<3> ブランクたちは、劇場街の通りでサッカーに興じている。 一瞬の隙をうかがい、ジタンはアジトを飛び出した。 劇場街で食べ物に困っている子供を見たことのなかった彼は、とりあえず他の区へ向かうことに決めたのだ。 エアキャブに乗り、目指すは商業区。 昔、ブランクが拾われたという裏通りのある街だ。 夕闇迫った商業区の表通りは、そんな時間でも人々が行きかっていた。 ジタンは小道へ回り込み、裏通りを探し回る。 しかし、家々から聞こえてくるのは団欒の声。 はしゃぎまわる子供たちと、それを窘める母親の声。 煙突からは、夕餉の湯気が立ち昇っていた。 「なんだよぉ……ボスの嘘つき」 ジタンは口を尖らせ、石畳の道を小さく蹴った。 不幸な子供が一人もいないなら、それでいい。 本心からそう思う。 ……けど。 家族で囲む暖かな食卓を、ジタンは知らない。 お父さんがいて、お母さんがいて、兄弟がいて……。 どんな風なのだろうか。 いつも自分が食べている夕飯と、違う味がするものなのだろうか。 明かりの灯った窓から楽しげな声が響いてきて、なんとなく居心地の悪くなった彼は次の区へ向かうことにした。 工業区。 そう、ジタンは知らなかったけれど。 ―――リンドブルムで唯一の、スラム街のあった街だった。 *** 工業区へたどり着いた頃にはすっかり陽が落ちて、辺りは暗くなっていた。 ジタンは駅前を通り過ぎ、裏道へと潜り込む。 通りの隅っこで毛繕いしていた野良犬が一匹、物欲しそうに彼を見つめた。 工場群の窓に明かりはなく、街はひっそりと静まっていた。 時折すれ違う人も、足早に帰途へとついてゆく。 ジタンは鞄をしっかりと背負い直し、石畳の道を進んでいった。 しばらくして。 不意に、人が一人、通りに寝そべっているのに出くわした。 ジタンはぎょっとして立ち止まる。 すす汚れた皺だらけの、年取った老人だ。 駆け寄って屈み込む。 老人はぴくりとも動かなかった。 ―――死んでるのかな。 背中を冷や汗が伝っていくのを感じて、ジタンは身震いした。 「あの……じいさん、大丈夫か?」 恐る恐る声を掛ける。 と。 突然、瞼が開いて、ぎょろりと睨み付ける血走った瞳が現れた。 「うわっ!」 と、ジタンは思わず飛び退った。 「何だよ、生きてんならそう言ってくれよ!」 「うるさいガキじゃな。折角気持ちよう寝ておったのに。……お前、この街のモンじゃないな」 老人はふぅと息を吐くと、しわがれた声でそう言った。 「オレ、劇場街から来たんだけど……」 「ふん、色狂った街じゃ。大公殿下はいくら自分が演劇好きだからといって、金をかけて新しい街を作る道理もないじゃろうに……シド大公がお聞きになったら、さぞや嘆かれることじゃろう」 「シド大公って、今の大公のことじゃないのか?」 「今の大公なんぞ、大公の数にも入らん」 老人は憤慨して、鼻息が荒くなった。 「シド八世ほどの名大公は二度と生まれんじゃろう……まったく素晴らしいお方じゃった」 老人はたっぷりと、いかにシド八世が素晴らしい武人であったかを語った。 「人々は霧機関が戦争を収めたと言うがの、わしはあの方の武力に世界が沈黙したと信じとるんじゃ。おかしいとは思わんか、アレクサンドリアもブルメシアも、あれ以降ぱったりと戦いをやめおったじゃないか」 老人が語る間、ジタンは通りの反対側にしゃがみ込んだまま、欠伸を繰り返していた。 「小僧、戦争ってのは興奮するもんじゃぞ。あの場に繰り出せば、血も肉も沸き踊る。生きていると実感できるのじゃ」 「でも、うちのボスは戦争が続くと不幸な人が増えるから、戦争はダメだって言ってるぜ」 「ふん、最近の若い奴は腰が抜けとるのぉ」 老人は忌々しそうに頭を振った。 「で、じいさんは何でこんなトコに寝てるんだ?」 「そりゃぁ、お上が下手な政治を打つからじゃ。わしのような老人には暮らしにくい世の中になったものでな。役に立たないものばかり推奨しよる。やれ演劇だ、やれ芸術だ、やれ霧機関だとな」 「でも、飛空艇は便利だし……」 「最近のガキは便利だ楽だと、そればかり考えるのぅ」 老人は再び忌々しそうに頭を振った。 「ところでさ、じいさん。ここら辺で食べ物に困ってる子供、見たことないか?」 「まぁ、たまにはそういう子供もおるのぅ。去年にはこの道の奥でおめぇさんくらいの子供が一人、死におった」 「え……?」 「食い物を盗んだだか何だかで、滅多打ちにされてのぅ……あれは不憫じゃった」 ジタンは鳥肌の立った腕を自分の手で握り締めた。 「どうして誰も助けないの?」 「弱いものは振り落とされ、強いものが生き残る。それが世の理……それが戦じゃ」 「そんなぁ……」 ジタンはぎゅっと、肩にかかった鞄の紐を握り締めた。 その子に、少しでも手が差し伸べられていたなら。 その子に、少しでも優しさが与えられていたなら。 その子は、きっと死なずに済んだのに。 ジタンの心に、行き先のわからぬ怒りが浮かんだ。 「おめぇさんが泣いてやったところで、死んだ者は生き返ってきやしないんじゃぞ」 と、老人は懐から薄汚れた手ぬぐいを差し出す。 あまりに汚れていたので、ジタンは尻込みして辞退した。 「わしは戦場で、虫けらのように死んでゆく若い兵隊を星の数ほど見てきたがのぅ……相手が敵であろうと何であろうと、喜んで人を殺す人間なぞ一人もおらん。それでも立ち向かうのは、そうせにゃ自分が殺られるからじゃ」 「なら、やっぱり戦争なんてよくないじゃないか」 袖口で目元を拭うと、ジタンは頬を膨らませて抗議した。 「戦争さえなければ、世界中の人間たちが幸せでいられるんだろ?」 「そうとも言えん」 老人は目を細めて、嘲るような笑みを浮かべた。 「おめぇさんも、もちっと大きくなりゃぁわかる。この世は苦しみに満ちとるんじゃ」 |