<3>



 誰かの呻き声でラニは目を覚ました。
 何事かと眠い目を擦って部屋を見渡す。床の上に大柄な人間が寝そべっているのを発見して、一瞬何が起こったのか思い出せなかった。
 ああ、そうだった。
 賞金首の男を匿うなんて、私もどうかしている。
 ベッドを降りて床に屈み込むと、男は酷く魘されているらしく、眉根を苦しげに寄せていた。
「大丈夫?」
 肩を揺すろうとして、そこがかなり熱いことに気付く。
 あれだけの傷を負ったのだから、熱が出てもおかしくはなかった。
「ちょっと待ってて」
 ラニは洗面器に水を汲み、タオルを浸して絞ると、汗ばんだ額を拭ってみた。
 男はふと目を開けた。
「余計なことをするな……」
「だって辛そうじゃない」
「どうってことはない、放っておけ」
「いいからちょっと黙りなさいよ」
 余程辛いらしく、やがて男は黙ってされるがままになった。傷を負った腕は酷く熱を持っていた。


 されるがまま、サラマンダーは思い惑っていた。
 一体この女は何の得があってそんなことをしているのか?
 彼にとってこんなことは日常茶飯事で、寝ていればそのうち治るものと思っていた。
 傷口は痛むというより燃えているような熱さだったから、冷たいタオルは有り難かったが、そんなことをしてこの女に何の得があるのか全くわからなかった。
 まだ、弱り切った賞金首の命を獲ろうとする方が、彼にとっては余程合点のいくことだった。
 実際、今やられても文句は言えない。
「そんな怖い顔しないでよ」
 女は口元に笑みを浮かべた。
「取って食べたりしないわよ」
 一頻り汗を拭ってしまうと、最後に額にタオルを乗せ、彼女は壁に凭れて窓の外を見上げた。サラマンダーもその視線を追って夜空を見上げた。真夜中を少し過ぎたくらいか。
「あんた、ホントに盗みなんてしたの?」
 ふと、女がそう口走った。
 サラマンダーが黙っていると、彼女はもどかしげに振り向いた。
「言っておくけど、賞金首を匿ったとなれば大罪よ。一応『正義』を傘に仕事してる私がこんな危険を冒してるんだから、聞く権利はあると思うわ」
「……」
 頼んだ覚えはない、と、サラマンダーは胸の中でだけ呟いた。
「いわゆる『盗人』って人間は山ほど見てきたけど、あんたは何か違う。あんたの目は……」


 額にタオルを乗せるために伸ばし放しらしき髪を掻き分けていたせいで、あの瞳はすっかり露になっていた。その目はどこか寂しげで、そしてどこか痛々しかった。
 不意に胸の奥底がじりじりと熱を持った気がして、ラニは振り払うように小さく頭を振った。
 傷の手当をしようと体を起こす。血に汗も混じってぐっしょりと濡れた包帯を外し、ラニは傷口を調べてみた。
「やるなら今のうちだろう」
「何が」
「賞金稼ぎが、賞金首を見す見す逃がすのか」
「弱っている人間を騙して陥れるほど、意地は悪くないつもりよ」
「弱っている獲物を狙うのが狩りの基本じゃねぇか」
 ラニは包帯を巻く手を止めた。
「―――駄目なのよ」
 湖面のような瞳が、何が駄目なのかと訝しがる。
「いつもそう。傷ついた動物とか、放っておけないの」
 再び手を動かしながら、相手が何も言わないので言葉を続けた。
「こんな仕事してるくせして、おかしいわよね。でも駄目なのよ。そのまま死んでいくのかと思うと、忍びなくて哀しくなる」


 サラマンダーはその顔を見上げたまま、黙り込んでいた。
 彼女の話は全く理解不能だった。弱いものは傷つけられ、死んでいくしかない。強いものだけがこの世界に生き残ってゆかれるものだ。
 根底にその考えが棲み付いて離れない彼には、全く理解などできるはずもなかった。
「いいのよ、賞金なんてかけられる人間が悪いんだもの、怪我をした動物とは別なのよ」
 そう言って、彼女は顔を上げた。
「でも、あんたは盗みをするような人間には見えない。だから助けたまでだわ」
 そう結論付けると、彼女は立ち上がった。
「しばらくここに泊まってていいわ。そんな怪我じゃ、何日か動けないでしょうから」
 サラマンダーは、ベッドに戻る彼女の背中をじっと見ていた。
 どうしてか、嵌められているような気は全くしなかった。その手の裏切りは嫌気がさすほど見てきたが、何故かそういうものではないという確信が持てたのだ。



