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「ラニ!」
白くなりかけた頭の中に、突然声が飛び込んできて。
ラニは無意識に「助けて」と叫んだが、喉からは掠れた吐息しか出なかった。
好きだった。
あなたが好きだった。
名前を呼んで欲しくて、その不思議な色の瞳に私だけを映して欲しくて。
あなたの全てを、自分のものにしたかった。
でも。
でも、もう。
「ラニ!」
すごく必死な声―――と、ラニはぼんやり思った。
次に聞こえてきたのは、何かが何かにぶつかるような、鈍い音。
血の匂いがする。ドサドサと、さっきまで彼女を押さえつけていた男たちが地面に堕ちていくのが薄っすらとわかった。
「ラニ」
ダメ、泣いてしまうかもしれない。
大きな手で、そっと抱き起こされる。
お願い、離して―――
ラニはそっと目を開けた。
「無事か?」
飛び込んできたのは、静かな湖面の青。
普段は隠されて見えない、大好きな瞳だった。
「無事なように、見えるわけ?」
「……見えねぇ」
「すまん」と、彼の口から勝手に漏れた。
どうしてダンナが謝るのよ、と毒づいてやりたかったのに、ラニは一言も喋れなかった。
***
サラマンダーの住むフラットはトレノの高台にあったため、窓からラニの泊まる宿が見える。
いつもなら部屋を出てから五分程度で点く明かりが、三十分経っても灯らなかった。
おかしい。
サラマンダーは四本目のタバコを荒々しく消した。
―――あいつ、丸腰だ。
胸騒ぎがした。
もしかしたら、ただ風に当たりに回り道をしているだけかもしれないし、面白くないから酒を飲みに行っただけかもしれない。
それでもいい。必死に探し回った自分が、どんなに情けなくても。
この世には、手遅れなことが山ほどある。
飛び出したサラマンダーが、袋小路の暗がりで男たちに押さえつけられ、悲鳴を上げている彼女を見つけるまでに、そう時間はかからなかった。
そして、彼はその瞬間、何事かを悟ったのだ。
***
「平気よ、こんなの」
ラニは自分で立ち上がろうとして、膝が震えて思うように言うことを聞かないのに気付いた。
霞む目を凝らし、じっと両足を見つめる。ところどころ、擦り剥いて赤くなっているようだったが、はっきりとは見えなかった。
身体中の彼方此方がじりじりと痛み、震える手足はひどく冷たかった。
戦えると思ったのに。まだ忘れていないと思っていたのに。
怖くてたまらなかった。助けて、と何度も叫んだ。
彼女は一人になりたいと思った。こんなところは見せられない、と。
ただ、背中に添えられた大きな手の温もりが愛しくて。
「離して」
サラマンダーは何も言わずに抱き上げる。
「ダンナ、聞いてるの? 離してよ」
何も言わない。
「ダンナ!」
手足をバタつかせてみたが、自分を抱える腕には全くダメージにならなかった。
彼女の体は、震えて思うようには動かなかったから。
「じっとしてろ」
「嫌だってば、離して!」
かなり泣き声になってしまったらしい。
困惑した顔をして、彼は彼女の体を柔らかい草の上に下ろした。
「どうすればいい」
「帰って」
「それはできねぇ」
「一人にしてよ」
「……それもできねぇ」
震える両腕を自分で抱え、ラニは顔を背けた。
サラマンダーはため息を吐くと、再び彼女を抱き上げた。
「っ!」
思わず睨み付けると、サラマンダーは困った顔のまま見下ろしてきた。
「他に方法が見つからん」
我慢してくれ、と彼は言った。
いつになく口調が優しくて、泣き出しそうになって。
今だけ……と。心の中でそう呟くと、ラニは静かに目を閉じ、全てを彼に預けた。
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