が進んでいるように思えない。
 全ての要因が悪い方へ加担するので、彼の心はますます塞いでいた。
「ジタン様!」
 不意に、名を呼ばれて振り向くと。
 件の、隣の席のクラスメイトがこちらを見つめていた。
 彼女はリンドブルムでも名家の令嬢で、名をマルガリータという。
 貴族ではなかったが、とてつもなく大きな商家の一人娘なのだ。
 箱入りで世間知らずなところが、かの女王陛下に少し似ていた。
「ジタン様、今日は随分とぼんやりされてるのね。何かありましたの?」
 鳶色の優しげな瞳に同情心を表し、彼女は尋ねた。
「いや、何も」
「嘘。わたくし、わかりますわ。いつものあなたと違いますもの」
 ジタンははぁ、とため息をついた。
 彼は、彼女があまり得意でない。
 入学当初から何かと纏わりついてきて、何だかんだと質問攻めにされた。
 ……彼女はどうやら、自分に気があるのではないかとジタンは思っていた。
 はっきり言ってくれればはっきり断れるのに、とも。
 しかし、泣かしてしまうかもしれないと思うと、無下にもできなかった。
「当ててみましょうか?」
 瞳を輝かせて、彼女は彼をじっと見つめた。
「たぶん、女の方のことですわ」
 ズバリ。
「きっと、お好きな方に恋人がいらしたんですわ。そうでしょう?」
 ―――惜しい。
「なんてお可哀想なんでしょう……わたくしでしたら、ジタン様のことを選びますわ、きっと」
 そう言ってから、彼女は両手で自分の頬を挟んだ。
「まぁ、わたくしったらなんてことを……今申し上げたこと、お気になさらないで下さいませ!」
 彼女は恥ずかしそうに頬を染めると、図書室を駆け出していった。
 ジタンはしばらくその方を見つめていたが。
 再び机に向き直ると、腕に頭を乗せてふて寝を決め込んだ。


 アジトへ帰ろうかと大学塔を出たところで、またまたクラスメイトに出会った。
 こちらは男子学生で、貴族の御曹司、アーサー。
 険しい表情でジタンを見ていた。
「ジタン」
 彼は険しい表情のまま、厳つい声で彼を呼んだ。
「なんだ?」
「マルガリータと、何話してたんだ?」
 ……厄介な、とジタンは思った。
 ―――どうやらこのアーサー、マルガリータに想いを寄せているらしいのだ。
「別に何も」
「嘘を言うな。あいつ、赤い顔して走り出してきたじゃないか。何をした?」
 勝手に捲くし立てて飛び出して行っただけだけど、と、いつもの彼ならふざけた調子で言ったのだが。
 今は、軽口を叩いている気分でない。
「気がないなら、思わせぶりな態度するな。マルガリータがあんたのことどう思ってるか、知ってるんだろ?」
「……まぁな」
 不意に、黒い瞳が怒りに満ちた。
「あんた、英雄だ何だってちやほや持てはやされて、調子に乗ってるんじゃないか? 女の子たちみんながみんな、あんたを好きになると思ったら大間違いなんだぞ!」
 普段は穏やかな御曹司も、こと想い人のこととなると気が高ぶるらしい。
 怒りで顔を赤く染め、彼は走り去っていった。
 後には、幾分呆然としたジタンが取り残された。
 ―――たった一人に想われれば、それだけでいいのに。
 と。
 彼は、心の中で独りごちた。






BACK        NEXT        Novels        TOP