<4>


「何か、おかしい」
 グレイが小さく呟いた。
「何かって、何がだ?」
「……フラットレイさんと、フライヤさんだ」
「婚約したって話じゃないか。ほら、フライヤさんがこの間のモンスター襲撃で怪我したから、フラットレイさんが色々心配して、ついにプロポーズしたって」
「うん……」
 仲間の兵は、彼の顔を覗き込んだ。
「どこもおかしなところはないじゃないか」
「うん……」
 でも、何かがおかしかった。



 ある時、フライヤがふらりと街の郊外へ向かったのを見た彼は、不思議に思ってその後を付いて行った。
「……何の墓ですか?」
 小さな墓標に小さな花を捧げているフライヤに、声を掛けた。フライヤはびくりと振り向いた。
「何でも……ないのじゃ」
「犬か猫ですか?」
 実際、そんな大きさの墓だった。
 フライヤは答えなかったが、そのようなものなのだろうとグレイは解釈した。
 それだけなら、彼もそのまま納得し、忘れてしまったかもしれなかった。
 しかし、しばらくするとフラットレイが現れて、彼女の腕を引っ張り、立ち上がらせた。
「フライヤ、身体に障るではないか。早う帰ろう」
「でも、もう少し……」
「駄目だ、さあ」
 フライヤは名残惜しそうに振り向いた。
 その顔を見たグレイは、あまりのことに小さく声を漏らした。フライヤの顔は、見たこともないほど儚い色をしていた。



 気付けば、フライヤはよくそうやって街を抜け出した。何か訳があるのではないかと思ったグレイは、再び彼女の後を付いて行った。
「誰の墓なんですか?」
 今度は、無意識に「人」を匂わせる問い方をした。
 フライヤは答えなかった。雨に濡れた墓標を撫で、まるで降り注ぐ雨を拭ってやろうとしているように見えた。
「フラットレイさんは、どうして怒ったりなさったのですか?」
 その問いに、フライヤはふと顔を上げた。
「おぬしにもそう見えたか?」
「はい……なんとなく」
 フライヤは微かに笑んだ。哀しい笑みだった。こんな風に笑う人だと思わなかったから、グレイは虚を突かれ、口を噤んだ。
「私の罪なのじゃ」
 フライヤはそうとだけ呟いた。



 フラットレイがフライヤに、あんな仕打ちをするとは思えなかった。彼女が哀しんでいるのに、そっと側に寄り添ってやることもしないなんて、おかしいと思った。……確かに、フラットレイにはそういう節があると言えなくもなかったが。
 でも、婚約したばかりなのだ、やはりおかしいと思った。
 グレイは、数ヶ月前にフライヤが「材木の買出しに同行したい」と言い出したことを思い出した。「私用を片付けたい」と言っていたことも。
 確証があるわけではないが、何か関係あるかもしれない。グレイはその時フライヤが何をしたのか、調べてみようと思った。



***



「に……妊娠?」
 弟だと偽って、その村の医者にフライヤの診察結果を教えて欲しいと請うと、その答えが返ってきた。
「丁度七ヶ月目に入った辺りでしょうな。そろそろ腹も目立って来るでしょうに。気付きませんでしたかな?」
「あ、ええ。一緒には住んでいないもので」
「そうでしたか」
 医者は人の良さそうな顔で頷いた。



 フライヤが妊娠していたという事実はあまりに衝撃的で、グレイはしばらく混乱していたが、やがて「七ヶ月」と言った医者の言葉を反芻し出した。
 七ヶ月といえば、あの戦いが終わった頃だ。
 フラットレイはブルメシアにいたが……フラットレイとフライヤの間にそんな関係があったとは思えなかった。フラットレイの記憶が戻らないことで、二人はしばらくギクシャクしていた。
 「腹が目立ってくる」と医者は言っていたが、そんな風にも見えなかった。フラットレイも、彼女を大事にしているのは目に見えてよくわかったが、妊婦に対する扱いとは思えないような振る舞いが多かった。
 まさか。
 グレイは、雨に濡れる小さな墓標を思い出した。
 まさか。
 フライヤがモンスターの大群を一人で引き付け、怪我を負ったことを思い出した。
 それから体調を崩し、しばらく休んでいたことも。
「ああ、まさか」
 それなら、辻褄が合うではないか。
 もしそれがフラットレイの子であったなら、墓に参っていたフライヤを無理矢理連れ帰るようなことはしないに違いない。
 つまりは、彼の子ではないということだ。
「なら、一体誰の……」
 あの戦いの最中であったなら、仲間の誰かの子供である可能性が最も高かった。
 グレイが知っているのは、フライヤの昔馴染みのジタンだけであったが、もし彼がそうであったなら、とグレイは考えた。
 あの戦いが終わっても、ジタンは戻っていなかった。


