<2>



 物陰に隠れたまま、ラニは身動ぎもせずに状況を量っていた。
 闇に紛れて、どれくらいの人間がその男を襲っているのかわからないほどだった。
 一人、一人と石畳に倒れてはいくが、まるで際限などないかのように次から次へと人間が飛び掛っていく。
 すぐ側で人が倒れこみ、ラニは悲鳴を上げかけて自分の口を手で覆った。
 仕事柄、修羅場に遭遇したことがないわけではなかった。それでも、まるで戦場のようなその光景は彼女をぞっとさせるに事足りた。
 震えだしそうな肩を自分で抱き締め、ラニはただじっと息を潜めているしかなかった。
 その男は強かった。成る程、ラニが今まで見てきた賞金首たちの誰よりも強かった。闘い方に無駄がなく、そのやり方は、情の欠片もない男であることをまざまざと表していた。
 しかし―――と、ラニの頭には疑問符が浮かぶ。
 彼は自分を庇ってくれたのではないか、と思った。あの瞬間、自分のことなど放って置けば、彼は逃げられたのではないか?
 そうであったなら、あれに巻き込まれた自分がどうなっていたか、彼女は想像もしたくなかった。
「あ」
 小さく声を上げて、ラニは再び自分の口元を手で押さえた。
 今まで明らかに押していた男が、どうやら腕の辺りを切りつけられたらしかった。暗闇の中、赤い染みが石畳に広がっていくのが殊更黒々として、ラニは固唾を呑んだ。
 一瞬痛みに眉を顰めた男は、しかし何事もなかったかのように再び立回り始めた。
「そろそろ観念したらどうだ、焔」
 リーダー格らしい男が、地の這うような声でそう言ったのが一際辺りに響いた。
「この場は上手くやりおおせたとして、その深手でこの先どう逃げ回るつもりだ」
「……お前には捕まらねぇ」
 肩で息をしながら、その男も答えた。
「こういうやり方は気に入らねぇ」
「気に入ってもらうつもりは元からないがな」
 再び何人かの男が飛び出して来、男は再び拳を構え直した。パタパタと石畳が鳴る。
 ―――やられる。このままじゃ、あの人やられる。
 無意識だった。ラニは黒魔法の呪文を唱えていた。それで群勢が片付くはずもなかったが、隙を与えるには十分だった。
 ちらりと、男はこちらに目をくれた。そして、風が激しく轟いた。



***



 恐る恐る物陰から這い出したラニは、一瞬言葉を失って立ち竦んだ。
 どうしたらこれだけの人間を一人で片付けようと思うものかと、男を見る。彼は膝に手を突いたまま肩で息をしていた。
「あの……大丈夫?」
 ラニは近づいて、傷ついた腕を取ろうと手を伸ばした。しかし、思わず激しい抵抗があった。
「これだけのもんを見ても、まだやろうってわけか」
「そ……そうじゃないわ!」
 ラニは不意に声を高めた。
「怪我してるから」
「絶好の機会だと思ったか」
 男は顔を上げ、ラニを睨んだ。睨まれた彼女は僅かに目を見開いた。
 見たこともないような綺麗な色をしていただけではない。今まで見てきたどの賞金首にもないような光を、彼女はそこに認めたのだ。
「もうあんたを狙おうなんて馬鹿なことは思わないわ」
 ラニは辺りを見回して、溜め息をついた。
「そりゃ、こんなもの見ちゃったら、ね」
 男はふん、と鼻を鳴らした。
「さっき……助けてくれたんでしょ」
 ラニがそう言うと、男は徐に背を向けた。
「あれは、恩返しのつもりか」
「そういうわけじゃないけど」
「礼は言わねぇぞ」
 言い捨て、男はその場から立ち去りかけた。
「待ってよ」
 ラニは今度こそ怪我を負った腕に手を掛けた。
「このままにしておくつもり?」
「放って置けば治る」
「どこが! 死ぬわよ」
 傷口からは今も新しい血が流れ出し続けていた。
「手当てしてあげるわ。どうせ泊まるところもないんじゃないの?」
 男は例の瞳でじろりとラニを睨んだが、結局何も言わずに付いて来た。


 手持ちのポーションでは間に合わなかった傷は、宿に戻ってからも出血し続けていた。ラニは止血を施して、消毒液を塗ってから包帯を巻いた。
 男は何も言わず、ラニのすることをじっと見ていた。まるで、おかしなことをしようものなら即座に叩き殺そうとせんばかりの視線だった。
 手当てが済んでしまうと、ラニは立ち上がった。
「包帯、足りないかもしれないから買ってくるわ」
「もういい」
 巻いた傍から染まって行く包帯は、とても良いようには見えなかった。
「少し横になった方がいいわよ」
 そう言ってから、ラニは男をどこに寝かせるのかという問題に思い当たった。
 ラニが定宿にしている部屋には、ベッドが一台と小さなソファしかない。怪我人を狭いソファに寝かせるのは気が引けた。
「そこのベッド、使っていいから」
「……女を床に寝かせる趣味はない」
 言うなり、男はごろりと床に寝転がった。
 こっちこそ、怪我人を床に寝かせる趣味はないんだけど、とラニは呟いたが、どことなくぐったりとした背中は聞いている様子もなかった。
 とにかく硬い床で体が痛まないようにと、ラニは戸棚から有りたけの毛布とクッションを運んで側に置いておいた。
 男が黙って寝そべったままなので、ラニは諦めて放っておくことにした。







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