***



 翌朝。
 小鳥のさえずりを聞きながら、ラニはベッドに起き上がり、部屋を見渡した。
 カーテンを引き忘れた窓から朝の光は眩しいくらいに部屋を照らし、彼女はあの男がいなくなっていることに気付いた。
「馬鹿! あんな身体で……」
 ラニはベッドを飛び出して廊下を見に行ったが、もはやその影はどこにも見当たらなかった。部屋の中へ戻って窓から外も見てみたが、やはり影も形もなかった。
「本当に、お礼も言わずにいなくなっちゃったじゃない……」
 と、彼女は独りごちた。






「……よお」
 サラマンダーは軽く片手を上げて挨拶した。その先には、ラニが立っていた。
「ねぇ、アレクサンドリアへ行くってどういう風の吹き回しよ」
 彼女は心底意外そうな声でそう問うた。


 考えてみれば、知り合ってもう四年近くになるというのに、肩を並べて歩くのは思い出せる限り初めてだった。
 サラマンダーは相変わらず無口で、それでも最初に比べれば随分と打ち解けやすくなったものだとラニは思った。
「帰ってきてるって話じゃない」
 沈黙したまま歩くのも何なので、ラニはあくまで話題として振ってみた。
「ああ」
「喜ぶでしょうね、ガーネット女王は」
 サラマンダーは黙ったまま答えなかったが、それが肯定の意味であることは察せられた。
「好きな人と一緒に居られるだけで、女なんて幸せになれるものだもの」
 そう言って、少し期待を込めて見上げてみたが、サラマンダーは全くの無言のまま、前を見て歩いているだけだった。
 意気消沈したラニは、しばらく沈黙を守った。
 彼には好きな人がいて、その人には愛し合っている相手がいるということは何となく知っていた。そんな不毛な想いを胸に抱いて、一体何になるというのだろう? 本当に不器用で馬鹿な人だとラニは思った。
 でも、結局は自分も同じなのだ。彼に近付くために、どうしようもないような言い訳を欲している。決して、彼が振り向いてくれることなどないと知っているのに。
「トレノに家を買ったって本当?」
 ラニは再び口を開いた。
「ああ」
「随分と羽振りが良くなっちゃったのね、英雄さんは」
 ラニが茶化すと、サラマンダーはついと彼女の方を向いた。
「場所は高台だが、家は小さいぞ」
 そうとだけ言うと、また視線を元に戻して歩き続ける。その返答の真面目さが可笑しくて彼らしくて、ラニは微かに鼻を鳴らした。
「どういう風の吹き回し? あの街にいい思い出なんて一つもないんじゃない?」
「他に住む場所を知らないんでな」
 その答えに、ラニははっとして足を止めた。
 そうだった。彼には『どこかに住んだ』記憶なんて無いに違いないのだ。物理的にもどこかで暮らしたことなどないだろうが、心の拠り所さえ持ったことはないだろう。
 少し先まで行ってしまった彼に小走りで追い付いてから、
「ねぇ、ダンナ」
 ラニは少しだけ甘えたような声色で呼びかけた。
「今度、遊びに行ってもいい?」
 それは精一杯の演技。
 彼にとって、『都合のいい女』で在り続けるための。
「トレノに一軒家なんて、素敵じゃない。興味あるわ」
 サラマンダーは再びラニを見下ろした。青い湖面のような瞳は、微かに呆れの色を含んでいた。
「……勝手にしろ」





-Fin-






ということで、サラニ出会い編でした〜。
なんか書いてるうちに違う話になった気がしないでもないですが、
元々どういうのを書く気だったのか忘れたので、こんなもんでv(マテ)
このまま「暁月」に繋がっていきます。

しかし、サラマンダーとラニってホントどういう関係だったんでしょ?
「いつか狩ってやるわ!」とラニは言ってましたが、実際二人は天敵同士ですよね。
でも知り合いだったわけなんですよね・・・なかなか難しい設定です。
まぁ、ラニの力量ではサラマンダーを狩るのは無理だったのかもしれないですが、
うちではダンナが女の人にあんまりキョーミがないせいで狩れなかったと信じています(爆)

2006.6.25





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