 やはり、辻褄が合うような気がした。


 グレイはその足で、リンドブルムへ向かった。



***



「ジタンさんについては、まだ何も?」
「ああ」
 タンタラスのアジトを訪ねると、赤毛の盗賊が応対してくれた。ジタンの行方を尋ねたが、まだ何もわからないのだと彼は説明した。
「そうですか……」
「何かあったのか?」
 そう尋ねられ、グレイは俯いた。ただの推測に過ぎないことを、口外するわけにはいかなかった。しかし、自分の考えが正しいのか、間違っているのか、それを確かめるには、彼は適した人物かもしれないとも思った。
「ジタンさんは、フライヤさんとはどういうご関係だったんでしょうか」
「関係?」
 意外そうな声で、ブランクは訊き返した。
「特別なご関係ですか」
「特別……ってことはないだろう。昔の知り合いだって言ってた」
「それだけですか?」
 妙に食い下がるので、ブランクは目を細めて真意を確かめようとした。
「どういう意味だ」
「その……例えば」
 グレイは口篭った。口に出して言い辛いことでもあったし、あまり喋り過ぎてはいけないとも思った。
 しかし、ブランクとて伊達に盗賊稼業などやってはいなかった。
「男と女の関係があったか、ってことか?」
「な……っ!」
 がばっと顔を上げたグレイに、ブランクは小さく溜め息をついた。
「それはありえねぇと思うが」
 どうして彼がそんなことを聞くのかわからなかったが、ブランクは思った通りに答えた。
「年も違うし、もしそうなるならもっとずっと前になっててもおかしくなかっただろ。それなら俺たちだって気付いていたはずだ」
「……確かに」
 グレイは肯いた。
「それに、男と女の関係ってぇなら」
 ブランクは意味ありげな目で彼を見た。
「あいつの方が怪しいな」






 気配を消して近づいてくる人がいた。
 フライヤは不審に思って顔を上げた。彼女が目を向けたことを知ると、雨の中、背の高いその人は、ざくざくと下草を踏みしめて彼女の元へやってきた。
「……よぉ」
「サラマンダー……!」
 フライヤは目を瞠り、微かに震えた。それでは、彼はそのことを知ってしまったのだろうか? 一体、どうして?
 サラマンダーは黙ったまま彼女の側で足を止めると、ついと目線を下ろした。
 そこには、雨に濡れた小さな墓標があった。
「俺も、いいか?」
 その一言で、フライヤは彼が全てを知ったと悟った。
 そして、恐れ戦いた。


 ―――何に?


 サラマンダーは屈み込むと、持っていた花束を墓前に供え、右手を小さな土盛りに載せて瞼を閉じた。
 その仕草で、フライヤは、彼がその命を悼んでくれているのだということを感じた。
 彼もまた、彼女と同じ悲しみを共有しているのだと―――
「ああ、サラマンダー!」
 フライヤは両手で顔を覆ったまま、彼の名を呼んだ。それは、今まで決して上げたことのないような、悲痛な叫びだった。
「私が……私が不注意だったのじゃ。私のせいでこの子は死んだのじゃ。私が殺したのじゃ……!」
 一度も零れたことなどなかったのに、今や、フライヤの目からは洪水のように涙が溢れて止まらなかった。
「お前のせいじゃない」
 サラマンダーの腕が伸びて、フライヤの肩を慰めるように抱いた。
「私のせいじゃ!」
「違う」
 フライヤは咽び泣いた。
「一人で辛い思いをさせて……悪かったな」
「サラマンダー……」
 胸元に引き寄せられ、フライヤはしがみ付いて泣いた。
 こんなに涙が出るものなのかと思うほど泣いた。
 誰かが同じ悲しみを共有してくれることが、切なくて愛しかった。切なくて愛しくて、また涙が出た。
 いい加減涙も枯れると、フライヤはサラマンダーの胸に凭れたままで、小さな呼吸を繰り返した。酷く居心地が良くて、離れる気にはなれなかった。
「俺も、たまに墓参りしていいか」
 不意に、サラマンダーがごく小声でそう尋ねた。フライヤははっとして身体を起こし、彼の目を見つめた。
「……してくれるのか?」
「嫌なら、いい」
 フライヤは頭を振ると、微かに笑んだ。
「嬉しいのじゃ……」
 そうか、と呟くと、サラマンダーは右手をフライヤの銀髪に差し入れて、元のように胸元に引き寄せた。
 誰かが見れば騒ぎになるかもしれない、とフライヤは思った。
 しかし、街外れのこの場所で、一体誰が何を見るというのか?
 フライヤは小さく息を吐くと、目を閉じた。
 ―――どうか、今はこのままで。



 それから、月命日ごとに花が供えられるようになった。
 花はいつも同じもので、フライヤがその子の元へ行くと、必ず既に供えられていた。
 それは、フライヤにサラマンダーの気配を強く感じさせた。毎月、彼はブルメシアへやって来て、この子に花を供えてくれるのだ。
 それを見る度に、フライヤは心が穏やかになるのを感じた。どうせなら、顔くらい出してくれればいいとさえ思った。
 しかし、サラマンダーが姿を見せることはなかった。
 サラマンダーが置いていったはずの白い小さな花束に指先で触れ、フライヤは溜め息を吐いた。
 逢いたい、と。思うことは罪だろうか。



 フラットレイは変わらずに優しかった。国の人々は彼らの幸せを願ってくれた。それは、国の再興のためにも必要なことだった。
 せめて、フラットレイの記憶が戻ったらいいとフライヤは思った。そうすれば、どれだけ酷い一言で自分を突き放していったのか、彼も思い出すだろうに、と。
 しかし、過去のことを振り返ってばかりいるのは、どうしようもなく罪に感じた。
 罪が許されることは決してないのだと、フライヤは諦めて目を閉じた。甘んじてその罰を受けなければならない、と。


 そして、アレクサンドリアから芝居の招待状が送られてきた。






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