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「―――承知致し兼ねます」
「ベアトリクス、お前ももう十七になったのだ。少しは親を安心させたいとは思わないのか?」
「しかし……!」
唇を噛み締め、俯いた。
アレクサンドリア王国一、いや、大陸一と噂される剣豪、ベアトリクス。
明けても暮れても剣の稽古ばかりの彼女に、さすがの父親も懸念を覚えたらしい。
突然、結婚話が持ち上がった。
城仕えは辞して、結婚しろ、と。
「よいか。私はお前が望む通り剣の稽古をさせ、今まで文句は一言も言わなかった。お前の人生だからな、お前のいいようにすればいいと思ったのだ」
しかし、大陸一の剣豪という肩書きがついては、嫁の貰い手もなくなる。
そう言って、父は眉間に皺を寄せた。
「誰がそこまで強くなってよいと言った。成り上がりおって、少しは分をわきまえろ」
ギリッ、と両手の拳を握り締めたが、ベアトリクスは一言も言わなかった。
「兎に角。伯母上から戴いたよい話なのだから、お受けしなさい」
「―――できません」
「ベアトリクス!」
「できません」
「お前はっ!!」
父の怒号が大きくなった時、ようやく母が止めに入った。
「あなた、そのように大きな声をお出しになって」
「お前も何とか言ったらどうなのだ!」
「そうですわねぇ……でも」
母は、ベアトリクスを見た。
「今時、女だからとか、男だからとか、もう古いことなのでしょう、ベアトリクス?」
「はい」
「この子のいいようにさせて下さいませんこと、あなた?」
「お前までそのようなことを!」
「まだ、十七なのですから。やりたいことをしたい年頃なのですわ」
父の眉間の皺は、余計に深くなった。
「お前がそのようなことばかり言うから、こういうことになるのだ!」
「あなた」
「大陸一の剣豪などという名が、一体何になる? 女は結婚し、子を生み、家を守るのが努めであろうが」
「お言葉ですが、父上」
「煩い!」
古い考えの父に、自分の生き方は決して受け入れてはもらえない。
ベアトリクスにも、それはわかっていた。
「―――申し訳ありませんが、やはりお話はお受け致し兼ねます」
ベアトリクスは、小さく、しかし強い口調でもう一度念を押す。
父は、大きな溜め息をついた。
「どうしても、明日の御前試合に出るのか」
「はい」
「親不孝者にでもなるつもりか?」
「そのようなことは決して!」
「あなた、自分たちの娘が御前試合でよい成績を収めたら、鼻が高いではありませんか?」
母が、取り成すように言うと。
「お前は、優勝するのか」
「そう願っております」
「ならば」
父は立ち上がり、部屋を出がけにこう言った。
「優勝できなかった時には、剣を置け。お前の実力がその程度だったという証明になるのだから」
ベアトリクスは一瞬息を呑み。
「―――わかりました」
頷いた。
「いいの、ベアトリクス? 国中の強者が挑戦する試合なのでしょう?」
「はい」
「でも、もし……」
「もし負けた時は、私に力がなかったということです。何の悔いもなく、剣を置きたいと思います。―――ただ」
鳶色の瞳は、扉の前で立ち止まっていた父に向けられた。
「優勝したら、その時は私をお認めくださいませんか、父上」
父は、返事をせずに出て行った。
***
次の日。
御前試合の見物人は何重もの人垣となっていた。
みな、目的はただ一つ。
大陸一の剣士であり、大陸一美麗な騎士であるベアトリクスを見に来たのだ。
ブラネ女王が玉座に姿を現すと、否が応にも観客のボルテージが上がる。
そんな中、最初の対戦が始まった。
出場者の控え室で、ベアトリクスはいつになく緊張した面持ちで居た。
この試合が、自分の人生を決める。
―――父親に認めてもらえるかどうか、も。
さすがの父も、御前試合で優勝すれば自分の剣士としての人生を認めざるを得ないだろう。
愛用の剣を握り締める。
……失敗は許されない。誰にも負けられない!
「ベアトリクス少佐、ご準備を」
呼ばれ。
立ち上がって、頷いた。
「第三試合、ベアトリクス少佐対スタイナー軍曹」
わ〜、っと、歓声が上がる。
ベアトリクスは一度玉座に礼をして、剣を構えた。
相手は、うだつの上がらない田舎侍。
どう考えても、自分に分があった。
―――しかし。
試合も中盤に差し掛かった頃。
緊張して力が入っていたのか、自分の力が至らないせいだったのか、はたまた、相手が強かったのか。
……それとも、一瞬視界の端を横切った父親の影に気を取られたせい、か。
不意の隙を突かれ、ベアトリクスは剣を落とした。
瞬間、場内がしんと静まり返り。
その真ん中で、呆然としたベアトリクスはただ立ち尽くしていた。
何が起きたのか、俄かには理解できず、に。
突然、一つの音が響く。
ブラネ女王が喜んで手を叩いたのだ。
「やるではないか、名を何と申したか?」
と、扇子で田舎侍を指す。
「は、アデルバート・スタイナーであります!」
「よい剣士のようじゃな、スタイナー。このベアトリクスを破るとは。褒美を取らそう」
「あ、ありがたき幸せにございます!」
「何か望みを申してみよ」
「―――はっ……しかし」
スタイナーは跪いたまま、戸惑った表情をした。
「何じゃ、申し難きことか?」
「は、はぁ……」
何を言うのかと、その場にいる人間全員が固唾を呑む。
「その―――自分は、プルート隊に憧れて騎士隊に入隊いたしました。もしご褒美を戴けるなら、プルート隊の再結成をお許しいただきたいのですが」
ざわざわ、と人々がざわめく。
何を言い出すのかと思えば、この田舎侍。
小さな失笑がいくつか上がった。
このご時世、男だけの騎士隊など時代錯誤も甚だしい。
ブラネ女王も、声を上げて笑った。
「面白いことを言うのだね、お前は」
「も、申し訳ありません!」
猛烈な勢いで頭を下げる。
「よいよい。よくわかった。お前の望みを叶えよう」
「ほ、本当でありますか!?」
「本当じゃ。スタイナーと申したか? お前をプルート隊隊長に任ぜよう」
「ありがたき幸せにございます!」
喜び勇む若き騎士の隣で、ベアトリクスは落とした剣を拾い上げた。
女王と対戦相手の会話を聞いていて、ようやく負けたのだと実感できた。
「ベアトリクスよ」
「はい」
ベアトリクスも、玉座に向かって跪く。
「今日は残念であったが……お前はその程度の者ではない。何かあったのだろう?」
ぎゅっと、拳を握り締め。
「申し訳ございません」
俯いた。
「次を楽しみにしておるぞ、ベアトリクス」
―――返事は、出来なかった。
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